自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2007/06/01
聖書:マルコによる福音書 7章24~30節
ずいぶん前のことですが、「わたしはこれで会社を辞めました」というのが流行りました。これというのはタバコのことです。
禁煙パイプのメーカーのCMで使われました。
このCMによって、そのメーカーの禁煙パイプは爆発的に売れました。
しかし高校にとってこのフレーズは笑えない面もあります。
それはタバコによって敬和学園を辞めなければならなかった人も実際にいるからです。わたしは「わたしはこれで会社を辞めました」を少し変えて使うことがあります。
「わたしはネコで教会を辞めました」これがわたしのフレーズです。
この言葉に込めたわたしの気持ちは「自分は一生絶対にネコは飼わない」です。
ネコで教会を辞めたというのは、ほとんどシャレですが、ネコは絶対に飼わないは、わたしの本心でした。
そのいきさつは今から20数年前の牧師として最初に勤めることになった教会・保育園での2年間に関係します。
保育園には動物がたくさん飼われていました。
ニワトリ、ウサギ、それにヤギ、処分に困り持ち込まれたアライグマやタヌキもいました。
当然犬もネコもいました。
特にネコは近所の人の飼うことができないと持ち込まれたペットや捨て猫、そしてそれらのネコが子どもを産むということがあって、最初数匹だったのが、2年後には30匹を超えるまでに増えていました。
増えた理由は「猫かわいがり」という言葉があるように主任牧師さんがネコの魅力に取り付かれたからです。
牧師さんはネコに聖書の登場人物の名前をつけました。
旧約聖書からはヤコブ、イザヤ、ダニエル、新約聖書からはヨハネ、シモンというイエスの弟子をはじめネコに聖書の登場人物の名前がついていました。
ネコは放し飼いですから、それだけ多いといろいろ問題が起きてきます。
近所迷惑なことをいろいろやってくれます。
当然苦情の電話がひんぱんにかかり、時には怒鳴り込んで来る人があります。
牧師さんはネコが下痢をしたり、病気になるとかわいそうにと礼拝堂の中に入れます。
そうするとどうなるのか・・・、ネコのオシッコとフン、その臭いは強烈です。
こうしたことが2年続き、そのおかげでわたしはすっかりネコが嫌いになりました。そして札幌の教会に行くことになったとき、自分は一生絶対にネコは飼わないと誓ったわけです。
ところが20年数年経った2年前のことです。
当時14歳になっていたわたしの家の月丸という柴犬のそばに1匹のネコが出没し始めました。
月丸は少し前までならネコの姿を見ると、われを忘れて追いかけていたのですが、年老いてその元気もなくなり、そのネコが傍に来ても見ているだけでした。
はじめはスキを狙ってドッグフードを食べていたネコですが、そのうちに月丸と並んで食べるようになりました。
妻と娘はそれを楽しんでいましたが、わたしはかつての体験から反射的に追っ払っていました。
しかし何度追い払っても、やってきては、月丸を盾にして食べ物にありつこうとします。
必死に生きようとするその姿に次第に「ひたむきさ」を感じるようになりました。
やがて、名前をつけてやろうということになり、寮生を中心に募集したところ、月丸の相棒だからということで「織姫」に決まりました。
その後、娘の「織姫、子ども産むんとちがう」の一言から放っておけなくなりました。出産と生まれてきた3匹の子猫の貰い手探し、不妊治療のために動物病院に連れて行く、1日2回のえさやり、スーパーに買い物に行けば、キャットフードがなくなっていないか、ふっと考えたりとする自分になっていきました。
夜外出先から帰って来て、駐車場に車を止めると、エンジン音で判るのか、織姫は音もなくスクールバスの下あたりから出てきて、わたしの前を斜めに横切り、前のランチホールのエアコンの室外機のところでいったん立ち止まり、そこから再び斜めにわたしの家の前まで先導をしてくれます。
ごみステーションに行こうとすると、やはりどこからか現れ、一緒に散歩をするかのように斜め前を歩きます。
そういう姿と様子を見せられると、昔のことを考えるとちょっと悔しいですが、とてもいじらしく思えます。
こういう話をしながら思うのは、わたしが一匹のネコについて好意的な話をすること自体、わたしは変えられたということです。
わたしは織姫に出会ったわけです。
出会いによって、自分の意志とは関係なく変えられたようです。
別に望んでもいない出来事を通して変えられたのです。
それを当事者である織姫の側から言えば「ひたむき」に生きることによって、周囲の人の自分に対する見方を変えることができるということです。
織姫は、自分が望むような状況を、「ひたむきに」取り組むことによって実現できるということを、必死に生きることを通してあらためて教えてくれたと思います。
今日の聖書には一人の女性の「ひたむきな」な訴えと生き方によってイエス様でさえ気持ちを変え、受け入れられるようになったことが記されています。
織姫と聖書の女性が教えてくれているのは、一人ひとりが本当に大切にされる世の中、平和な世界の実現も、自分自身があきらめることなく、ひたむきに考え取り組むことから、必ず実現できるということです。
身近なことで言えば、フェスティヴァルの成功も各チーフや実行委員を始めとするみなさん一人ひとりのひたむきな姿勢と取り組みがあってこそということになります。
明日から始まる第1定期テストもひたむきに取り組んでください。
結果は必ずついてくる、それを信じて自分の課題に取り組みましょう。