のぞみ寮通信

のぞみ通信

2022/07/12

のぞみ通信 2022年7月11日 第273号

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題字 めぐみ館3年 H.Sさん

 

 

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オンライン沖縄学習会 6月23日、27日 講師:野間光顕先生

 

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 今日は「沖縄慰霊の日」です。77年前の今日、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日とされています。沖縄は太平洋戦争中、日本で唯一、地上戦が行われた場所です。太平洋戦争での日本人の死者は約3%ですが、沖縄では25%と言われています。今も、在日米軍施設の約70%が沖縄に集中しています。

 1945年4月1日、米軍は沖縄本島中西部から上陸。住民は皆、ガマ(洞窟)や大きなお墓に隠れました。今年、3年生が修養会で宿泊する読谷村のホテルの近くに2つのガマがあります。チビチリガマシムクガマです。時間があればぜひ行ってみて下さい。ガマに避難した人々には共通の願いがあったはずです。それは「助かりたい。生きたい」です。しかしこの2つのガマに避難した人達は、対照的な結末を迎えます。

 チビチリガマに避難した140人の内83人が肉親同士で殺し合うという「集団自決」によって亡くなりました。その半数は18歳未満の子供達です。当時は、米兵に捕まると惨い殺され方をすると教えられていました。だから、米兵に捕まって死ぬよりは「今死のう」「みんなで死のう」「私を殺してくれ」「わが子を殺さなくては」という信じ難い精神状態になったのです。手榴弾や鉄砲があればすぐ死ねたでしょう。でも手榴弾が不発で死ねない。だから、その辺にある、鎌で、ナタで、それもなければ、木で、石で、肉親を、我が子を殺したのです。皆さんは「自分が最も愛する人を殺す」という現実を想像できますか?それが現実に出来てしまうのが、戦争の恐ろしさです。

 一方、シムクガマでは「集団自決」は起こりませんでした。米兵がこのガマに近づいた時、洞窟内はパニックになります。その時、比嘉さんというハワイからの帰国者が「アメリカ人は人を殺さないよ!大丈夫だよ!」と、人々を説得して、投降へと導き、全員の命が助かったのです。何を知っているか、何を教えられて来たかが、生死を分けたのです。

 私の子どもが生まれた時、この子達に見せなければならないことを考えました。それは私の場合、ヒロシマ・ナガサキ沖縄です。長男が高3の時に沖縄へ。大学生の時にヒロシマへ、家族全員で行き、戦争の爪跡をじっくり学びました。人間は何をしかねないか。今のウクライナを見れば、人類がいかに愚かか、そしてそれがいかに取り返しのつかない悲劇となるか理解できますね。

 皆さんには、この争いの多い世界に、愛と平和を実現する自立した若者に育ってほしい。そのための学びを今日もして行きましょう。(6月23日全校礼拝より)

 

 

 

 

♢寮生リレー・フェスティバル♢

「自分の信じる道」 H.R(光風館3年・富山県)

 今回、私はフェスティバルで総合チーフをしました。人前に出て、みんなを引っ張る大きな仕事は、これが初めてです。しかも、2日間開催のフェスティバルは、私たちにとって初めてです。何がどうなるかわからなかったこともあり、困ったことがたくさんありました。

 ある日の連合活動で、合唱練習をしていると、後ろの方で練習にあまり参加せずに、遊んでいる人が数人いました。そのときに、私はどうやって注意をするべきか悩みました。友達と相談したこの日は、強めに言うのではなく、「静かに」と控えめに注意しました。もしかすると、このときにもっと強く言っておけば良かったのかもしれませんが、本番では真面目に取り組んでくれたので良かったです。

 フェスティバルを通じて学んだことは、自分を信じる道を歩むことが大切だと言うことです。この世の中には、完璧な道はないと思っています。自分の道を進む中で、「これはどうなるのか」などとても不安になることがあります。失敗するかもしれない。そして、もし失敗したのなら、友達や家族や恋人に助けを求めてください。その人たちは必ず助けになってくれます。だから、自分の行きたい道を好きなように行こう。私は、最終的に楽しかった。それを今回のフェスティバルを通じて、確信することができました。

