自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2007/09/01
聖書:ヘブライ人への手紙 11章1節
最近見た映画で印象に残った1本に「夕凪の街、桜の国」というタイトルの映画があります。
広島に落とされた原爆を真正面から扱った作品です。
2部構成になっていて、主人公は二人の女性です。
1部の凪の街は1958年(昭和33年)の広島市を舞台に、被爆して生き延びた女性の10数年年後の心の移ろいを描いています。
2部の桜の国は舞台が1987年頃から2007年の東京で、主人公は被爆2世の女性です。
田中麗奈が演じています。
2人の主人公には共通点があります。それは原爆とその後遺症を思い出したくないということです。けれどその記憶を消すことはできず、ふとしたきっかけで蘇ってきて、そのために絶望的な気持ちしばしば陥ります。
原爆をテーマにした映画は、「はだしのゲン」のように原爆とその被害者を激しく生々しく描くことが多いのですが、「夕凪の街、桜の国」は原爆を真正面から扱っているにもかかわらず穏やか雰囲気をもっています。
原作はこうの史代さんという人のマンガです。
こうのさんが「夕凪の街、桜の国」を描くきっかけは出版社からの依頼です。
最初、広島を舞台にしたマンガを書いてほしいと出版社の人から言われた時、こうのさんは生まれ故郷の広島のことを思う存分描ける、広島弁をいっぱい使えると思って喜びました。そしてすぐにOKの返事をしました。こうのさんは広島と言われて、漢字の広島を思い浮かべたわけです。
ところが出版社の人が言う広島は漢字の広島ではなく、カタカナで書く広島、アルファベットで書く広島だったのです。「ひろしま」を漢字で書くか、カタカナで書くかには、おなじ「ひろしま」でも、大きな違いがあるわけです。
こうのさんはその違いがわかっていましたので、OKの返事をした次の瞬間しまったと思ったのです。 カタカタのヒロシマを描くとは、原爆が落とされた街のことを、そして放射能を浴びせられて被爆者となった人のことを描いてほしいということでした。
こうのさんは広島生まれですが、戦後の生まれですから直接被爆していません。
お父さんお母さんも被爆していなかったので、いわゆる被爆2世でもありませんでした。
そういう自分がヒロシマ生まれと言うことだけで、原爆や被爆者のことを描く資格があるだろうかと考えていたからです。
心の中で激しい葛藤をした結果、こうのさんは原爆のこと、被爆者のことを描くのは、広島に生まれた自分の責任であり使命と考えるようになりました。
そして「夕凪の街、桜の国」を書き上げたわけです。
ひろしまを漢字だけで考えるのか、それだけでなくカタカナのヒロシマ、アルファベットのヒロシマも考えることができるのか、沖縄を漢字だけでなくカタカナで考えることもできる、そこにどのような違いがあるのでしょうか。
敬和学園は毎日の教育の中で広島、沖縄を、カタカナで考えることを大切にする学校ということができます。
その敬和学園が大切にしている教育は何でしょうか。
中心にあるのはキリスト教教育に基づく全人教育です。それに加えて小人数教育、個人の尊重、労作教育、寮教育があります。
さらにもう一つ「国際的視野に立つ教育」があります。
国際的視野に立つ教育を説明してほしいと言われたら、どう答えますか。
国際的視野に立つ教育で敬和が何をしているかと尋ねられて、すぐにピンと来るのが、英語のことかも知れません。敬和学園は英語の教育に力を入れている。外国人の先生も4人いる。英検に熱心に取り組んで1級、準1級に合格する人もいる。アメリカ海外教室やオーストラリアの短期留学のプログラムも充実している。毎年留学する人が何人もいる。反対に留学でやってくる人もいる、と言うようなことを考える人、多いと思います。
そして、国際的視野に持った人と言うと、英語が話せる人になる。外国人相手に、あまり緊張しないでふつうにしゃべれる人になる。海外と取引をする国際的な会社に入ってバリバリ仕事をする。外資系の会社に入る。あるいは外国の文化をよく知った人になる、そんな風に理解していないでしょうか。
しかしそれだけだとしたら、それはちょっと薄っぺらいというか寂しい感じがします。
敬和学園が考える「国際的視野に立つ教育」の深い意味は、自分の気の合う人間だけのことを考える閉鎖的な人間関係ではなく、自分の内側に大きな世界を描けることができる、きちんとした世界観を持った人になる、まだ行ったことがない国や地域の人と出会うことができる、そういう人になることです。
そのためのコミュニケーションの方法として、知る手段や出会いの手段として英語を学ぶ意味があるわけです。
こうのさんは考えました。原爆はたまたま落ちたのではなく、アメリカによって落とされただと言うこと、原爆は過去のことではなく、今も被爆のために苦しんでいる人やその子どもがいること、アメリカは原爆を劣化ウラン弾という名前と姿を変えた形でイラクを中心とした場所に落とし続けていること、その現実をマンガを通して描き知らせていくことが広島に生まれ育ちマンガを仕事にしている自分の使命だと考えたのです。
こうのさんは最初原爆に関するものからできるだけ避けた生き方しようとしました。
けれど、出版社の人から依頼されたように無関係に生きることはできませんでした。
今劣化ウラン弾によって被爆をした大人や子どもがイラクには大勢います。そして被爆した子どもが生まれています。アメリカ兵にも大勢被爆しています。
そういう人たちの痛みや悲しみが今日本に生きている私たちと無関係ではなく、深く関係していること、遠いようであって実は私たちの生活と深く関係している、と言う感覚、感性を持つことが敬和学園で「国際的視野に立つ教育」を受けているみなさんの使命だということができます。
そして聖書は(国際的視野に立つ)感覚、感性を「信仰とは・・・」と言う言葉で表しているのです。
そういう意味での国際的視野に立つ人になる、そういう人を育てる教育を受けている、と言うことをしっかり自覚しましょう。そういう使命感をしっかりもちましょう。
それが自分を大きな人間に育てることにつながります。