自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2022/11/21
【聖書:詩篇 118編 22-24節】
家を建てる者の退けた石が隅(すみ)の親石となった。
これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。
今日こそ主の御業の日。
今日を喜び祝い、喜び踊ろう。
皆さんは「フリーター」という言葉を聞いたことがありますか。
20年以上前によく使われた言葉です。
フリーターとはフリー・アルバイターを略したもので、高校や大学を卒業しても定職に付かない人のことを言いました。
同じ状況にある若者を、今は、非正規雇用労働者、派遣社員、アルバイトと表現します。
1990年代の後半、日本社会は大きな変化を迎えていました。バブル崩壊と言われた時代です。
世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われた日本経済が一機に崩壊したのです。
それまで戦後日本の経済成長を支えてきた大企業、大手銀行が相次いで倒産し、経済状況は最悪、若者の就職も厳しくなりました。
そういう状況のもと、定職につかない若者の中から、会社や組織のために生きるのではなく、自分らしい生き方を探る動きが生まれてきました。
彼らをフリーターと呼んだのです。
彼らの親世代は、経済成長のために、自分が本当にやりたいことや家庭を犠牲にして働きました。
彼らは、親たちとは違う生き方を模索したのです。
状況は深刻なのに、そこには自由な開放感さえ感じられました。
当時、多くの人は、いずれ日本経済は復興し、また世界をリードする日が来るだろうという楽観的な見通しをもっていたからです。
そのため、どこか余裕をもって若者たちを見守る社会の雰囲気がありました。
今日、なぜフリーターの話をしたかと言うと、先日、たまたま「フリーター世代の自分探し」(川村茂雄著、誠信書房)という本を家の近くの図書館で見つけたからです。
17年も前に出版されたものですが、男女4名ずつ、当時20代の若者の自分史が紹介されています。
今は聞くことがなくなった「フリーター」というなつかしい言葉と、自分探しというタイトルにひかれてその本を手に取りました。
今日はその中から当時24歳、男性、Kさんの自分探しを紹介します。
では、紹介します。
自分は二人兄弟の長男、3つ下の妹がいる。両親は共働き。幼いころは外で遊ぶよりも、家で妹と遊ぶことが多く、この妹が自分にとって大切な存在だった。
小4の頃、スポーツ少年団に入り、野球を始める。コーチの指導が上手かったせいか、練習はつらかったけれど、楽しく野球ができた。
中学では野球部に入部。勉強の方は中の上くらいの成績。
自分としてはまずまずの結果だと思ったが両親はほめてくれなかった。
中学3年間、勉強のことで親にほめられたことは一度もなかった。
中学2年になると部活の後輩ができて嬉しかった。
しかし、自分よりも上手い後輩がレギュラーに抜擢される。
やがて後輩から陰湿ないじめに合うようになる。
何を言っても無視される。キャッチボールでわざと足元をねらってくる。ベンチにおいてあったグローブを下に落とし、さりげなく踏みつけて行くなど。
それでも引退するまで野球を続けた。
それは野球部という看板がなくなったら、自分に何も残らないと感じたからだ。
家から一番近い高校に進学。そこでは解放感を感じた。
部活に入らないで、アニメ好きの3人でつるんでいた。それなりに楽しかった。
推薦で入れる、家から近い大学の工学部に進学。
特に学びたいことがあったわけではなく、自分が所属する居場所を早く確保したかっただけだった。
大学では、休むことなく授業に出席した。興味のない実験やレポートにも取り組んだ。
その成果もあって上位の成績をとることができた。
ある時、高校時代のアニメ仲間に電話をする。彼は、サークル活動にバイト、彼女もできて大学生活を楽しんでいることを知る。
彼は「大学デビュー」を果たしていたのだ。
急に自分の大学生活が、惨めな、つまらないものに感じられた。
自分も、たまたま知り合った女性をデートに誘ってみた。数回、食事をしたが、その後、ふられてしまう。
大学では相変わらず勉強中心の生活を続けた。
電気メーカーの孫会社に就職。
会社では営業部門に配属される。残業がきつく、半年で体をこわして退職。
その後、叔父さんの紹介で、小さな電気部品の会社に転職。
修理部門に配属。ところが、その仕事が自分に合っていた。
自分のペースで仕事ができること、修理が終わるとお客さんに「ありがとうございました」と一回一回、感謝されるのが嬉しかった。
初めて仕事が楽しいと思った。
会社に入って3ヶ月たったころ、同僚のNさんという女性に告白された。その女性と交際するようになった。
彼女に自分のどこが気に入ったか聞いてみた。
「仕事をしているときに、真面目で楽しそうにやっているのがいいなと思った。話した時にも、すごくやさしさが伝わってきたから。」彼女はそのように答えてくれた。
以上がKさんの自分史です。
Kさんはあまり努力することなく、節目節目で無難な選択を繰り返してきたな、というのが私の最初の印象でした。
しかし、よく考えると精一杯、自分らしい生き方を探して来たようにも思えます。
特に、転職した電気会社で修理の仕事に配属されて、「初めて仕事が楽しいと思えた、」という箇所が印象的です。
それまでの様々な経験があったからこそ、Kさんは、人に感謝されることの喜びをそこで知ることができたのだと思います。
Kさんには、途中で投げることなく、取り組み続けたものがあります。それは大学の工学部での学習です。
この本の中で「ライオンに追われたカモシカの話」が紹介されています。
カモシカは、自分の立派に見える角(つの)が自慢でした。
そして、自分の細い足には劣等感をもっていました。
あるときライオンに追われて逃げるとき、大きな角は邪魔になりました。
ライオンからカモシカを救ったのは、いつも劣等感を持っていた細い足でした。
Kさんを救ったのも、自分では半ば劣等感をもって取り組んでいた工学部での勉強でした。
そこで身につけた知識と技術が、転職した会社で力を発揮したのです。
今日の聖書です。「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。」
家を建てる大工が、使い物にならないものとして退けた石が、家を支える重要な石になったというのです。
「これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと。」
神様のなされることは、私たちの思いを超えている、詩人は驚きをもって歌います。
私たちの人生も、それが無意味だと思っているものが、かえって私たちを支えてくれることがあります。
自分では欠点や短所と思っていることも、長い目で見るとその人に必要で大切なものかもしれません。
その恵みを覚えて、今日も一日の学びに励む者でありたいと願います。