のぞみ寮通信

のぞみ通信

2023/03/04

のぞみ通信 2023年3月3日 第278号

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題字 めぐみ館3年 H.Sさん

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寮修了礼拝後、のぞみ寮送る会にて

 

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 エレファント症候群という言葉をご存じですか?自分の心の中で「常識」を作ってしまい「私には無理」と思い込む心理を「エレファント症候群」といいます。ゾウの子どもをどんなに強く引っ張っても抜けない丈夫な杭に繋いでおくと、ゾウが成長して体が大きくなっても「杭は抜けない」という思い込みがあるので、細い杭でも繋いでおけることに由来する造語です。私もそうでした。小学生の頃、少数の割り算に頭が混乱して、それから小学6年生まで算数が苦手で嫌いでした。

 2022年2月から始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻、今月6日に発生したトルコ・シリア大地震……。甚大な被害が出て、連日報道されていても、私には何も出来ないと思い込んでしまう傾向が、誰にでもあるのではないでしょうか。私にもあります。

 でも、歴史は常に「一人から始まる」ようです。これが、私には、励ましであり、慰めです。16世紀ドイツのマルティン・ルターは、たった一人で考えて、どうしてもそう思えてならないことを95カ条の意見書」として、地元のヴィッテンベルク教会の門扉に貼り付けました。そのたった一人の行動から、やがてヨーロッパ中を巻き込んだ宗教改革に発展していきます。私には、本当に無理なのか?自問してみましょう。今、私たちの目の前にある問題・課題は、本当に私には、手も足も出ない出来事なのでしょうか。

 3年生の終業日の直前、53回生のK君とHさんと私の3人で、「聖書に親しむ会」を行いました。この会は、聖書を読んで、黙想して、自由に語り合うという会です。当日、ヨハネによる福音書4章の「サマリアの女」の箇所を読みました。そのサマリアの女は、人間関係を避けて、小さくなって生きていた一人の女性でしたが、イエスと出会ったことから、自ら人々の中へ出て行き、やがてその社会をも変えていった女性です。

 自分の人生の限界を自分で決めつけていないでしょうか?全てをご存じで、いつも私と共にいて下さり、私を愛していて下さる方に、私の課題をさらけ出して願う時、願った以上の歓喜の瞬間が与えられる、と私はこの聖書箇所から学びました。

 今、世界中で起きている戦争・災害などによる悲劇やそれぞれ一人ひとりの身近な問題に、ただ落胆するだけではなく、一人でも立ち上がろう。イエス様と共に。そこから、世界は変わって行くに違いないと思うし、そんな生き方が「敬神愛人」を生きるということなのだと思うのです。

 

 

 

♢各館 ラストメッセージ特集♢

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みぎわ館 53回生

 

「ありがとう!!」 K.H(みぎわ館3年・新潟県) 

 ラストメッセージを話す日が来るなんて入寮したころは思ってもいなかったです。

 中3の秋。担任の先生から「敬和学園」を勧められて受験しました。今までの自分を変え、自立した生活を送りたいと思い、のぞみ寮の入寮も決めました。

 不安と緊張でいっぱいだったことを今でも鮮明に覚えています。最初は個性豊かな53回生のみんなの輪の中に入れず、なかなか馴染めませんでした。自分のことで精一杯で、みんなのことを気にする余裕はありませんでした。きっと話しにくい雰囲気を醸し出していたと思います。

 しかし、さまざまな行事や部屋替えを通して、先輩、後輩、53回生のみんなと関わっていくうちに、次第と心を開けるようになってきました。みんなと話していくうちに、みんなの知らない一面が見え、たくさんの共通点も発見できました。

 あの時、勇気を出して話しかけてよかったなと改めて思います。辛いこともたくさんありましたが、辛いことを乗り越えたからこそ、楽しかったこともたくさん感じることが出来たと実感しています。53回生のみんなでお泊まり会をしたことも楽しい思い出です。53回生で良かったなぁと思います。

