自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/05/16
【聖書:フィリピの信徒への手紙 3章 13~14節】
「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」
みなさんの中で、毎日続けていることがありますか。もちろん、食べることや寝ることといったものではなく、毎日継続して取り組んでいることです。私には現在2つあります。1つ目は1日1万歩以上歩くこと、2つ目はみなさんも取り組んでいる「5年日記」です。1つ目についてですが、私が所持しているスマホにはヘルスケアというアプリが入っており、自動的に1日の歩数を計測してくれます。さらにどの時間帯に何歩歩いたのかとか、1週間、1か月、1年といったスパンでのデータが記録されており、瞬時に把握できます。歩数だけでなく、アクティビティや栄養面、体温等のバイタルサインのデータ等、健康に関する様々なデータが記録されるアプリです。おそらくみなさんのスマホにも入っているアプリかと思います。きっかけはよく覚えていません。これまで何気なくこの歩数を確認してきましたが、普通に生活していると、7,8千歩歩いていることがわかりました。何となく1万歩は歩いていたいなあと思ったのがきっかけになるのでしょうか。学校での生活、つまり勤務時間内は割とデスクワークが多いので、可能であれば席を立ち、歩くようにしています。これを意識すると、夜には1万歩を越えています。時々夜になっても6千歩しか歩いていないときがあると、夜に約3 kmのウォーキングをしています。だいたい1 kmで1500歩なので、3 kmで4500歩となります。これで1万歩はクリアです。始めたばかりなので何の変化もありません。日々1万歩は歩いたという実績を積んでいるだけです。続けていった先に何があるのか、楽しみにしているところです。
2つ目は「5年日記」です。これにはきっかけがしっかりとあります。56回生から取り組みを始めた「5年日記」。最初にこれを知ったのが2年前の10月、本校卒業生の道下さんとの再会でした。道下さんとのやり取りを通して、「5年日記」の取り組みに意味を感じ、56回生に取り組んでいただくこととなりました。昨年の10月18日に、再び道下さんと会い、お話をしました。その中で彼がこんなことをおっしゃったのです。「実は先生に謝らなければならないことがあるんです。」「何ですか。」「『5年日記』の話を聞いていただき採用もしていただいたのに、先生に『5年日記』お渡しするのを忘れておりました。大変申し訳ございませんでした。どうぞお受け取りください。」「ありがとうございます。」「ぜひここで開封してください。」「えっ、ここでですか。」「そうです。ここで開けてくださらないと、ずっとそのままかもしれませんので。」ドキッとしました。そのままにしておこうと思っていたからです。「わかりました。」こんな感じで、彼の目の前で開封し、日記を書かざるを得ない状況となりました。もちろん、開封したからといって書かなければならないわけではないのですが、自分としては書かなければという気持ちになったのは事実です。
日記の最初に、「書き始めた私へのメッセージ」という箇所がありましたので、取り組むに至った経緯と、無理せず書こうという気持ちを書いておきました。10月18日が1日目、それから現在まで続いています。まだまだ半年ちょっとです。でも日記のめくる側がだんだんと開いてきて、「ああ、使い込んできている雰囲気が出てきたなあ」とちょっとうれしくなってきます。高校時代に英語の辞書が開いてくるのがうれしかったのを思い出しました。日記も辞書も使い込んだ方が格好いいと思ってしまいます。「5年日記、まずは1年間続けたい。」そのような思いが強いです。みなさんと違って、この「5年日記」が進路につながるようなことはないでしょう。なぜ続けたいと思うのか、先ほどの1日1万歩を続ける理由もそうなのですが、続けた先に何があるのか興味があるからなのです。
