のぞみ寮通信

みぎわ館

2023/03/20

みぎわ通信(66号)「引っ越しの日」

聖句

「今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。

 今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」

(ルカによる福音書6章21節)

※生徒が「礼拝のお話」で選んだ聖句を掲載しています。聖書に触れ、生きる支えとなる御言葉に出会い過ごせる恵みをうれしく思います。

 

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「礼拝のお話」みぎわ館ラストメッセージ!!~今ある幸せを大切に歩んでいく~

2年生

 「あの頃は幸せだった」そんな言葉を聞きました。「あの頃は~」と人はよく口にします。高校に入ってからもっとよく聞くようになりました。そして言うようにもなりました。女子寮合併の話を聞いた時、ふと合併後と合併前を自分は比べて「あの頃は~」と考えるのだろうか思いを巡らせました。でもそこから一年が経って、卒業してからの自分は高校生の自分と比べて、「あの頃は楽しかった」と言うのだと考えます。なぜでしょう。その時が近づくにつれて、遠い事ばかり考えます。結局来てしまう未来だから、あまり変わらないはずなのに、それが現実に近づくにつれてそんな事は考えられなくなります。

 「あの頃は~」と人が言うのは、きっと先の見えないこれからへの不安と過去への少しの執着だと考えます。先が見えないから、どうなるか分からないから、「あの頃は~」と昔を見て、過ぎ去った日々に、楽しかったころに縋(すが)って「あの頃は幸せだった」「楽しかった」と思うのです。“後悔先に立たず”ということわざがあります。『何かしてしまった後で悔やんでも、もうすでに取返しがつかないこと』という意味です。後悔は後から悔やむと書いて“後悔”です。つまり未来に“後悔”と言う言葉はないのです。未来で後悔したくないから、過去の事で人は失敗を学びます。過去でもう一度失敗する事はないので、安心して過去に縋(すが)ることが出来るのです。だからの人は「あの頃は~」と思い出して、そして安心を得ます。

 「あの頃は幸せだった」と心から思う時が、きっと一度は来るのだと思います。しかし幸せとは何でしょう。“幸せに向かってがむしゃらに進もうとしたり、幸せに向かおうと近道を急いで探しても、その先にある幸せは本当の幸せなのでしょうか。幸せをつかむために必死になりたくなくて、でも幸せに向かって真面目に進もうと思えば思うほど幸せが遠く感じていきます”これは「お文具のアニメ」というYouTubeのアニメに出てくる名も無き者さんが言っていた言葉です。そして同じくお文具のアニメのプリンさんはこう言っています。“幸せは基準がないにもかかわらず、考えれば考えるほど思い描いちゃって具体的に表してしまうと遠のいていくものだと思うの”基準のないものを求めて、そしてうれしくなって、悲しくなって、そして過去に縋(すが)って私たちは生きています。でもそれがあるからこそ、個人の価値観が生まれて、個性が生まれて、そして幸せが生まれていくのだと思います。「今が幸せ」と思うのならばそれは幸せでしょう。でも「今は幸せと思えず、『あの頃は~』と縋(すが)りすぎるのでは、自分もそしてこれから来るであろう幸せも幸せだと思えません」基準がないからこそ分からなくて、基準がないからこそどこにでも作り出す事が出来るのが幸せなのだと思います。“幸せであふれている人の周りには幸せが寄って来るんだよ”と私よりもたくさん生きて来た大好きな人が言っていました。

 過去を見る事は大切な事だけれど、“今を楽しんで毎日を楽しく生きていく事こそが幸せなんだ”と、そう思います。今ある幸せと、今日のあったかいお天気に感謝してお話を終わります。

 

 

引越しの日~おひさまのぬくもりを感じながら~

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 2022年度最後の授業を終えた日は、みぎわ館からめぐみ館への引っ越しの日。そして、みぎわ館で過ごす最後の日。「歴史的移動」と東寮長先生はおっしゃいました。めぐみっ子たちに手伝ってもらい、めぐみ館への引っ越しを無事終えることが出来ました。人力で荷物を運びましたが、協働作業をしている彼女たちの表情は、清々しくこれからの生活への「希望の光」を感じました。

 スタートラインに生徒たちと共に立ち、私も気持ちを新たに“心を尽くして”生徒たちの幸せを祈り、過ごして行く決意を心に刻んでいます。(小菅)