 実は去年の春休み、寮を辞めようと真剣に考えていました。春休み中、退寮届を寮長先生に出しに面談に来ました。寮長先生やこすーげ(小菅先生)と面談していく中で、辞める決断をして来たのに「本当にここで辞めていいのか」「後悔しないか」「ここまで頑張ってきたのに」と、いろんなことが頭をよぎりました。結局2~3時間の話し合いを経て、寮に残る決断をしました。私にとって、自分自身で決めた大きな決断でした。 

 あの時、辞める決断をしなくて良かったなとあらためて思います。仲間と共に、たくさんの思い出を持つことが出来たからです。

 私は、なかなか言葉でうまく表現するのが苦手で、みんなに伝えていないことがたくさんありますが、みんなが私を受け入れてくれたおかげで、今ここに私はいます。

 今一番伝えたいことは、みんなへの感謝の言葉……。それは「ありがとう」です。今まで自分が支えてもらっていた側だったので、これからは自分が誰かを支える側になりたいと思い、学びを深めます。大学生活も寮での生活を生かして頑張りたいと思います。みぎわ館のみんなに出会えて良かったです。

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仲間たちと共に歩んだ3年間

 

 

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人との関わりに挑戦した3年間

 

 

「人と関わる挑戦」 S.Y(大望館3年・新潟県)

 私の高校生活3年間は自分の人生の中で一番濃い時間を過ごせました。その中で3年間の寮生活で学んだ人間関係について話そうと思います。

 まず、大前提に私は人と関わるのが大の苦手です。それは保育園の頃からで、他人と喋らない、ひとりで行動するという感じです。当然、他人と喋らず、ひとりの世界にいたいという気持ちになり、友達も出来ません。それは中学生まで続きました。親は「もっと人と関わって友達を作ってほしい」と言ってきましたが、「ひとりで行動したい」と思い、なかなか関わろうとしませんでした。

 そんな生活をして中学生になると「あれ?間違っていたのでは?」とようやく親の言っていることに気付きました。しかし、人と関わろうとしてももう遅く、無理でした。そのため高校生活では、人と関わることに挑戦してみようと思いました。そこで親が勧めてくれた敬和学園で「寮生活に挑戦しよう」と入学しました。

 入寮当初、人との関わりが増え、それに耐えきれず1ヶ月間食欲が無くなりました。寮生活をしてみると経験したことのないことが次から次へと襲ってくるので、ときには間違った判断をしてしまったり、どうしていいのかわからなくなり、「この行動は他人にどう思われているのか?」と考えたり、いろいろ悩んでしまいました。

 特に悩んだのは友達とのトラブルでした。どうしたら仲直り出来るかなどを考え、なんとか乗り切ることは出来ましたが、正直なところ今もなかなか人間関係の悩みを解決することは出来ませんし、適切な判断が出来ているのかというとまだまだと思っています。

 やがて、寮生活の成果が段々と出始めました。何気ない会話が出来るようになって、受け答えが以前より改善しました。会話のテンポも以前よりも早くなっていると思います。何気ない会話ですら、寮生活する前は家族以外困難でした。これは自分自身で自ら変わっていったのではなく3年間共に過ごした53回生のみんなや大望館のみんなのおかげだと思っています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。人生で一度しか経験しない高校生活をこの寮で過ごせたのは本当に良かったです。そして、この3年間の経験と寮生活で得たことを将来に活かしていきたいです。

 最後になりますが、いつも相談に乗ってくださった寮務教師のみなさん、高い寮費を出してくれた親、大望館のみなさん、そして3年間共に過ごした53回生のみなさん、ありがとうございました。

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オープンスクール前日 友愛館掃除の様子

 

 

 

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めぐみ館 53回生

 

「一生に一度の思い出」 Y.I(めぐみ館3年・群馬県)

 私が敬和を知ったのは、中学一年生の時でした。敬和卒業生の母は、私に「こんな学校あるよ」と話をしてくれました。その時の私は、興味なんて一つもありませんでした。家から通える地元の高校に行くのだと思っていました。しかし、中学三年生の私は反抗期の真っただ中で、両親はもちろん家族が大嫌いでした。「家から出たい」という思いと、地元に行きたい高校がなく、勉強したくなかったので、私は敬和に入学することに決めました。大好きな友達と離れてしまうことはとても悲しかったですが、家から出られることに喜びを感じていました。入寮することに関しては、さほど考えておらず、友達が出来たらいいなと思っていましたが、出来なくてもいいと思っていました。

