自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/05/27
【聖書:ヨハネによる福音書 21章17節】
3度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが3度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」
皆さん、大谷翔平という野球選手の名前を知っていると思います。
現在、アメリカ、ロス・アンゼルス=ドジャーズで活躍している日本人選手です。
先月、彼の元通訳、水原一平さんが違法賭博と窃盗容疑でアメリカ連邦検察によって刑事訴追されました。
そのニュースに、日本中、多くの人が衝撃を受けました。
大谷選手と水原一平との関係は、理想的な信頼関係で結ばれているように見えたからです。
来年、採用予定のある中学3年の英語の教科書には、水原さんのことが掲載されることになっていたそうです。
タイトルは「成功を支える人」。
そのなかでは、水原さんが通訳として、大谷選手が他の選手に溶け込みやすいように日頃から努めていること、また野球だけではなく私生活のサポートにも心を配っていることなどが紹介されていました。
そんな水原さんが、大谷選手の銀行口座から7億円以上を無断で送金していた、というのですから驚きです。
本人はギャンブル依存症だと告白していますが、窃盗という犯罪行為に手を染めてしまった事実に変わりありません。
先日読んだ、ある週刊誌(日本版ニューズウィーク5月7日号)にイラン人コラムニスト、石野シャハランさんという方の書いたコラムが載っていました。
次のような内容です。
「今回のニュースを知り、元通訳が大谷選手の銀行口座に自由にアクセスできていたことに驚いた。それだけ大谷が彼に絶大な信頼を寄せていたということである。同時に、これも大谷の純真無垢さの表れと考える日本人の多いことにも驚く。アメリカでも同情的な声もあるが、大谷は間が抜けていた、というのが大方の本音ではないだろうか。」
皆さんはどう思うでしょうか。
日本では、水原元通訳を全面的に信頼していた大谷選手は気の毒だ、というのが大方の見方です。
大谷選手は、間が抜けていた、というコメントを聞いたことはありません。
しかし、よく考えてみれば、いくらお金があっても自分の銀行口座から7億円も勝手に送金されて気が付かないのもおかしいし、やはり「甘すぎる」と思います。
そして、水原さんを信頼し、頼りすぎてしまったことが、結果的に彼に犯罪を犯させてしまったのではないか、
そのようにも思えてしまいます。
以前、巨人軍で活躍した野球選手に長嶋茂雄という方がいます。
昭和の時代、多くの人に愛された選手です。
巨人軍の監督もしましたが、その野球は直感野球と言われ、誰も思いつかない手を打って、観客を楽しませてくれました。
長嶋さんは、多くの名言(迷言)を残しています。
その中にこのような言葉があります。
「私は選手を信頼しても、信用はしてません。」
信頼と信用。なかなか考えさせられる言葉です。
この言葉の意味を私は次のように理解しました。
つまり、自分は選手を信頼しているが、誰にでも欠点はある。
だから、どんなに優秀な選手でも信用しないで、厳しく接するようにしている。
私は、長嶋さんの「信頼と信用」という言葉について考えていた時、聖書のイエス・キリストと弟子のペテロの関係を思い出しました。
それは次のようなものです。
ある時、イエスが弟子たちに、自分が十字架にかかるとき、あなたがたは皆、私につまずくだろう、と予言します。
するとペテロは、「たとえ、ご一緒に死ななければならなくなっても、私はあなたを知らないなどとは決して申しません。」と言います。
それに対してイエスは、「あなたは、鶏(にわとり)が鳴く前に3度、私を知らない、と答えるだろう」と予言します。
実際、ペテロは、イエスが人々に捕らえられたとき、イエスの弟子であることを否定します。
自分もイエスの仲間だと思われて、捕らえられることを恐れたからです。
しかも、別々の人に3度、問いかけられ、ペテロは3度とも否定します。
すると、そのとき鶏が鳴く声が聞こえます。
ペテロはイエスの予言の言葉を思い出し、激しく泣いた、
このような場面です。
「あなたにどこまでもついて行きます」という、ペテロの言葉をイエスは否定しました。
実際、ペテロはイエスを見捨て、逃げてしまいます。
イエスはペテロを信頼していません。
今日の聖書では、十字架にかかり亡くなったイエスが、よみがえり、再びペテロの前に現れた場面を描いています。
イエスはペテロに聞きます。
「シモン・ペテロ、あなたは私を愛しているか。」
ペテロは答えます。「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」
するとイエスは言われます。「私の羊を飼いなさい。」
この問いをイエスは3度繰り返します。
なぜ3度も繰り返したのでしょうか。
ここでイエスは、3度、「知らない、」と言って逃げたペテロに、3度、今度は、「愛している」と告白する機会を与えたのです。
それはペテロが負った心の傷、トラウマから立ち直り、新しい命に生きるためです。
さらにイエスは「私の羊を飼いなさい。」と命じます。
ここで羊とは、家畜の羊のことではなく、イエスに従う人たちのことです。
つまり、イエスはペテロにもっとも大切な仕事を託したのです。
イエスはペテロを信頼していませんでした。
それなのに、なぜ彼にもっとも大切なことを託したのでしょうか。
それは、イエスがペテロという弟子を、その弱さや欠点にもかかわらず彼を信用したからです。
ペテロはその後、弟子たちの中で中心的存在となります。
彼は2000年以上続くキリスト教会の礎(いしずえ)を築きました。
信頼と信用。
長嶋茂雄は、「私は選手を信頼しても、信用はしてません。」と言いました。
イエスならば逆に、次のように言われるのではないでしょうか。
「私は弟子を信頼しませんが、信用しています。」
ここに、私たち人間に対する神様の深い愛「アガペー」が示されています。
その恵みをおぼえて、今日の一日、共に歩む者でありたいと願います。
今朝の敬和