月刊敬和新聞

2022年7月号より「教育とイノベーション」

校長 小田中 肇

 皆さんは小学校に入学して以来、学校に通い続けています。多くの人にとって学校は長い時間をすごす大切な場所です。ところで学校は何のために作られたのでしょうか。児童・生徒の教育のためです。では教育の目的は何でしょうか。この問いに答えることは簡単ではありません。

  教育の目的
 ところで日本の学校は「教育基本法」という法律に基づいて作られています。そして教育基本法の第一条には教育の目的が次のように定められています。
 「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
 教育基本法においては、この目的を達成するために五つの教育目標が定められています。私はこの条文の中の「平和で民主的な国家及び社会の形成者」という言葉に注目したいと思います。特に形成者という言葉です。なぜなら私たちが今一度、立ち返るべき内容がここに示されているからです。
 形成者とは形づくる人という意味です。ですから日本の学校教育の目的は、平和で民主的な国家及び社会を形成する人を育てること、と定められているのです。
 現行の教育基本法は2006六年に改訂されたものですが、この「教育の目的」については1947年に定められた最初の教育基本法とほとんど変わっていません。そのくらい日本にとってこれは重要だからです。1947年とは日本が戦争に敗れてわずか二年後です。もう二度と戦争をしない平和で民主的な国家を造ろうと人々が立ち上がった時期です。その実現のために先ず教育基本法が制定されました。  

形成よりも適応?
 ところで、今の日本の教育の現状はどうでしょうか。社会の形成者を育てるための教育が行われているでしょうか。社会を形成するというよりも、社会に適応することを目的とする教育が行われていないでしょうか。
 つまり自分たちで社会をつくるというよりも、出来上がった社会に上手く適応すること、その中で与えられた役割をそつなくこなすことが求められていないでしょうか。そのため多くの教育現場では社会秩序の維持だけが目標となり、集団の空気を読むこと、同調圧力の強化などが求められています。 

 未来の社会の形成者たち
 先日のフェスティバルでは、生徒自身が自分たちで考えて、全校が力を合わせて、大きな行事を作り上げることができました。フェスティバル本部を中心に生徒自身が守るべきルールを決め、各連合とやり取りをしながらこの行事は作られました。それは平和で民主的な社会の縮図のようです。私は敬和生の中に「未来の社会の形成者たち」を見る思いがしました。その姿はどれもまぶしいほどに輝いています。 

 イノベーション
 先日、私は三条市立大学の学長アハメド・シャハリアル先生のお話しを聞く機会がありました。三条市立大学は新潟県三条市に二年前にできた大学です。学長のアハメド先生はバングラディシュの出身で現在五五歳です。幼いころ日本の技術者を見て、かっこいいと思い、自分も技術者になろうと決意しました。日本の大学に留学し、日本で研究生活を続け、人工心臓の開発では国際的な賞も受賞されています。当然、日本語はぺらぺらです。
 お話しのなかで先生は、日本社会がこの20年間、様々な面で停滞していることをGDPの推移など多くのデータによって示してくださいました。科学技術もかつてのように世界をリードするような発明・発見が日本から生まれていない、新型コロナのワクチンも日本は作ることができなかった、それは日本には技術力はあったがイノベーションを生むことができなかったからだ、と残念そうに言われました。そのため日本経済は停滞したのです。
 多くの教育現場では、社会を形成することよりも、社会に適応することが強く求められている、と記しましたが、このことと日本社会の停滞とは無関係ではありません。教育現場においてもイノベーションが必要です。社会を形成するとは、社会をイノベート(刷新)して行くことです。そして学校とは、平和で民主的な社会の形成者を育てる場所だからです。
 ではどのようにしてイノベーションは生まれるのでしょうか。知識や技術だけでは生まれません。心を揺さぶるような感動が人や社会を変えることができるのです。それは人間に対する愛と共感によってもたらされます。
 敬和学園はそのようなイノベーションを日々、引き起こす学校でありたいと願います。そのためには、私たちが「知る力と見抜く力とを身に着けて、お互いへの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」なること、そのことが求められています。(フィリピの信徒への手紙1章9~10節)。