お知らせ

2022年3月号より「日常のかがやきと希望」

校長 小田中 肇

 52回生の皆さまの卒業を心よりお祝いいたします。皆さんの過ごした三年間は、新型コロナ感染症のために、今まで経験したことのない学校生活になりました。感染を防ぐために、三密を避けることが絶えず呼びかけられました。2年生に進級したときも、三か月の休校期間が設けられ、新入生との出会いは先延ばしになりました。休校期間が明けて学校が再開したときは、寮生と通学生との分散登校になり、久しぶりに会えた仲間とも距離をとらなくてはいけませんでした。それは、人との関わりを大切にしている敬和学園として、大変、厳しい状況でした。
 しかし、新型コロナがもたらしたものは悪いことばかりではありません。コロナ禍だからこそ、私たちは日常の大切さに気付かされました。人と会って話をしたり、一緒に食事したり遊んだりすることが、こんなに大切なことなのかと教えられました。
 例年ならば、当たり前のこととして行われていた学校行事も、感染対策によって実施できたときは、特別、貴重な経験に感じられました。52回生がつくりあげたフェスティバルは素晴らしいものでした。幸い天候にも恵まれ、エンディングでは学校全体が一つになるのを感じました。この日のことは全校生徒の心に刻まれていると思います。

日常の大切さ
 コロナのために、自分たちは特別なことは何もできなった、と思う人もいるかもしれません。しかしそれは違います。こうして卒業の日を迎えることができたのです。今日の日を迎えるまで、皆さんはそれぞれが人知れず、毎日小さな闘いを闘ってきたはずです。
 何のための闘いでしょうか。普通に生活するための闘いです。普通の生活とは、私たちの日常のことです。日常の生活それ自体が価値のある、輝いている時間なのです。そのためにそれぞれが、このコロナ禍の中で小さな闘いを闘ってきました。この経験は近い将来、コロナが収束し日常がもどったとき、皆さんのなかで必ず大きな花を咲かせるものとなるはずです。

日本人と学び
 ところで、日本人は学ぶときには大きな力を発揮するが、現状に満足し学ぶことをやめるときに失敗を犯すと言われます。
 かつて昭和の指導者たちは遅れたアジアの国々を教え、導くと称して戦争を始めました。彼らからは、明治の指導者たちのような学ぶ姿勢が失われてしまっていたのです。
 1945年の敗戦を機に、日本人はそれまでのあり方を反省し、再び学ぶことに熱心になりました。二度と戦争を行わない、平和な民主主義国家を作るために、人々は立ち上がりました。そのときの思いは当時制定された、日本国憲法、教育基本法の条文に表現されています。
 今年で戦後七七年になります。もちろん様々な失敗や破れはたくさんありました。しかし幸い、日本は決定的に大きな過ちは犯してはいないと思います。それは敗戦の焼け野原から、新しい国を造ろうとして立ち上がった、多くの人々の学びとそれに続く人たちの努力があってのことです。
 だからと言って、このままでよいということではありません。皆さんが巣立ちゆく社会は、今までにないほど分断と格差が拡がり、気候変動など様々な環境問題があります。最近の異常気象は誰の目にも明らかで、このままでは取り返しがつかない状況になることは明白です。
 先進国を中心に、豊かな暮らしを求め、国民総生産を増大させていく中で、経済的格差が拡がり、それとともに地球環境に大きな負荷を与え続けた結果です。しかもその被害は先進国ではなく、貧しい途上国の人々を襲っています。

コロナ後の世界と希望
 私たちは、今、再び学ばなければならない時を迎えているのだと思います。かつてのようにアメリカやヨーロッパから学ぶだけではなく、アジアやアフリカ、イスラムの国々からも学ばなければなりません。
 また大人たちからだけではなく、幼い子供たちの生き方や感性からも学ばなければなりません。さらに人間だけではなく、この同じ地球に人類よりはるか昔から生きてきた、他の生き物たちの生態からも学ばなければなりません。そこには、持続可能な生き方のヒントがたくさん隠されているはずだからです。
 敬和を巣立ってゆく、52回生の皆さんはコロナを経験し日常の大切さを学びました。コロナ後の世界には必ず新しい風が吹きます。それは可能性に満ちた時代でもあります。皆さんがそれぞれの場において、学びを深め、この世界の一隅を照らす、希望の光となって欲しいと願います。