自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2011/06/15
美しき心
寮長 信田 智
東日本大震災で一瞬にして住むところも、財産も、仕事も、愛する家族も友も、一切の生活を失ってしまわれた方々のお気持ちは察するに余りある。
また地震に伴う原発事故で、放射能汚染により農業、畜産に甚大な被害を受け、風評被害に苦しみ、目に見えない恐怖におびえながら、住みなれた家を離れなければならない無念さ、怒り、嘆き苦しみは、いかばかりであろう。
そのような思いを抱えながら、なお忍耐強く、秩序を保って苦難に耐えている日本人の心のあり方に、世界中の人たちが驚きの思いを持って注目している。一方で、そのドサクサに紛れ、空き巣に入り私欲をむさぼるやからもいる。なんとあさましい事であろう。私達の心はここまで美しくもなれるし、ここまであさましくもなれる。
東日本大震災を受け、寮教育の中で、この未曾有の出来事にどのように関わっていくことが良いのか、生徒と共に考えている。その一つが寮祭です。世間では多くのイベントが自粛という形で中止される中で、生徒達は、元気に寮生活を送っている様子を、ぜひ保護者の皆様に見て欲しいという思いが強く、寮祭の開催を決定した。
しかし、被災された方々の苦しみや怒り、嘆き悲しみに無関心でいられるわけがなく、この悲惨な状況から、いま私達自身の在り方が問われていることを自覚し、どのような寮祭にするか、生徒たちと一緒に考えて行く中で、次のような方向性が生まれて来た。
1、食事パーティーは質素にし、被災者の痛みを覚え、残食を出さないように心がける。(具体的にはメニューを整理し、調理量を控える。)
2、食事代は頂かないで、席上献金を募り被災者に義援金を送る。
3、各館の寸劇は、保護者の方に元気な所をお見せする意図を持って行う。
4、寮祭の中で被災地の方々を覚えて礼拝を捧げる。
(のぞみ寮の祈りを監修・別紙参照)
5、寮生全体で、被災者に共感しエールを送る思いを込めて、風味堂の「ナキ
ムシのうた」を歌う。心に響く歌詞であった。皆の思いが一つになり、今までにない充実した素晴らしい寮祭となった。それにつけても、寮生の心の柔軟さ、感受性の豊かさを感じさせられ、心が満たされた。席上献金は、216,000円ほど集まった。その中には、ご自身が被災され、お連れ合いが職を失いながら、自分よりもっと大変な方達のためにと、3万円もの献金をされた方もおられる。美しき心に胸を熱くさせられた。
「のぞみ寮の祈り」
神さま、今日このように 2011年度ののぞみ寮の寮祭を
多くの方々と行えることを感謝いたします。
去る3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする東日本大震災が東北地方を襲い、
住む家や日々の生活、そして多くの尊い命が奪われました。
震災によって亡くなられた方々、
今なお行方のわからない方々の魂をお守りください。
また、被災された方々に
心の安らぎと 未来への希望をお与えください。
被災を免れた地域にいると、いくら想像しても
それが現実のものとして起こっているという実感が湧きづらい私たち、
月日が流れ、徐々に被災地への意識がうすれてしまいそうになる私たちです。
どうか そのような私たちに、
今すべきことを判断できる知恵と、それを実行に移す力をお与えください。
この震災で水、電気、ガス等のライフラインの大切さを知り、
毎日何気なく学校に行き、不自由なく生活ができるということが
幸せだということに気付きました。
また、助け合うこと、感謝すること、
そしてなにより人の温かさを学びました。
どうか、被災され、泣いている人、苦しんでいる人、
不安の中にいる人と共に歩もうとする私たちとさせてください。
今、私たちが直接被災地での復興に向けた活動へ
すぐに参加することは叶いませんが、
どうか被災された方々の心に深く刻まれた傷と身体の疲れを
神さまが共にいて癒してください。
被災された方々を想うこののぞみ寮の祈りを