 中学生の頃の私はひねくれ者で、私と友達二人で何十回も何百回も先生に怒られていました。部活をさぼったり、テストで十点を取って笑いあったり、いたずらしたり、先生と喧嘩をしたり。今思えば、自分勝手な子どもだったなと笑えるけれど、その頃の私は、なんで私の気持ちを理解してくれないのか不思議で仕方ありませんでした。部活に行くのがだるかった私、テスト勉強をしたくなかった私、楽しみが欲しかった私、先生の言っていることが理解できなかった私。その私の全部の気持ちを理解してくれたのは友達だけでした。先生も家族も全く理解してくれず、私は怒られてばかりでした。

 敬和に入学し、めぐみ館に入寮した当時の私は、息苦しい思いでいっぱいでした。ルールは厳しくて、先輩だらけで、知らない人だらけの寮。そんな家とは全然違う寮に私は初日、ここでやっていけるか不安になりました。不安な気持ちと疲れから37.8度の熱が三日くらい続きました。でも、仲のいい人など当たり前にいるはずもなく、誰にも言うことが出来ませんでした。私は人見知りなので、自分から話しかけることはできませんでした。みんなが気を使って話しかけに来てくれても、正直話しかけに来てほしくないと思っていました。今まで一人でいることが嫌で、友達といないと不安だった私でしたが、一人でいることがなぜか心地よく感じていました。53回生のみんなは個性が強いという印象でした。元気な人、よくしゃべる人、静かな人などたくさんの人がいました。私は、そんな印象のみんなが最初は大嫌いでした。早く卒業したい、家に帰りたい、ここから出ていきたい、そんな気持ちでいっぱいでした。

 そんな私が、ちゃんとみんなを好きになり自分の気持ちを言えるようになったのは、高校二年生の終わり頃です。みんなは私を受け入れてくれました。実は自分でも気づいていた笑い声が独特なこと、深夜になるとテンションがおかしくなること、テンションの浮き沈みが激しいこと、自分勝手なこと、他にもみんなは受け入れて理解してくれました。私にとってみんなは3150(最高)な存在です。高校生活がこんなにもブラボーになるなんて思ってもいませんでした。この三年間楽しいことも辛いこともたくさんありました。私的にはつらい時期の方が多かったような気もします。もっと早くからみんなを好きになっていたら、とか今更後悔しても遅いことを知っておきながら後悔していることもあります。でも、ここで過ごした時間はとても楽しくて、温かいものでした。たくさん笑わせてくれて、一緒にテレビを見てくれて、話を聞いてくれて、一緒にアイスを食べてくれて、一緒にお出かけしてくれて、寄り添ってくれて、心を開かせてくれてありがとう。笑顔にさせてくれてありがとう。私のことを理解してくれてありがとう。この三年間の思い出は、記憶喪失にならない限り忘れることはありません。幸せな三年間をありがとう。私を仲間に入れてくれてありがとう。

 

 

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光風館 53回生

 

 

「あなたの隣にはあなたを愛してくれる人が必ずいます K.C(光風館3年・兵庫県)

 53回生の皆さん、私の最初のお話覚えているでしょうか?最初のお話で自己紹介と共にいくつかの宣言をしました。勉強のことあるいは部活でのこと。そして寮への決意を。「全員で最後笑って卒業しよう」そう私は宣言しました。

 この3年間を振り返って、私はたくさんのお別れをしました。もちろん卒業していった先輩達もそうですが、学校生活を共に送れず卒業せずに去っていった仲間が何人もいました。今も連絡をとっている人もいますが、ほとんどが消息不明です。「あいつがいればどんな生活だったんだろう」「どんな風になっていたんだろう」そう想像するばかりでした。光風だけでなく他の館の寮生や通生も一緒です。「誰も辞めない」そんなことは無理なのかもしれないけれども、「光風だけでも寮生だけでも友達だけでも止められたのではないだろうか」「何かできることがあったのではないだろうか」と今でも後悔しています。欠けてしまったものは、修復することはできません。私のポッカリと空いた穴が埋まることもありませんでした。

