自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2011/06/07
<「気づいたことなんですが」>
昨年度からみぎわ館に入るようになって驚いたことの一つに、礼拝後の連絡の時間がありました。
礼拝後、司会者の「何か連絡がある方はいらっしゃいませんか?」との呼びかけに、手を挙げ「気づいたことなんですが…」と始まります。
「洗濯機の使用が終わったら、次に使いたい人が困るので、なるべく早く洗濯物を取り出して下さい。」や「最近館内を走る人が多いです。勉強している人や、寝ている人もいるので、気をつけましょう。」、「廊下掃除をした後、洗剤がこぼれていたり、ゴミが落ちていたりしました。汚したときは、自分できれいにしましょう。」など。みぎわ館で生活している中で、困ったなあとか、ここは気をつけた方がいいということを、気づいた人が気づいた時に伝えてくれます。また、伝え方も様々で、切実な思いで伝える人もいれば、厳しく伝える人、自分のエピソードを交えながら柔らかく伝える人もいます。
公の場では、3年生の委員長が注意を促すのが常だと思っていた私は、3年生全員がそれを行っていることや、2年生や1年生も手を上げることに驚かされたことをよく覚えています。更に今年度は、3年生が気負うことなく、1、2年生が気兼ねすることなく、“気づいたこと”を伝えあっています。学年を問わず手を上げられる雰囲気を作っていてすごい!と森口先生と話題になりました。
育って来た環境や価値観が違う45人での暮らしは容易ではありません。違和感や不都合を感じた時、「自分だけかも」と我慢しようとする人もいれば、すごく苛立ちを感じる人もいると思います。そこに留まらず、皆で共有すべきことかそうでないかを考えて判断している皆さんに感心させられます。より気持ちよく生活したい、誰にとっても居心地の良い場所にしたいという思いを持って、気づき合える・伝え合える前向きな習慣、これからも続けていってください。
(冨井)


<礼拝のお話>
*N.Y.(3年生)
私は今、デッサンに取り組んでいます。まだ絵についてもデッサンについても、ダメダメな物しか描けません。しかし、その中でも、気付いたこと・発見したことがありました。それは、共通性と言うものです。ここでの共通性とは絵と人間の在り方などについてです。
例えば、「もっと全体的に絵を見て見なさい。」とよく言われるのですが、この言葉にも私は絵と人間の在り方とのつながりを感じます。私は、この言葉は絵の事だけに限らず、「一つの事だけに集中するのではなく、もっと物事を全体的に捉えろ」という意味ではないかと思いました。
こんな風に考えることにより1つ1つの個を、1つの絵の中につなげる事で、一つの絵として全体が成り立っていることに気付くことが出来たのです。ですから、私は絵を描きながら「あなたのここの影はあそこの影と同じくらい暗いのね!」と発見をしながら、心の中で会話をしているのです。それはすごく面白くて不思議と笑みがこぼれてきます。
しかし、これがもっとできるようになるには「よく見てあげる」という壁が待っていました。この問題は頭で考えても、目で見ても、聞こえてこない問題だと思うのです。きっと深く突き詰めていけば、つきつめていくほど、未知の世界が広がっていくのでしょう。
他にも「客観的にみる」ということを発見しました。デッサンでは、冷静に目の前におかれたものを見るという、私にとって難しい問題があります。1つの物に集中して熱が入ってしまう私は、これを乗り越えるまでにはそうとう修行しないと習得できない技です。
しかし、この問題も人間関係に当てはまると思うのです。それは、あまりに熱が入りすぎて、指摘された言葉に耳を傾けず、ひたすら走っている時によく起こりがちです。頭に来る時も一旦自分を見直し、冷静になることで見えてくる点もあると思うのです。
このように、様々な点で「見つめてみる」という事は、自分の心の糧につながることだと思います。また私はそれを見つけるためには、好きな事を一つ、続けてやってみる事だとも思います。どんなことでも構いません。あなたが続けられることに刺激や発見、また探求が待っているのではないでしょうか。
(5月11日)
*U.Y.(3年生)
五月晴れのキラキラした毎日、皆さんの心は晴れていますか?五月病と呼ばれる雲が心に押し寄せて来ていませんか?私もそのうちの一人です。
目の前のうまくいかない現実から逃げたくて、疲れて、嫌になっちゃいます。人に頼ってばかりで、何もしようとしないフェスティヴァルのチーフとしての私。漫画1冊読んだら…と言って結局しないテスト勉強。努力すること、その努力を継続することの大変さを感じます。しかし、こんな私も中学生の頃よりはましなのです。
中学まではテスト勉強なんて提出しなければいけない物だけやり、あとはほぼしていませんでした。成績は丁度真ん中。特に上に行こうなんてあまり考えず、「まぁ普通でいいや」と思い、努力なんてしなくていいと思っていました。他の事でも特に頑張ろうとは考えず、なんとなく与えられた分だけをこなしていました。努力する意味が分からずにいました。しかし、敬和に来ていろいろと努力したい理由ができました。私にとっては大きな2つの理由があります。
一つ目は「敬和に来た」ということそのものです。敬和は本当に素敵な学校です。どうしても来たかったのです。しかし私立で寮生ということで、少しでも安く行けたら…と思い特待生を目指しました。そして「目指す!」と決めた時、中3の私は初めてしっかりと勉強し頑張ろうと思いました。目標が出来たからです。
敬和に無事入学が決まったし、私は特待生としての責任を想い、誰よりも努力しようと自分自身に誓いました。(…最近はさぼり気味ですが…)そして、いくら少しのお金の援助を貰えたとしても、多額のお金を私のために払ってくれている親を想います。私はそんな優しい両親のためにできる事は、すべての事に努力して取り組み、楽しむことだと知りました。敬和と言う場所に居られることへの感謝、そして責任のため私は努力しています。
理由の2つ目は、大好きな人たちが居るからです。私は敬和でみなさんに出逢いました。また、学校や違う館でも本当に素敵な人たちと出会いました。繋がれました。私はそんなみなさんの笑顔が大好きです。そんなみなさんの笑顔のために、自分に何かできる事があるなら、私にとってそれは幸せです。だから、私にとって努力は幸せです。寮や学校、フェスティヴァルでの私の役割。そして誰かに対する日々の寮での「気遣い」と呼ばれる行為。その一つ一つへの努力。そのお陰で、誰かが少しでも幸せになれるなら、私は努力をやめられません。そして何よりも、そう思えるようになった私が、誰よりも幸せ者なのかもしれません。
努力はなかなか実を結んでくれなくて、苦しいだけの時もあります。また、誰も見ていない所では、特にそうです。しかし、確実に自分自身は変わっていけます。いつか誰かの笑顔につながります。ぜひ負けずに立ち向かい続けてみてください。今の自分が未来を拓くのだと思います。
しかし、休むことも大切!しんどかったら休んでください。全てを忘れて、ゆっくりするときも、思いっきり泣いちゃうことも、すごくいい事です。頑張っている人に頑張れとは言えません。何もできない私が「何様!?」って感じですが、誰かのために何かをしたいと思っています。いつも支えてもらってばかりの私だから…。もし、こんな私でいいなら、たくさん話聞かせてください。心配させてください。私はみんなの笑顔が大好きです。24時間365日、皆さんのために無料でお話聞きます!
生きていると目の前の現実といつも向き合って、それぞれの荷物を常に持ち続けなければいけません。でも、その荷物は旅の途中に必要なものばかりです。どうか、投げ出さず一生懸命進んでいって下さい。人は、努力している時が一番輝くと思います。今頑張るみなさんの未来が素敵なものであることを祈って…。
(5月16日)