自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2009/05/21
どちらかと言えば、あまり苦労を知らずに育った母が、早くして夫に先立たれ、女手一つで6人の子供を育てて行くには大変な苦労があったことと思う。そんな母の苦労を知らずに、いろいろな場面で随分わがままを言ってきたと思う。
私の22歳の誕生日に、家族が誕生会をしてくれた。その席上私は、大学を卒業したら伝道者になりたいと、自分の進路について家族に胸の内を話した。すると母は、何のために苦労して大学まで出したのか、お願いだから普通に就職をして欲しいと、涙いて反対した。
クリスチャンである母が、なぜ私が伝道者になることを反対したのか。母も私も、伝道者になるという事がどの様な事であるか、と言う事を知っていたからであろう。わたしは自分の一切を捨てて、主に従う覚悟をしていた。だから、まともに畳の上で死ぬ事はできないかもしれないと思っていた。母も明治生れの人だから、おそらく同じように思っていたのだろう。それゆえ、愛する息子にそのような生涯を歩ませたくないと言う親心であったと思う。
それから毎日のように、「お願いだからまともな就職をして欲しい」と言って泣かれた。兄弟達からも「お前、お母さんをこんなに悲しませてまで、伝道者になるのか。お前が好きな事をするのはそれでいい。しかし、それはお母さんが死んでからにしろ。」と責められた。母に苦労をかけた分、兄弟達はみな母を愛していた。わたしも、母の気持ちが分かるだけに苦しかった。
「神様、愛する母をこんなに悲しませてまで、なぜ私は伝道者にならなければいけないのですか。」と真剣に神に訴えた。そんなある日、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒言行録16:20)この聖書の言葉が心を捕らえた。そうだ!神様が従えと言われたのだから、愛する母のことも神様が責任を持ってくださる。そう確信できた。そのとたん、今までの苦しみが一瞬のうちの消え去り、何とも言えない平安が心に満ちてきた。
不思議な事に、それ以来、あれだけ反対していた母が、わたしの決断を受け入れ、その後一番の協力者となってくれた。家を開放して、近所の子供達のために土曜学校を開いてくれた。還暦を過ぎて、オルガンの練習をはじめ、やがて私が小さな教会の責任を持つようになった時、オルガンを弾く人がいないだろうからと、その日のために備えてくれたのだ。何とありがたい親心であろう。しかし、それもまた母の生きがいになったのかもしれない。そして、母の最後を看取り、主のみ手に委ね、その葬儀を自分の手で行った。近所の方が、お母さんは幸せだねと言ってくれた。
寮長 信田 智 (しのだ さとし)