お知らせ

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2023/04/04

今週の校長の話(2023.4.4)「涙とともに種を蒔く人は」ー始業礼拝よりー

【聖書:詩編 126篇 5-6節】

涙とともに種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は

束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

 

新年度が始まりました。

春休みは家族や友達とゆっくりとした時間を過ごせたでしょうか。

普段、会えない人と会うことができたでしょうか。

長かったコロナとの闘いも、収束の時を迎えつつあります。

今年度はウィズコロナ(with corona) からアフターコロナ(after  corona)に大きく転換する年になります。

自分自身の課題にしっかり取り組み、さらに一歩踏み出し、新しいことにも挑戦する年であって欲しいと思います。

 

3年生は卒業後の進路を決定しなければなりません。

フェスティバルという大きな学校行事も待っていて、これから忙しくなります。

2年生は新入生を迎え、初めて先輩という立場になります。

学校生活にじっくり取り組み、さらなる成長が求められる学年です。

 

ここにいる皆さんで、是非、コロナ後の「敬和の新時代」を造ってください。

それは、コロナ以前に戻すのではありません。

コロナで経験したことを活かして、新しい時代を造るのです。

 

3年前の今頃を思い出してみてください。

皆さんは中学生でした。この後、2か月間、休校となりました。

家にいることが求められ、町からは人が消え、飲食店に客はほとんどいませんでした。

敬和の庭に、今、桜を始め、たくさんの花が咲いています。

3年前も同じように咲きました。

しかし、それを見る生徒は一人もいませんでした。

桜は静かに咲き、静かに散って行きました。

それは、私が敬和に就職して初めて見る不思議な光景でした。

このように、誰もが、普通でないことを、この3年間、経験してきたのです。

この経験をマイナスの経験で終わらせて欲しくありません。

100年に一度と言われる、この特別な3年間を生きた皆さんは、何か大切なものを、そこから学んでいるはずだからです。

 

例えば、私たちはこの3年間において、日常の大切さを教えられました。

日常とは、コロナ以前には、当たり前に思っていた生活のことです。

それが失われてみて、初めてその大切さに気づかされました。

友だちと楽しく、笑い合うことが、どんなにありがたいことかを知りました。

そして、コロナ禍のなか、誰もが人知れず小さな闘いを闘ってきました。

それは、普通に生活するための闘いです。

普通の生活とは日常のことです。

コロナ禍において、日常は、自然に与えられるものではありませんでした。

それぞれが、小さな闘いを闘って、初めて、得られたものでした。

 

そして、日常とは、自分ひとりの力で作り出されるものではありません。

それは、人が互いに支え合い、それぞれが相手を気遣い、思いやって、初めて生み出されるものです。

皆さんが学校に登校し、普通の学校生活を送るために、保護者をはじめ大勢の方の支えがありました。

そのことにも気づかされたはずです。

これらの気づきは、これからの皆さんの道を照らしてくれる、大切なともし火になると思います。

 

さて、明日は56回生の入学祝福礼拝があります。

明後日から、後ろの席には新入生195名が座ります。

皆さんはこのチャペルで1年生に自分の背中を見せることになります。

その後ろ姿は、背筋を伸ばし、前を向いている姿でしょうか。

それとも下を向いて、礼拝が終わるのをひたすら待っている姿でしょうか。

その人の生き方は、後ろ姿に表れると言います。

ぜひ、先輩として、目標をもって、ひたむきに生きる姿を1年生に見せてあげてください。

1年生が、あこがれ、尊敬できる先輩になってください。

それは皆さん自身の敬和生活を、より充実したものにしてくれるはずです。

 

新年度が始まりました。

今、どんなに日本が平和に思えても、今年も何か予想もつかないことが起きるかもしれません。

しかし、希望を持ち続ける限り、私たちはどのような困難をも乗り越えることができるはずです。

そのことを今日の聖書から学びたいと思います。

 

「涙とともに種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。」

どこかで聞いたことのある言葉です。

特に3年生は知っているはずです。

これは、一昨年、チャペル前の掲示板に書かれていた言葉です。

 

さて、この「涙とともに種を蒔く人」に、何があったのでしょうか。

具体的には記されていませんが、きっと悲しいことがあったのでしょう。

それでも、この人は、絶望したり、やけになったりしないで、泣きながらも種を蒔き続けます。

何のために種を蒔くのでしょうか。

未来のためです。

今はどんなに悲しくても、いつか種が芽を出し、豊かに実を結ぶ日を信じて、蒔き続けるのです。

 

詩人は続けます。

「種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は

束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」

 

この詩からは、詩人の神様に対する信頼が伝わってきます。

どんなに悲しいことがあっても、希望を失うことなく、種を蒔き続けること。

種を蒔くとは、日々の日常生活のことのようにも思えます。

悲しい時だからこそ、かえって毎日の生活を、丁寧に誠実に生きる。

それが未来のための備えとなる。

なぜなら、土に蒔かれた種が、芽を出し、豊かな実を結ぶように、私たちの悲しみを、神様は、必ず喜びに変えてくれるから。

 

泣きながら出て行った人も、喜びの歌とともに帰ってくるときが必ず来ます。

私たちも、その恵みに感謝し、この年度を共に歩む者でありたいと願います。

 

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今朝の敬和