主イエス・キリストの御名によっておささげいたします。
アーメン
『のぞみ寮の祈りを共に考えて…』
礼拝委員担当教師:三浦 啓
今年の寮祭は例年の寮祭とは違い、3月11日に起きた東日本大震災を受けて、ひとつひとつの内容を確認しながら準備を進めました。その中で、「今年の寮祭で礼拝を行おう」という声があがり、礼拝委員会でどのような礼拝を行うのかを話し合いました。
寮祭で行う初めての礼拝、それも東日本大震災という未曾有の災害を覚えての礼拝なので時間をかけ、手間をかけ、心を込めて準備をしなければと、礼拝の内容を礼拝委員と一から考えました。教師が率先して礼拝内容を考えるのではなく、礼拝の司会、奏楽、話のすべてを礼拝委員のメンバーが考え、さまざまな役目を担ってくれました。今年の3年生は学校で、東日本大震災を受けて、フェスティヴァルを行うかどうかの話し合いを経験していました。その土台があり、本当にひとりひとりがしっかりとした自分の考えを持ち、意見をぶつけ合いながら礼拝の内容を考えてくれました。
その中でも新しい試みとして、お祈りをみんなで声を合わせて祈ることをしてみてはというアイディアが生まれました。しかし、そのアイディアをカタチにするのは簡単な作業ではありませんでした。どのような言葉で祈るのか?何回もミーティングを持ち、出てきた方向性は、礼拝委員で祈りを考えても、実際に祈るのはのぞみ寮生全員ということです。礼拝委員で勝手に祈りを考えるのではなく、のぞみ寮生に「東日本大震災を通して感じたこと」を率直に言葉にしてもらい、それを礼拝委員に提出してもらうことにしました。もちろん言葉を出してもらうのは強制ではありませんでしたが、多くの率直な言葉が集められました。その言葉を礼拝委員で読み、のぞみ寮生の思いを受け止めつつ、祈りの言葉を考えていきました。
そうして出来たのが(被災地と被災者を思う)“のぞみ寮の祈り”です。この祈りは決して礼拝委員だけで作ることはできませんでした。言葉を紙に書いて出してくれたひとりひとり、学校での3年生の話し合い、いろいろなアドバイスをくださった寮長先生と先生方の思いがひとつの祈りをつくったのです。
寮祭当日、みんなでこの祈りを唱えながら、本当に言葉のひとつひとつに思いを込めて、被災地を思い祈ることができました。こんな祈りをつくることのできるみんなをあらためて「すごい!」と思いました。この経験を活かし、これからも礼拝委員とのぞみ寮のみんなと共にひとつひとつの礼拝を、思いを込めてつくっていきたいと思います。
寮生リレー通信 (第 88 回)
めぐみ館
『東日本大震災で感じた事』~寮祭礼拝でのお話より~
I.S.(3年生 北海道小樽市)
今日は3月11日に起こった東日本大震災でわたしが感じたことを素直に話そうと思います。
あの時、いつものように部活をしていました。そして2時46分、敬和は震度4の地震がおき、校内にとりあえず入って、みんなとふざけあっていました。その後宮城県で震度6の地震があったのを聞きました。けれど、「これはどこか遠くのこと。」と、なんだか他人事のように思っていました。そうして友愛館に集められて、ようやく事の重大さに気づきました。それからずっとニュースを見て、どんどん死者が増えていって…そのことがすごく怖かったのを覚えています。
友達の中には東北出身の子ももちろんいて、家が大変だったり、家族の安否がわからくて不安がっていて、そんな人たちに正直何を言っていいのかわかりませんでした。そうして翌日になり、終業礼拝を終え、なんだかあっという間だった気がします。不甲斐ない自分に苛立ちをおぼえました。
部活をして、友達とエミタイに行って…何もかもがいつもと同じ風景に見えました。地震がおきて、町はグシャグシャなのに、人がこんなにもたくさん亡くなっているのに、自分の周りの世界は何一つ変わってなくて、変わったように見えないことがすごく・すごく怖かったです。だから母に「早く帰ってきなさい。」と言われたときも、急いで家に帰らなきゃいけない理由が、福島の原発の事だとはわかっておらず、訳が分からないまま家に帰りました。