 しかし、今ここに、そして敬和にその穴を埋めてくれる仲間がいます。それは私の中だけでなく寮、敬和にとって欠けてはならない存在になりました。振り返ると数えきれないくらい楽しい、悲しい、腹立たしい、感動できるような出来事を共に過ごして来ました。それはこの仲間がいなければなかった思い出です。あげたらキリがないくらいの思い出があります。やっぱりこれらもこの仲間がいなければなかった思い出。本当にありがとう。

 私は、失ったものばかり数えていました。振り返るとそれは正しくないのだと、欠けてしまったものは治らない。しかし、欠けたものを頑張って使うのではなく、他に持っているものを全力で使うべきではないのかと思います。

 皆さんは、ないものにすがっていませんか?そうじゃなくて今あるもの、まだあなたに残されているものを大切にして欲しいです。気づいていないだけであなたの隣にはあなたを愛してくれる人が必ずいます。1・2年は残りの敬和生活で、そんな隣の人を大切に、過ぎてしまった日ではなく残された日を大切に全力でエンジョイして欲しいです。

彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」(ルカによる福音書10章27節)

 今日の聖書箇所は、私が物心ついた時から好きな聖書箇所です。となりびとを自分のように愛しなさい。どんなに嫌いでも苦手でも、もし隣にいるのであればそれはあなたに必要不可欠な存在だと思います。自分ほど好きな人は、なかなか見つかりませんが、今隣にいる人、気づけば隣にいる人を愛してください。一生の宝物になるはずです。

 本当に私に宝物を一緒に作ってくれてありがとう。ここにいる人、いない人、みんなに支えられてここまでやって来られました。本当にありがとうございました。それぞれ明日から新しい歩みがあると思います。「こんなやつもいたな」くらいでいいので僕を忘れないでね!

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大望館 53回生

 

 

【寮教育の現場から】

「敬神愛人を体現する第53回生」 男子寮 片岡 自由

 ここ数年、寮修了礼拝で披露するスライドショーの作成を担当しています。敬和生活3年間を振り返るため、膨大な写真から厳選し、スライドショーにします。その時の雰囲気を感じ取ってもらうため、写真の見せ方に隅々までこだわってしまうので、時間が掛かってしまいます。長時間に及ぶ作業ですが、生徒ひとり一人の表情の変化を見て、幸せを感じるひとときでもあるのです。幼さが残る入寮当初の表情と、今ここから旅立つ自信に満ちた表情は明らかに違います。それはいろんな人と出会い、ぶつかって距離を置いて仲直りすることを繰り返し、自分自身の弱さ・悩みと向き合って、仲間と過ごしてきた敬和生活だからこそ、魅せることが出来る表情だと感じています。

 第53回生の敬和生活は、コロナ休校から始まりました。家族から離れて寮生活を送る大きな不安があり、さらに全国へ感染が拡がっていく不安の中で始まりました。コロナ対策のため様々な行動制限を設け、人との距離を取るようにしなければなりませんでした。それは敬和学園が大切にしてきた、「人と密接に関わること」を根底から覆させられたように感じました。しかし、その中でも彼ら・彼女らは感染対策を理解して知恵を絞り出し、「人と密接に関わること」を選んできました。

 敬和学園建学の精神「敬神愛人」は、神を敬い隣人を愛することです。礼拝の時間を大切にして礼拝カードを定着させてきた姿、仲間に寄り添って共に成長してきた彼ら・彼女らは、まさに「敬神愛人」を体現してくれました。その姿を忘れません。

 保護者の皆様、寮教育に御理解と御協力をしてくださったこと、心から感謝致します。第53回生のみなさんの卒業・寮修了を心からお祝いします。おめでとうございます!また会いましょう!

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大望館 お別れ会