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フェスティバル1日目 連合アピール

 

 

「嫌いがチャンスに変わるとき」 K.E(みぎわ館3年・新潟県) 

 私は、みんなと一緒に歌う事が嫌いで、今まで口パクを貫いてきました。今年のフェスティバルもそのつもりでいましたが、そんな私がパートリーダーを務めることになりました。

 何故、私がパートリーダーを務めることになったのか、それは、人材不足だったからです。合唱チーフからパートリーダーを頼まれたときは、絶望的でした。「今年は歌わなくてはならないのか」と。チーフの熱意で、私は引き受ける決断をしました。けれど、当然自信はありません。これを機会に「やってやろう」と決め、今まで苦手で目を背けていたことに挑戦する勇気を出すことにしました。

 先生からの指導を練習に生かしたり、声がけを工夫したりなど、自分から行動することを意識したら自然と声が出るようになり、歌声を合わせる度に歌う楽しさを感じられるようになりました。特に、みんなとチャペルで歌ったとき、全員の歌声が重なる素敵な瞬間はとても美しく、幸せを感じました。合唱練習を通して、大変な事もあったけど、今ではその事さえも、大切な出来事であったと思えます。「安全地帯」から飛び出した時に、大きなチャンスが来る事を学びました。今、まさに私がその時なんだと実感します。

 最後に、私にとって歌は「ただ嫌い」から「嫌いだけど楽しんだ」という気持ちに変わりました。これからも嫌なことから恐れずにもっと前へ進み、新しい自分を見つけていきたいです。

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フェスティバル1日目 合唱

 

 

 

「悔しさをバネに」 K.H(大望館3年・新潟県)

 私は、人生で二度しか演劇を見たことがなく、一度も面白いと感じたことがなかった。私が演劇チーフをやることになった時、「演劇を面白いと思ったことがない人でも楽しめるものにしよう」を第一に作ろうと考えた。結果は最下位だったが、自分の目標を達成出来たと言える。たくさんの人から「白雪姫、面白かった!富士連合の演劇、良かった!」と言われた。

 しかし、今の私はそれだけで満足な結果だったと思うことが出来ない。なぜなら、みんなが頑張って作ったにも関わらず、結果を残すことが出来なかったからだ。もし、自分一人でやって、この結果なら何とも思わないだろう。面白いものを見せられたことに満足するはずだ。

 これはたくさんの人を巻き込んで取り組んだことだ。役者や裏方として参加してくれた同級生と後輩たち、備品の貸し出しや小道具の買い出しに手伝ってくれた先生方。たくさんの人に協力してもらって一つの作品を作った。もし、誰もまともに協力してくれなかったら、微塵も悔やむことはなかっただろう。しかし、私は役者や裏方の人たちが放課後だけでなく、休日までも時間を割いて練習してくれたことや積極的に意見を言ってくれたことを知っている。だが、順位を残せなかった。このことが本当に悔しい。

 もっと人に意見を求めていれば、もっと演劇についての知識を集めていれば、もっと想像力を働かせていれば、最下位にならなかったのでないかと未だに思ってしまう。この悔しさをバネにして、次に繋げていきたい。

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フェスティバル初日 チーフ紹介

 

 

「一番好きになったフェスティバル」 T.M(めぐみ館3年・新潟県)

 私にとってフェスティバルは、とても大切な行事です。なぜなら、私が敬和学園に入るきっかけになったからです。中学生の私は、敬和学園ではなく、違う高校に行きたいと思っていました。けれど、家族には敬和学園を勧められ、フェスティバルのオープンスクールに参加しました。先輩達が輝いているのを見て、とても楽しそうな雰囲気を感じ、その先輩達に憧れて入学を決めました。

 1年生と2年生の時は、引っ張ってくださる3年生についていきながら楽しみました。3年生になり、ついていく側から引っ張る立場となり、後輩たちをまとめながら、自分の仕事をこなしていくことは大変でした。ダンス部門に入り、合唱のパートリーダーも任され、1・2年生の時とは比べものにならないほど忙しくなったフェスティバル期間でした。

