自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2024/04/30
【聖書:コヘレトの言葉 3章 1節】
「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」
今日は私の悩みと、悩みに対する考え方の変化についてお話しようと考えています。44歳といういい年になっても悩みはあります。詳細はお話ししませんが、あることを諦めようかと最近考えております。
この悩みがあるということを前置きとしてお話しますが、学校での他の役割として評議委員の担当をしております。そこまで長く担当してはいませんが、評議委員として委員会に参加してくれる方は前向きな人が多く、学校をよくしたい。人の為に何かしたいという思いを持つ人が多いのではないかと思います。
主観になってしまいますが、昨年の後期から就任している評議委員長はこれまでの委員長よりもその思いが強く、また行動力もあると感じられます。昨年度委員長が就任し、今の学校を見て、自分たちで取り組める案をいくつも考えてきてくれました。しかし当時の自分にはそれを受け止めて考える余裕がなく、また周囲に変に気を遣ってしまい、評議委員会でやっていいものだろうか?他の委員会に任せた方がいいのではないか。と踏み出すことができずに時が過ぎ、委員長の想いを委員会として行動にうつしていくことができませんでした。生徒のやる気を、生かすもダメにするのも教員次第。自分が担当でなければ、と本当に申し訳なく思いました。「人間の内面、根本はそう簡単には変われない」これまでの私の考え方でしたが、委員長を見かけるたびに、力になれなかったことを悔やんでいたことで、自分の内面に変化が生じたと思います。「やれない理由を探すより、どうしたらやれるかを考える」。このような言葉は正直、これまでに何度もふれたことがある言葉だと思います。ですが当時の自分には心に刺さることはなく、自分のものの考え方を変えるまでには至りませんでした。
今日の聖書箇所にあるように「何事にも時があり天(てん)の下(した)の出来事にはすべて定められた時がある」とあります。私の44年間で固まっていた心の持ちようを、委員長の行動が変えてくれたと考えています。この年になり、いろいろなものを抱えていくなかで、自分の中で、より失敗はしたくないというこれまでの思いが更に強くなっていたのだと思います。失敗を恐れているところはありますが、自身の経験で、成功よりも失敗や困難から学び、成長できたと考えてはいるので、失敗は嫌ですが、困難については深層心理の部分で実は求めているところがあるのだと思います。
「失敗は成功のもと」というエジソンが言ったとされる言葉がありますが、パナソニックホールディングスを一代で築いた日本の「経営の神様」、と呼ばれた松下幸之助(まつしたこうのすけ)の言葉にも、「失敗は成功のもと」という言葉があります。「失敗したところでやめるから失敗になる。成功するまで続ければ成功になる」ということを話されています。先日高校の恩師にラグビーの大会会場でお会いしましたが、その先生も似たようなことを言っていて「倒れることは恥ではない、恥ずかしいのは、倒れても立ち上がらないことだ」と私が高校時代によく言っていたのを思い出しました。
先日校長先生が昨年の生徒会長の代表挨拶を紹介しておりましたが、もう一度紹介させてもらいます。「失敗しても怖くない雰囲気に溢れた敬和は、私に「挑戦することを諦めなくていい」と、思わせてくれた。」
三年生ほどになると、失敗はしたくないと思ってしまうと思いますが、一二年生の皆さんはこれから大いにいろいろなことにチャレンジして下さい。何事にも時はあり、神様は皆さんの成長のために様々な機会を用意して下さっているはずです。
冒頭の私の悩みにもどりますが、敬和はキリスト教教育の学校ですので、キリスト教のものの考え方から言いますと、神様が評議委員長を通して、「いつまで後ろ向きでいるのか、やれない理由を探すより、どうしたらやれるのか方法を考えよ」と言って下さったのかと思います。