家に帰っても、テレビをつければ地震のことばかりで、でもバラエティを見る気にはなれなくて、テレビの前にいることが少なかったと思います。暗い気分になりたくありませんでした。考えると、自分は本当にのん気で、何も考えていなくて、普段通りに生活できることに感謝もしていませんでした。
私の地元は北海道です。全くと言っていいほど本当に被害がなく、だからか津波や原発のことをあまり考える気にならなかったのかもしれません。東京の親戚が避難しにきたり、スーパーの水があまりなかったり…、大したことは本当になかったのです。
わたしは被害を受けた人の気持ちや痛みが分かりません。理解することはとても難しいと思います。「もしわたしが東北に住んでいて、津波に巻き込まれていたら…」と、想像するのも難しいと思います。結局わたしは無関心でいる自分に腹が立つと同時に、安心していたのだと思います。地震はどこか別の世界のこと、テレビに映っているのは映画のようなもの…地震が起きる前の生活であってほしいと願っていたのかもしれません。
高校生である私に今出来ることは限られていて、そのどれもが被災地に直接つながっているのか分かりません。献金や節電、本当にささいなことでも支えになってもらえている、と信じるしかないです。「信じる」って難しいことだと思います。一見力強そうで、頼もしい感じがします。でも私には、どこか不安で心細い感じがします。今回の地震のことで、なおさら「信じる」ことが難しいことだと気づかされました。救助を待ち続けている人、大切な人の無事を祈る人、街が元通りになること…たくさんの人が何かしらを信じています。だから私も自分が支えにさせてもらえるように、なれるように、信じたいと思います。
光風館
『忘れてはいけないこと』~寮祭礼拝でのお話より~
I.H.(3年生 茨城県龍ヶ崎市)
私の実家は、茨城県南部の内陸にあります。敬和ほどではありませんが、少し歩けば田んぼや畑、林や森があります。東京のようにビルがいっぱい建っているわけではなく、近くにコンビニもないような町です。
3月11日に発生した「東日本大地震」は、そんな私の地元にも大きな傷跡を残しました。地震が発生した時、私は敬和の校舎内にいました。その時は、「結構デカかったなぁ。震源地はどこだろう?」という軽い気持ちでいました。地震の大きさと津波の事を知ったのは30分ほど経ってからでした。寮のテレビで見たニュースの津波は、車をミニカーのように流していました。震源地が宮城、茨城県南部と聞いて、すぐに自宅に電話をかけましたが通じず、パソコンでメールを送っても返事は来ませんでした。そんな中私は、ただニュースを見ることしかできませんでした。その日のうちに自宅と電話が通じ、家族は全員無事だと知り、幸いにも自宅は2階の物がすべて倒れただけで済んだと聞き、安心しました。2日後の日曜日に私は、地元に帰って驚きました。コンビニには水やお茶、カップラーメン、パン、おにぎりを始め、ほとんどの食品がなく、スーパーにも品物がほとんど無い上に、会計のレジの列が店の入口まで並んでいました。ゲオやゲームセンター等ほとんどの店のシャッターが下りていました。壁や天井が剥がれ、ガラスの無い店も少なくありませんでした。電気、ガスは使えましたが、水道は止っていました。水が出ないと聞いた私は、最初さほど重要ではないと思っていましたが、水道水が使えず、井戸水しか使えないというのは、想像以上に大変だということに気付きました。まず、トイレを1回流すのにペットボトル3本分の井戸水を使い、使ったらまた外までくみに行き、食器などは寒い日でも冷たい井戸水で洗い、風呂も冷たい水しか使えず、水で体と頭を洗っていました。
1日に何回も余震があり、震度5弱もさほど珍しくないほどで、私以外の家族はもう慣れっこになっていました。原発の放射能が雨になって降ってくる恐れがあったため、雨が降ると誰も外を歩けません。そのせいで、弟や地元の友だちの学校は休校になったり、早帰りになっていました。その時の生活の不便さとキツさは、私が初めて「寮にいればよかった。寮に帰りたい。」と思うほどでした。