 競技部門一位を取りたいと思っていた私は、競技チーフになりました。結果、第一位を取ることが出来ました。しかし、私一人の気合いだけではなく、みんなの協力や団結があったからこそ取れた一位だったと思います。私のミスで減点をしたこともありました。それは、もう一人のチーフに仕事を完全に任せてしまい、情報共有が出来ていなかったからでした。そこから私はコミュニケーションの大切さを学び、その後は今まで以上に、もう一人のチーフと関わるようになりました。

 当日、連合全体に声をかけて最後まであきらめずに頑張った結果、大変なこともあったけど、高校生活で一番大好きで最高の行事になりました。

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フェスティバル2日目 表彰

 

 

 

 

 

♢寮生リレー・前期を振り返って♢

「気づき。そして挑戦」 N.K(みぎわ館2年・新潟県)

 敬和生活2年目の前期、私は寮でも学校でも先輩という立場になりました。今まで後輩という存在がいたことがあまりなかったので、初めは「先輩」というものがよくわからずに先輩になることにプレッシャーを感じていました。

 実際に寮だけでなく学校や部活でも先輩として動くうちに、私はあることに気づきました。それは、先輩は最初からすごい先輩なんじゃなくて、ゆっくり時間をかけて沢山のことに気づきながら、少しずつ先輩になっていくのだなということ。後輩がいてくれるからこそ、精神的な面でも先輩にさせてもらっているのだなということです。55回生のみんなと出会うことができた私は、本当に幸せ者だなと感じました。

 また、私は学校生活でもクラスの評議委員になるという、自分にとって大きな挑戦をしました。一番大変だったことは、フェスティバルの学年種目、「大繩」でした。最初は、上手くいきませんでしたが、何度も練習するうちに自分から参加してくれる人が増えてきました。当日は、100回以上跳ぶことができて、それが「皆の協力があってこそのものなのだな」と思うと喜ばずにはいられませんでした。私はやりがいを感じられたこの挑戦をして心からよかったなと感じています。

 これからも前期で積んだ経験や得た沢山の学びを自分の糧にして私らしく日々を歩んでいきたいです。

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フェスティバル前日 丁寧に掃除

 

 

「自分が成長出来たところ」 M.R(大望館1年・新潟県)

 僕は、中学生のときに優しい先生と出会ってきました。勉強でわからないところを教えてくれたり、言葉遣いが良くないところを注意してくれたり、自分自身といろいろと向き合ってくれた先生でした。礼儀やマナーを身に付けることの大切さも教えてくれて、「僕もそうなりたい!自分磨きをする努力をしよう!」と決めました。

 進路相談のとき、母から「自分磨きのため、自立出来るようになるため、敬和学園へ行かないか?」と勧められました。その時、「今まで出来なかったことに挑戦したい!敬和学園なら出来る!」と思い、とても自分に合っている学校だと感じました。

 そして、入寮して最初に感じたことは、先輩や同級生が優しかったことでした。その出会いはとても嬉しかったです。僕は、周囲の人を嫌な気持ちにさせないように発言を控えて、気遣いを練習してきました。これは一つ目の成長だと感じています。

 寮生活では、洗濯を自分でして楽しさを感じたり、掃除のときは中学校で身に付けた技術を使いながら担当フロアを綺麗にしたり、食事当番では大望館の良さを残していくためにきちんと役割を担うことが出来ました。これが二つ目の成長だと感じています。

 これからもメリハリのある生活を送り、自立出来るようになりたいです。そして、来年になったら背中を追ってもらえるような先輩になりたいので、これからも努力していきます。

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食事当番を頑張る大望生

 

 

〜寮務教師の一言〜

「大切にしたいこと」  女子寮 小林 渚

 3年ぶりに2日間開催ができたフェスティバル。のぞみ寮物産展のブースに立ちながら聞こえてきた生徒たちの大きな声援と、グラウンドに鳴り響く音楽に心わくわくしました。熱気に包まれ、生徒一人ひとりが一生懸命に取組む姿には、本当に励まされました。物産展に立ち寄り、声をかけてくださった保護者の皆様と、挨拶や言葉を交わしたその時間は、とても嬉しく恵みの時となりました。ちむどんどんしっぱなしの2日間でした。遠くから祈り、生徒一人ひとりを支えてくださった保護者の皆様に心から感謝します。本当にありがとうございます。

