毎日の礼拝

校長のお話

2007/03/01

「ウィークポイントが魅力の源」

聖書:コリントの信徒への手紙Ⅱ12章9~10節
私は男三人兄弟の真中です。
真中の私は兄と弟にずっとコンプレックスを持っていたことがあります。
それは話すことについてです。
11歳上の兄は中学の時から「伝説の男」といわれるくらいの花形でした。
スピーチコンテストでは賞を貰い、生徒会の会長として強烈なリーダーシップを取っていました。
8歳下の弟は小さい時から「さちおちゃんはいつもおもしろいね」というように、周囲の人を笑わせたりホッとさせたりする言葉が巧みでした。
今は時々専門の経済のことでテレビやラジオに出演しています。
話すことを「話術」という言い方をします。
うまく話せるのはそういう才能があるからです。
兄と弟は話が上手な母親の才能を受け継いでいるたのです。
そんな兄弟の間に挟まった私は小さい時から話すのが苦手でした。
ケンカや言い合いになった時、うまく言えなくて、後からあの時にはこう言えばよかったと何度も情けない思いや悔しい思いを繰り返しながらの子ども時代でした。
どうして自分は兄や弟のようにうまく話せないんだろう、どうして自分だけおかあちゃんの才能を貰うことができなかったんだろう、と思っていました。
話がへたくそ、しょっちゅうかんでしまう、そういう自分が嫌でした。
ですからまさか牧師になるとは思っても見ませんでした。
それは牧師が話すのが仕事だからです。
日曜日の礼拝で行う説教、これは牧師にとって生命線です。
説教がうまいかそうでないかで評価されと言っていいほどのものです。
教会に来る人のいろんな悩みや相談に乗り、適切なアドバイスをしなければなりません。
私は自分には話す才能がないとわかっていましたから、牧師のような仕事をすることになるとは思っても見ませんでした。
でも「何だかんだ」しているうちに歳を食ってしまい、他の仕事をする可能性もなくなり、気がついたら一番苦手な分野の仕事である牧師になっていたという次第です。
話すが苦手と言うことは文章を作るものあまりうまくないということです。
ですから牧師になってからは、話すことへのるコンプレックスがさらに強くなっていきました。
そういう私が自分はダメだとのコンプレックスから解放されることに出会いました。
私は牧師になってしばらくして、京都から札幌に行くことになりました。
札幌に一人の先輩牧師がいました。
その牧師さんの話し方には言葉に「表情」がありました。
説得力がありました。
聴いている方がそうだなるほどと思う、たいへん魅力のある話し方をする人でした。
わたしもこういう話し方ができたらいいなあと思いました。
もう一人は朝早くあるラジオの聖書の時間に出ている牧師さんでした。
その牧師さんの話し方は聴いている方を包み込んだり、引き込んだりするような感じがありました。
私が話し方にあこがれた二人の牧師ですが、お二人には驚くべき秘密があったのです。
それを知った時私はたいへん驚きました。
そして、それなら、自分にもやれそうだという希望が湧いてきたのです。
二人の共通の秘密、それは吃音だったということです。
簡単にいえば「どもる」ことです。
緊張すると、言いたいことがうまく言葉にならない、出てこないのです。
話をするためには一番邪魔になりそうなものです。
お二人ともその吃音をお持ちだったのです。
札幌の牧師さんは緊張するとどもるために、招いてもらえる教会がなかなか見つからなかったそうです。
ラジオの牧師さんもまた緊張するとうまくはなすことができず、それを小さい時からずっとからかわれてきたそうです。
そのために自殺まで考えたことがあるとのことでした。
私が出会うまでに、魅力のある話し方をされる二人の牧師は相当の苦労とそして努力をされてきたわけです。
二人の先輩牧師の話し方に魅力があるのは、才能があるからではありませんでした。
むしろないほうがいいと誰もが思う吃音、しゃべるためにはマイナスであるはずのそのことが話し方の魅力の源になっているのです。
聖書の言葉がそのまま現実となっています。
「・・・力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」「・・・わたしは弱いときにこそ強いからです」。
その人の弱点(ウイークポイント)はなくしてしまうべきものではない、それがむしろ魅力の出発点になっていると言うことです。
ウイークポイントから目をそらすのではなく、しっかりと向き合う、そこにむしろ輝きが出てくるということです。
話すことにおいて、二人の牧師に才能があるとしたら、それは自分のウイークポイントから逃げ出さないということでした。
そして逃げ出さない強さは、イエス様を信じることからもつことのできる強さだということです。
自分が才能を持っているかどうかはわかりません。
でも誰でも弱さはもっているのです。
そしてその弱さが私たちを光らせる力になるのです。
私はこの真理にいつも励まされています。