しかし、そんな生活は必ずしも辛いことばかりではありませんでした。井戸水のない近所の人と水を分け合ったり、水をくみに来た話したこともない知らないおばあさんと「一緒に頑張りましょう」と励まし合ったりしました。家族や教会の人たちからは自分達の方が大変なはずなのに、「寮は大丈夫?」、「新潟は何ともなかった?」と聞かれました。遠くの友だちや知人が水や食べ物を送ってくれたりもしました。私を含め家族を心配して電話をかけて下さった人もいました。また、テレビでは、「アメリカをはじめたくさんの国々が支援を申し出ている」というニュースや「津波が来る中、知らない人でも互いに助け合った」というニュースを見ました。これらを通して私は、辛い事や苦しい事の中で、人の優しさや温かさに気付きました。
この地震と津波でたくさんの方が亡くなり、今も行方のわからない方がたくさんいます。私はこの震災から、水などの大切さ、普通に生活できることと、毎日ご飯を食べられる幸せ、助け合う心、人の優しさ、そして人の温かさを学びました。もう少しで地震発生から2ヶ月が過ぎますが、これだけの時間が経っても液状化した道路や未だに水道、ガス、電気などが復旧しない地域、壊滅的な被害のあった沿岸部の地域があります。原発問題も解決はしていません。被災地を支援することができるのは国だけではなく、私達ひとりひとりにもできると思います。
私たちが直接被災地に行き、ボランティアをすることは簡単なことではありません。でも、少しの額でも募金したり、節電をしたり、お祈りをすることはできると思います。そういう、ひとつひとつのことをやっていくことが大切であり、被災された方々への助けともなります。だから、「自分には何もできない」、「忙しくて被災地には行けない」、「何をすればいいのか分からない」と思わないで、是非、募金や節電、そしてお祈りをしてほしいです。私はこの地震と津波、それらから学んだことを一生忘れずに、自分にできることを行っていきたいと思います。
みぎわ館
『震災ボランティアに参加して学んだこと』
K.K.(2年生 新潟県新潟市)
私は5月1日から4日まで宮城県へ被災地ボランティアに参加してきました。主な作業は側溝の泥かきや個人宅の庭のヘドロ取りなどでした。それはとても大変で、時には「やめたい!」と思った時も正直ありましたが、通りすがりの人などに「お疲れ様です」や「ありがとうございます」と声を掛けられるたびに「がんばろう!」という気持ちになりました。自分のやったことで少しでも人に喜んでもらえる、人の役に立てるという事は私にとって大きな喜びでした。
側溝の泥かきがひと段落した時に、作業をしていた場所を改めてよく見てみました。作業する前よりも明らかにキレイになっていた事に驚きました。その時私は初めて、地味な事でも少しずつ続けていれば大きな変化になるという事に気付かされました。今までこんな風に考えたことがなかったので、これに想いが及んだ時は何だか嬉しかったです。
個人宅で作業をさせてもらった時も同じで、最初は流れ着いた泥や様々なものが溢れていて、元通りのようなきれいなお庭にすることができるのか不安でしたが、作業を進めるうちに少しずつでもきれになっていくのが見て取れ、休憩をはさみながら集中して作業を進めることが出来ました。終了時刻には元通りとはいかないものの、作業前とは比べ物にならないくらいキレイになっていて、切なかった私の心も少しホッとすることが出来ました。大きな働きではなかったかもしれませんが、そこに住む人たちが少しでも喜んで下さったら、希望を持つきっかけになれたら…と思いました。
今回のボランティアで学んだことはたくさんありますが、印象深かったのは、小さなことでも少しずつ続けていればやがて大きな結果につながるということです。私はこれからこのことを忘れず、何かを続けていきたいと思いました。
大望館
『ボランティアを終えて』
N.R.(3年生 新潟県新潟市)