 「ちむどんどん」と言えば、朝8時、めぐみ館ラウンジのソファに座り、NHKの朝ドラ「ちむどんどん」を毎朝欠かさず見ているめぐみっ子がいます。第54話のラスト1分間。私は、はっとさせられました。

 沖縄から上京し、シェフになる夢を叶えるために、日々、料理の修行を積む主人公の暢子。働くレストランのシェフがケガで入院してしまい、シェフ代行に抜擢されますが、入院したシェフのようにしっかりやろうと思えば思うほど、職場の仲間に対して強気に命令したり、意地を張ったりしてしまい、職場の仲間との間には溝が生まれ、厨房を上手く仕切ることができないでいました。そんな暢子に入院中のシェフは、「あなたらしさを忘れずに仕事をしてください」と励まします。私らしさとは、私のいいところとは何だろうと暢子は考えますが、自分では答えが見つからず、電話で母に相談します。すると母は、暢子のいいところは、「ありがとうとごめんなさいが大きな声で言えるところ」と伝えます。すると暢子は、「やっと答えが見つかった!」と、次の日、職場の仲間に、意地を張り強気でいた自分のことを謝り、みんなの力をかしてくださいと伝えるのでした。

 ありがとうとごめんなさい。とても簡単な言葉ですが、恥ずかしいことに、のぞみ寮に勤め始めたばかりの私には言えない言葉でした。そんな私に、当時、一緒に働いていたM先生が、「失敗したら、間違ってしまったら、『ごめんなさい』でいいんだよ」と教えてくださいました。仕事で分からないことがあれば、自分ができないことは恥ずかしいと思わず、「助けて欲しい」と伝え、そして力をかりたら「ありがとう」を伝えることが大切。日々の忙しさに追われて忘れかけていた「自分が大切にしたいこと」をふと思い出した瞬間でした。

 フェスティバル、そして部屋替えが終わった頃、めぐみ館1年生で「自分が大切にしたいこと」を共有し合いました。何か一つ終わっても、一日一日の歩みは止まることなく進んで行きます。悩んだり気持ちが落ち込んだり、忙しさに追われたりするとつい忘れてしまう、自分が大切にしていること。心にしっかりとめて、生徒たちと共に過ごす毎日を私自身大事に歩んで行きたいと思いました。そして、他者を想い、他者と自分が互いに愛し合っていくためには何を大切にしながら歩んでいくかを、生徒達と共に考え、向き合っていける私でありたいと思います。のぞみ寮という場所で、共に神様もいてくださることも信じて……。

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フェスティバル表彰後

 

 

 

〜お知らせ〜

「寮祭の献金報告」

 4月に行われました寮祭でお預かりした献金は、合計150,550円でした。全額を、キーウ市立子ども神経外科センターと国連難民高等弁務官事務所に献金いたしました。ご協力ありがとうございました。

 

 

「のぞみ寮物産展」

 フェスティバルの2日目、3年ぶりに「のぞみ寮物産展」を開催することができました。保護者の皆様から、物産展のためにたくさんの献品をいただきました。送ってくださった品物の説明やポップ、地元のPR等、皆様の気持ちが伝わり、とてもうれしく使わせていただきました。ありがとうございます。今年の総売上は、232,000円になりました。収益は、のぞみ寮のために用いられます。

 いただいた献品の中に差出人のお名前がなく、お礼のはがきを出せなかった方がいらっしゃいます。この場をかりてお礼申し上げます。ありがとうございました。

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「2022年度 語ろう会について」

 のぞみ寮では、保護者の皆様との交流の場を設けたいと思い、夏休み前の保護者面談(7月25日(月))の午後に「語ろう会」を計画しています。後日改めて、詳しい案内をお送りいたします。ご予定に加えていただけるとありがたいです。