お知らせ

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2023/01/06

今週の校長の話(2023.1.6)「始業に向けて」

【聖書:創世記1章31節】

神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。

 

今日から新学期が始まります。新しい年をこうして全校で迎えることができることを嬉しく思います。

先月はコロナと災害級の大雪に見舞われて大変でした。

特に讃美歌発表会が中止になってしまったのは残念でした。

コロナのために、予想を超える多くの欠席者が出てしまい、クラスによっては半分近くが欠席、また指揮者や伴奏者の欠席が予想されるクラスもありました。

そのような状態で強行することは、クラス全体、そして学校全体で共にクリスマスを祝うという、讃美歌発表会の目的に沿うものではないと判断し、中止することになりました。

 

しかし、毎日7限まで設けて、練習に励んできた全校の皆さん、特に今回が最後のクラス行事となる3年生には大変申し訳なく思います。

なんとか別のかたちで発表する機会を設けられないだろうかと、先生方で話し合い、そのような時間を設けることになりました。

日程については礼拝後に報告します。

 

さて、昨日(1月5日)、旧統一教会救済法が施行されました。

この法律は旧統一教会による被害者を救済するための法律です。

この法律が作られたきっかけは言うまでもありません。

昨年7月、安倍元総理が銃撃された事件です。

山上徹也容疑者は、母親が世界平和家庭統一連合(旧統一教会)に多額の献金を繰り返したことで、自分の人生が破壊されたと感じ犯行に及んだとされています。

そして、この事件の後、親の宗教の犠牲になった子供たち「宗教2世」のことが人々の関心を集めました。

 

親が宗教にのめり込むとき、自分の子どもを親として人間的な感情でみることができなくなってしまうことがあるといいます。

その宗教の教えが親の心を支配してしまうからです。

それが宗教2世の方々につらい経験をもたらします。

例えば、子どもが部活や勉強でよい成績をとっても子どもは自分のがんばりを親にほめてもらえず、それを「信心のおかげだね。」と言って返されてしまうといいます。

子供は、その度にさびしい思いをします。

親にもっと自分をまっすぐ見て欲しいのに、宗教がそれを妨げます。

それでも、子供は親の愛情を得ようと、一生懸命、親の宗教にしたがうように行動するといいます。

 

宗教は、時として、このように人から人間的な感情を失わせてしまいます。しかも、本人はそのことに気がつきません。

それは自分の信じる宗教だけが正しく、それ以外の人たちは全て間違っている、それどころか彼らは堕落し、地獄に落ちることが決まっていると本気で信じているからです。

当然、子どもたちは、その宗教の外にある学校や一般社会で生きることが、ますます困難になります。

このような宗教を「カルト宗教」とよびますが、今も多くの人がその犠牲になっています。

 

このような状況が浮かびあがってくるなかで、当然、宗教全般に対する目も厳しくなってきました。

宗教が、何かいかがわしいもののように思われてしまいがちだからです。

敬和学園もキリスト教という宗教を大切にしている学校です。

しかし、私はこのような時代だからこそ、かえって学校で宗教について学ぶことの必要性を強く感じます。

 

年末、あるテレビ番組で、宗教の専門家による座談会の放送がありました(Eテレ「こころの時代」12月31日再放送)。

その中である方が次のようなお話しをされました。

 

フランスとドイツでは、カルト宗教による犠牲者の数に大きな差がある。

フランスでは犠牲者が非常に多かったが、ドイツはそれほどではなかった。

どこに差があるのか。

フランスの場合、厳格な政教分離(=政治と宗教の分離)が行われ、公教育から宗教を徹底して排除した。

そのため、フランスでは若者に宗教についての知識がないため、いかがわしい宗教が近づいてきても、それを感知するアンテナがない。そのため彼らは簡単にだまされてしまう。

他方、ドイツの場合、法律によって学校で宗教を教えることが定められている。

キリスト教のプロテスタントかカトリックまたは、どちらも嫌な人には倫理という授業が準備され、最近はイスラムの授業もある。

そういう伝統宗教をきちんと学ぶことによって、宗教に対する理解を深めることができる。

結果として、フランスとドイツのカルトによる犠牲者の数の差が生まれた、というのです。

 

日本もフランスと同じように公立学校では、特定の宗教にもとづいて教育することが法律によって厳しく禁じられています。

認められているのは私立学校だけです。

なぜでしょうか。

それはかつて、特定の宗教性をもった思想が学校教育を誤った方向に導いた時代が日本にあったからです。

1931年から1945年までの15年戦争と言われる、日本が軍国主義に支配された時代です。

日本は、中国やアジアの国々、そしてアメリカと戦争し多くの犠牲者を出しました。

当時、日本は天皇制によって国を統制しました。

戦争が激しくなってくると、天皇陛下のために命をささげ、国を守ることが、日本中の学校で教えられました。

天皇は神格化され、神とされました。天皇について否定的なことを言うと、「不敬罪」(=天皇を敬わない罪)という法律によって、厳しく罰せられました。

このような時代が過去の日本にはあったのです。

その反省にもとづき、戦後、日本の公立学校から宗教が排除されました。

 

しかし、戦後77年がたち、時代は大きく変わりました。

日本もフランスと同じように、学校教育から宗教が排除された結果、多くのカルト宗教の犠牲者を生んでいます。

私は敬和の卒業生はカルト宗教に取り込まれにくいと思います。

なぜなら、敬和生は本当の宗教を知っているからです。

 

また、私は公立学校が特定の宗教にもとづいて教育することには反対ですが、日本でもドイツのように、公立学校でも宗教について学ぶことができるようになればよいと思います。

それによって日本人全体の宗教に対する理解が深まるからです。

 

世界にはさまざまな宗教があります。

グローバル時代の今日、宗教について知ることは必要なことです。

日本では特定の宗教に属している人は少数派ですが、世界は違います。

たとえば全世界の人口の約3分の1がキリスト教徒と言われます。

その多くがアジアや南米、アフリカの国々の人たちです。

以前、キリスト教はアメリカやヨーロッパの宗教と考えられていましたが、世界の状況は大きく変化しています。

 

また、それぞれの宗教の教えには人類の叡智(えいち)がかくされています。

その教えに若い時期に触れることはかけがえのない経験となります。

 

今日の聖書です。これは天地創造の場面です。

神様はお造りなった世界をご覧になって、それを良しとして肯定されます。

「世界の始まり」、それは神様のこの大いなる肯定から始まりました。

どんなに暗い状況にあっても、世界には神様によるこの希望と肯定の言葉が鳴り響いています。

私たちも新しい年の初め、その恵みをおぼえて共に歩む者でありたいと願います。

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