毎日の礼拝

毎日のお話

2024/06/13

與那城 初穂(聖書科)

【聖書:マルコによる福音書 6章 1-5節】

「イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。」

 

 

 ヒューマンライブラリーをご存じでしょうか。日本語だと「人を貸し出す図書館」になりますが、これはイベントの名称です。参加者は人を「本」として借ります。「読者」となった参加者は「本」である人と30分程度対話をする時間を持ちます。2000年にデンマークで開催された野外ロックフェスティバルで始まり、新潟でも、2018年から毎年開催されているそうです。このヒューマンライブラリーの目的は、偏見や差別を減らし、多様性の理解を深めること。「本」になる方は、主に社会の中でマイノリティとされている方々、またその支援者です。読者である参加者は、「本」である人を故意に傷つけないという約束をした上で、わからないこと、知りたいことを聞いたり、自分のことを話したりします。わたしはこのイベントに参加をしたことがありませんが、直接、出会って話すことの大切さは想像できます。実際の姿は、聞いたことがある、ちょっと会ったことがあるぐらいの知識で思い描く姿とはずいぶん違うことが多いからです。

 先ほど、読んでいただいた箇所は、イエスが故郷に帰ったら、受け入れられなかったことを伝える箇所です。故郷の人たちがイエスを幼いころから知っているにもかかわらず、イエスを偏見の目で見ていることがわかります。「この人は、大工ではないか。マリアの子ではないか」と。大工といっても、農作業で使う道具や家具をつくる職人で、イエスは幼いころから父ヨセフについて仕事を学んだはずです。しかし、職人は身分が低く、人から尊敬を受けるような存在ではなかったことがわかります。さらに、「マリアの息子」という言い方からは、人々がイエスの実の父はどこの誰かわからないと思っていたこと、そのことでイエスを見下していることがうかがえます。ということは、イエスは子どもの頃から、父ヨセフの仕事や、自分の出生という、自分ではどうしようもないことで、他の人たちのどこか冷たい視線の中で育ったのではないか。久しぶりにイエスが帰ってきて驚く姿を見せてくれたものの、人々はすでにつくり上げていた「イエスはこういう人」というステレオタイプから脱却できなかったのです。もし「そんな知恵や力をどこで身につけたの」「家を離れて、普段どうやって生活しているの」とイエスに関心をもって接していたら、イエスの実際の姿に出会えたでしょうし、そこで多くの人が、新たに生きる力を与えられたかもしれません。

 相手についての情報を効率よく処理して、相手がどういう人かを素早く判断し、相手とどのような関係を築くかを決める。人間関係で悩まないためには、良い方法のように思えます。けれども、実際の姿に出会わない関係は浅く、進展することもないし、自分自身も相手も変化し、成長することがありません。だからトラブルが起こっても、対立して終わります。これは私も含め誰にでもいえると思うのですが、誰かと接するとき、どこか「この人はこういう人」と決めつけてしまっていないか、自分の周りから一度見直してみませんか。