ところで、何かをやるとき、やり続けるには、やる気が必要です。やる気ってなかなか出てこないですよね。私も同じです。「勉強しなさい!」と言われて「はーい!」って答えている人、そんなに多くはいないと思います。私もそうでしたし、今もそうです。この間のことです。「今日玄関ドアの塗装やってね。」と妻に言われても、「面倒くさいなあ。」と思って「後からやるよ。」と言ってしまいました。やる気って起きてほしいときに起きなかったり、続いてほしいのに続かなかったりします。
ある月刊誌に、「生徒のやる気を高める八つの原則」という文章が記載されていました。明治大学法学部教授の堀田秀吾先生が書かれた文章です。先生は「やる気はエンジン」「具体的な目標設定が大切」「脳のしくみを考えてみる」という3つの視点から、八つの原則をあげてくれています。それを紹介します。①始めることの重要性を理解させること ②環境を工夫すること ③具体的な目標設定 ④目標達成に向けた進捗状況を可視化し、他者と共有すること ⑤新しい刺激と変化を提供すること ⑥コミュニケーションと協働の促進 ⑦適宜運動を取り入れること ⑧脳の報酬系を働かすこと 先生はそれぞれの原則について説明されていますが、ああなるほどと思うことが複数ありました。例えば①について、やる気は脳の「淡蒼球(たんそうきゅう)」という部位が鍵になっているそうです。淡蒼球は自分で始動することなく、外部からの刺激、つまりからだを動かして行動を起こすことでそれが刺激となり、淡蒼球も働くことでやる気エンジンが周り始めるというイメージです。やりたくないと思っていた掃除やドアの塗装も、やり始めると熱中してしまうわけです。③についてはみなさんもやくわかることと思います。具体的な目標を設定した方がモチベーションは保ちやすいですね。実際大きな業績を残してきたような人物も、小さな目標を設定し、それを一つ一つクリアした結果、大きな業績を残すことにつながったわけです。④について、目標達成に向けた進捗を可視化すること、これもよくわかります。「5年日記も」書いてきたページをめくるだけでも、「ここまでやってきた!」ということがすぐにわかります。また他者と共有することで、後に引けないという気持ちにもなります。同じことを取り組んでいる仲間であれば、共にがんばろうという気持ちにもなります。
このようになるほどと思わされることがいくつもある文章でした。先生は、「実証研究に基づくものの、全員に効果があるわけではありません。いろいろと実践し、組み合わせ、試行錯誤しながら、やる気を出させる方程式を編み出していってください。」とまとめられています。
今回なぜこのようなお話にしたのかというと、やり続けることで、きっと自分にとってよいものが得られると思うからです。何が得られるのかはわかりません。私が取り組んでいることもそうです。でもきっとよいものだろうなあと想像します。例えば1万歩については、少し体形がよくなるとか。これは単なる希望ですけれど。テストを終えて一区切りつきますので、何かいががでしょうか。
今日の聖書箇所です。使徒パウロがフィリピの信徒たちに向けて書いた手紙の一部分です。今回は「ひたすら走ること」に注目しましょう。この「ひたすら走ること」をフィリピの信徒たちに勧めているのですが、同時に自分に対してもそうでありたいとの言葉でしょう。パウロのこのやる気はいったいどこから来るのでしょうか。彼(当時はサウロと呼ばれていました)はもともと熱心なユダヤ教徒で、イエスたちを迫害する側でした。あるとき、彼が迫害してきたイエスと出会うのです。彼は目が見えなくなりましたが、その中でイエスと出会います。その後イエスを信じるアナニアという弟子がサウロと出会い、サウロの目からうろこのようなものが落ち、再び目が見えるようになりました。この一連の出来事、経験を通して、サウロは回心し、熱心なクリスチャン、伝道者へと変えられていきます。まちがいなくサウロ、のちのパウロのやる気はイエスキリストです。イエスとの出会い、福音を宣べ伝えたい。これがパウロのやる気エンジンです。彼のこのような宣教活動の中で、苦しいときもあったはずです。ひょっとしたら、さきほど紹介したやる気を高める八つの原則にあてはまるものがあるのではと想像してしまいます。そしてやる気を保ち続けたのでしょう。そのような人でありたいと思います。