自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2023/03/06
【聖書:テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18節】
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
先週、「3年生(53回生)を送る会」が行われました。
1部、2部ともに心のこもった会になったと思います。
以前、敬和で講師をされていた先生が言われた言葉を思い出しました。
「敬和には、フェスティバルなどたくさん行事がありますが、私は卒業式が一番好きです。送る側、送られる側の思いが伝わってきて胸がいっぱいになります。」
卒業生代表のKさんは、お話しの中で、ある言葉を紹介してくれました。
期待して入学したけれど、コロナのために思っていた学校生活とは違い、落ち込んでいた。
そんなとき、お母さんから手紙が届いた。
そこには、「置かれた場所で咲きなさい。」という言葉が記(しる)されていた。
自分は思った。「自分が置かれた場所、この敬和学園で精一杯、花を咲かせよう」と。
「置かれた場所で咲きなさい。」
これは、私たちにとっても励ましになる言葉です。
花の種は、どこで芽を出すのか誰にも分かりません。
それぞれの場所で花を咲かせること。
それは自分の可能性を、その置かれた場所で花開かせることです。
それは自分のためばかりではありません。
花が咲くことで、その場所が明るくなります。
人を幸せにすることができます。
花が咲くとき、命がそこに輝きます。
世界の片隅を、それぞれの花が明るく照らすことができれば、世界は今より明るくなるでしょう。
皆さんも、是非、この敬和学園で見事な花を咲かせてください。
それこそが、卒業した3年生の思いに応えることだと思います。
学年の出し物も素晴らしいものでした。
1年生は、1年前はまだ中学生でした。
その皆さんが、学年の出し物では、3年生のために後輩として劇やダンス、合唱を立派に披露しました。
もうすっかり高校生です。
3年生も楽しそうに鑑賞していました。
2年生の出し物は、さすがだなと感心させられる内容でした。
入場のときのバンドはとてもかっこよかったです。
合唱からは、2年生全員の思いが伝わってきました。
出し物のなかで披露された垂れ幕も、チャペルロビーに展示されているものを見ると、とても手間のかかったものであることが分ります。
見えないところにも、手を抜かず取り組むところに、2年生の成長を感じました。
そして、3年ぶりにチャペルで行われたハレルヤ大合唱。
生徒会の皆さん、指揮者、伴奏者、パートリーダーの皆さん、それぞれが力を合わせてつくりあげた合唱でした。
当日は3年生も一生懸命歌っていました。
想像以上に大きな歌声がこのチャペルに響き渡りました。
ある先生が、嬉しそうに「コロナ前に戻りましたね。」と言いました。
しかし、私は「それは違う。コロナ前を超えている、それ以上のものだ。」と答えました。
時間は逆戻りできません。時間がコロナ前に戻ることはないのです。
私たちは、3年間、コロナという厳しい試練を経験してきました。
それを乗り超えて、今という時があるのです。
だからハレルヤ合唱もコロナ前に戻ったのではない。
3年間の試練を乗り超えて、全校でつくり上げたのが、今年の大合唱です。
それは3年前と同じであるはずがありません。
苦しい試練を乗り超えた分、そこには上手い、下手をこえた、精神的な深みが加わっているのです。
だから、「今年のハレルヤはコロナ前を超えた、それ以上のものだ、」と私は自信をもって言うことができます。
全校生徒の皆さん、素晴らしいハレルヤ合唱、ありがとうございました。
さて、53回生をしっかりと送った皆さんは、来月には新入生(56回生)を迎えます。
今の皆さんなら大丈夫です。先輩として自信をもって迎えてください。
例年、ウェルカムデーのとき、1年生はオリデーで練習してきた合唱を先輩の前で披露します。
それに応えて、2,3年生はハレルヤで迎えます。
1年生は皆、その迫力に驚き、圧倒されます。
是非、今年もハレルヤ合唱で新入生を迎えてください。
さて、今日の聖書では、喜ぶこと、祈ること、そして感謝すること、この3つを大切にすることが勧められています。
送る会のなかで多くの人が、感謝の言葉を述べました。
この日、一番、多く聞いた言葉は「ありがとう。」だったのではないでしょうか。
ところで、人生の中にはさまざまな別れがあります。
その中で一番、大きな別れ、辛い別れは、相手と死に別れること、死別です。
今日は、私の父親との別れについてお話しします。
私の父は19年前、2004年2月、肝臓がんのために80歳で亡くなりました。
両親は栃木県の宇都宮に暮らしていましたが、亡くなる1か月前から父は入院していました。
母から電話があり、父の容態がよくないので帰るようにと言われ、次の日、休みをとって帰りました。
母と病院に行くと、父は私を見て、真っ先に「ありがとう。」と言いました。
母の話では、前日は意識がもうろうとして会話ができなかったそうです。
父とは、その後、少しだけ会話をしましたが、何を話したかよく思い出せません。
その日の夕方、新幹線で新潟に帰りましたが、翌日の朝、電話があり、早朝に父が亡くなったと告げられました。
私は後悔しました。また父に会えると思って新潟に戻ったのに、二度と会えなくなってしまったからです。
父は最後に「ありがとう。」と言ってくれました。
それが何に対しての「ありがとう」だったのかは、今も分かりません。
仕事を休んで新潟から会いに来てくれたことに対してなのか、それとも他に何か意味があったのか。
しかし、本来ならば息子である私が、父に対して、今までのことを感謝して、別れのことばを伝えなければならなかったのです。
親に対し、別れを告げ、感謝の気持ちを伝える。
このことを親が生きているうちにできた人は幸いです。
私の場合、それがかなわず、逆に父の方が「ありがとう。」という言葉を告げて逝ってしまいました。
しかし、父のこの言葉は、今も私のなかで大きな支えになっています。
亡くなる前に、父から「ありがとう。」と言ってもらえたことは、私の人生を父が肯定してくれているように思えるからです。
今も父に対しては感謝の思いでいっぱいです。
皆さんも、これからの人生でさまざまな別れを経験することでしょう。
そのとき、感謝の思いを「ありがとう」と、声に出して、しっかり伝えてください。
今朝の敬和