毎日の礼拝

毎日のお話

2024/04/19

碓井 加奈枝(理科)

【聖書:ペトロの手紙一 4章 10節】

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、

その賜物を生かして互いに仕えなさい。」

 

 

 今、私は今年度中学校に配布する学校案内パンフレットを作成中です。これは昨年度のものです。1年生の中にはこれを見た人もたくさんいると思います。このパンフレット作りは敬和が持つ他の学校と違うところ、皆さんが醸し出す空気感などを言葉で表現する作業です。それはとても大変な作業ですが、「敬和ってどんな学校だろう。」「生徒である皆さんはどう成長しているかな。」と言ったことを考えることができる素敵な作業でもあります。


 パンフレットの今年度の目玉は、全ページの大見出しの言葉をこの3月に卒業した54回生生徒会長I.Sさんの卒業生代表の言葉から、選んだことです。Iさんは敬和学園がどんな学校であるかを余すことなく語ってくれました。彼女の言葉を聞いて、今年のパンフレットはこれだと感じました。パンフレットができあがったら、特に1年生にぜひ見てほしいです。その中で、「私を変えるきっかけ」という大見出しのページでは、「キリスト教主義」をテーマにしました。他の学校にない敬和の1番の特徴は、この『キリスト教主義』だと思います。ではキリスト教主義って何でしょう。私はそれを2つの言葉で表現しました。1つは「すべての人が愛される特別な存在であること」もう1つは「すべての人に素晴らしい宝ものと使命が与えられていること」です。


 1つ目から考えてみましょう。「私なんて成績も悪いし、走るのも遅いし、背は低いし、いいねの数少ないし・・・・。あ~全然だめ。」と言う人がいたら、あなたはどう思いますか?今あげたものはどれも数値で表されるものですね。数値で表されるものは比較がしやすいです。でも、優しさとか勇気があるなど数値で表せないこともたくさんありますね。人間は3点点数が高いとか背が5センチ高いとかで比べたがりますが、先日青栁先生の礼拝のお話でおっしゃっていた人知を超えた存在から見たら、それが何と言われることでしょう。むしろ、人と比べて自分の方が高いと人を馬鹿にする傲慢さを嫌われますし、自分を卑下して自分の存在を否定することは、すべてを良しとされた方に失礼です。神さまの目には、ここにいる皆さん一人一人が別々のスペシャルな存在で、それでいて皆さん全員が等しく愛されるべき存在なのです。


 2つ目のことは、努力してテストで高得点取れることも与えられた賜物つまり宝ものだし、背の高いことで人の役に立つこともあるし、経済力もあたえられているものだし、数値化できない優しさや、勇気など何もかもわたしたちが持っている数限りない賜物はすべて与えられているものです。今日読んでいただいた聖書の言葉の通り、賜物は人それぞれです。これが多様性。そして、その賜物を善い管理者として磨いて用いて、互いに仕える。これが生まれてきた理由、その人の使命、そして協調性です。時々自分がまわりに迷惑をかけたとき、多様性だからさ。と、好きかってして良いみたいに言う人がいますが、それは違うと思います。多様性は互いに仕える、つまり人の役に立つためにあります。いろんな人がいるから、この世の中は成立しています。欠点だと思うことも裏返せば良い面だってことがありますよ。臆病さは慎重さに、じっとしていられないことは上手に使えは迅速さに、要は自分の持っているものを善き管理者として、人の役に立つように使えば良いのです。


 あなたは絶対に愛されているし、見つけていないかも知れないけれどすでに素敵な宝物も与えられている。それが何なのかを探すことが敬和の言う自分探しです。そしてそれは、堀越先生のお話にあったように、探して探して探し続ければ、必ずちょうど良いときに見つけることができます。さあ、皆さんの宝は何でしょう。あなたはそれを見つけて、敬和を巣立って、どんな自分として生きていくのでしょう。考えただけで、とても楽しみです。