僕は今年のゴールデンウィーク中にボランティアに行ってきました。場所は宮城県のテレビにも被害の大きさが出ていた東名です。僕は最初にボランティアに行く事を聞いた時、自分にも何か出来ることはないか、この機会に自分を変えるチャンスではないか、と感じたので行く事を決めました。僕が行く前にテレビの前で見ていた被災地の現場と実際に行ってみた現場は全然違う場所に見えました。そこには瓦礫の山と倒壊した家の数々があり、正直現実味がありませんでした。そこで感じたのは絶望感です。自分たちには何ができるんだろう、あまりのガレキの多さに自分を含め、周りの仲間も驚きを隠せずにいました。
僕たちは2日目から作業をし、やらせていただいた作業は基本的に側溝に溜まった泥や流された家財道具などの掃除、ほかに庭の泥出しなどです。庭に溜まっていた泥などは途方もなく多く、約10人がかりで行っても1日では完全に終わることはできませんでした。海からの距離も近い場所ではなかったのにかなりの被害があって、津波の怖さと被害を肌で感じることになりました。
自分は作業している中で「ありがとう」という言葉をかけられると、やりがいを感じる事が出来ました。実際に僕は数日間だけの作業でしたが、ここで暮している人達はこの作業などが終わり、以前のようになるまで何年も向きあわなければいけません。もし僕たちが暮らしている場所が同じ様な被害を受けたとしたら、自分は前を向いて行けるか自信がありません。実際に現地の人達はこの被害と向き合って前に進もうとしています。だから僕たちも少しでも力になれるように努力をしなければいけないと思います。ですから、皆さんも是非ボランティアに参加して下さい。今回の地震は人と人との助け合う精神の大切さを教えてくれたと思います。そして僕は、その意味を少しでも理解できたのではないかと思います。
《バザー献品のお願い》
「のぞみ通信」4月号でもお願いさせていただきましたが、今年度も「のぞみ寮コーナー」におきまして、保護者の皆様のご協力のもと、年々大評判になっております全国物産店を開きたいと計画しております。つきましては、寮生保護者の皆様に献品のご協力をいただきたく、重ねてお願い申し上げます。詳細は下記の通りですので、くれぐれも無理のない範囲でご協力をいただければ幸いです。
日 時 : 2011年6月11日(土)フェスティヴァル2日目9:00 開始
品 物 : 全国各地の物産品(食料)、その他
場 所 : 敬和学園内 体育館
* アルコール類は取り扱わないことにしております。
* 賞味期限をお考えの上、お送りください。
また当日直接会場(敬和体育館)へご持参くださっても結構ですが、準備の都合もありますので、前もって御用意いただけたら幸いです。
* 誠に勝手ながら、お品代・送料も含めて、ご負担頂きますようにお願い致します。
* 「値段付け」の目安に、価格をぜひお知らせ下さい。なお、ご希望の売値価格がございましたらお書き添えください。また、品名やアピール文なども添えていただけますと、大変助かります。
* ちなみに昨年は38万円もの収益があり、友愛館の建築資金返済に充てさせていただきました。今年はのぞみ寮生のため、また東日本大震災で被災された方々のためにと考えております。
* 宛先は、以下のようにお願いいたします
〒950-3112
新潟市北区大夫浜325敬和学園高等学校
のぞみ寮本部 寮バザー用品
025-259-2390
<スタッフから一言>
庭には、カエルの鳴き声、木々には2,3種類の鳥の音、そしてすずらんの香り。
東日本大震災から2ヶ月が過ぎましたが、ここ、敬和の庭には、いつもと変わりなく様々な音色で初夏の訪れの知らせを受け取っています。そんな中、生徒達は、大きな時代を担うべく背負わされている現実の重さをひしひしと感じています。震災地への労作を募集すると、積極的な声があふれ、日々の祈りには、普通の生活に改めて感謝し、普通に過ごせている以上、より積極的にこの場を生きようという祈りが捧げられています。
生徒一人ひとりの心は今、新たな季節を前にし、より自分を生かせる場所、学ぶことを日々貪欲に見つけようとしています。この若き力、この勇気に、神様の導きが豊かにありますように。
めぐみ館担任 榎本 かな