毎日の礼拝

校長のお話

2007/10/01

「全力で愛する学校」

聖書:マタイによる福音書 5章46~48節
今敬和学園には中学校から学校説明会に来てほしいという依頼が次々にあります。
その依頼に応えて小田中先生や佐藤健一郎先生たちに出かけていってもらっています。学校説明会でもらえる時間はわずかです。
15分ぐらいのところがほとんどです。
その与えられたわずかな時間の中で敬和学園の特徴をわかってもらうためにはポイントを絞って、そしてキーワードを使って話す必要があります。
わたしも先週ある中学校の説明会に行ってきました。
その説明会でわたしがキーワードにしたのは「愛される」ということでした。
話しの始めに中学生に尋ねました。
「みなさんは自分が学校から愛されていると感じたことがありますか」。
学校から愛されていると感じることがあるか、という問いかけをされて、中学生はこのおっさん、突然何を聞くんやとびっくりしたかもしれません。
ほとんどの中学生が学校生活の中で「あなたは学校から愛されていると感じますか」というような質問はされたことはないはずです。
小学校中学校は義務教育です。
義務教育ということのもともとの意味は、どの子どもにも教育を受ける権利があるということですが、でも同時に学校に行かなければならないということでもあるのです。9年考えてみれば長いです。
その長く行かなければならない学校に、その学校から愛されていないと感じるなら、大切な存在として受けてとめてもらえなかったとしたら、これはたいへんな苦痛です。逆に愛されていると感じたら、たとえしんどいことやつらいことが起こったとしても学校生活は楽しくなります。
こういう話をここにいるみなさんは、しっかり理解してくれるのではないでしょうか。
それは、敬和学園では「愛される、愛する」ということの大切さとその意味を、日常的に考える機会がたくさんあるからです。
こうして行っている毎朝の全校礼拝と授業の中で、修養会などの行事を通してごく当たり前に考える機会があるからです。
敬和学園がそういう学校だとわかってほしいとの願いを持って話しをしたわけですが、愛されることをキーワードにしたのは、もう一つ理由があります。
それはわたし自身、学校から愛されるということを感じたことがなかったからです。
その原因はわたしにあったのだと思います。
学校や先生からすれば、どこか変わっていて扱いにくい生徒だったと思います。
何を考えているのか、わからなくて、クラスの人からすれば付き合いにくい人間だったかもしれません。
そういう意味で愛されにくい、好かれにくい子どもだったと思います。
そして長い学校生活の中であまり愛されていないということが、学校が好きになれない、そして何より自分で自分を好きになれない、自分自身を愛せなかった大きな理由だろうと今思っています。
そういうわたしがそれでも愛されていると感じることがあったとしたら、がんばろうとか一生懸命やろうという気持ちが出たはずです。
愛されているという実感が持てていたら、もう少し勉強しようという気持ちになれたかもしれません。
愛されるとは必要とされるということです。
人間は自分が必要とされていると思ったら、持っている力や才能をはっきすることができるのです。そして、何より毎日が楽しいと思えるのです。
そういう話から、敬和学園という高校は入学してきた一人ひとりを「愛するために一生懸命になる学校です」という話しをました。

敬和学園は、教育方針に個人の尊重、小人数教育をあげていますが、これは言い換えるなら、敬和学園は徹底的に違いと個性を持った一人ひとりを愛したいということであり、教育を受けるみなさんの側からいえば、愛されるということです。
それにしても敬和学園はどうしてそこまで違いを持った一人ひとりを「愛する」ということにこだわるのでしょうか。
それを教えてくれているのが今日の聖書です。
今日の聖書が示してくれているのは、愛されていることをしっかり実感できる時、それはただ受けるだけで終わらない。受身のままでは終わらない。
自分の方から愛さずにいられなくなる。自分の方から動き出したくなる、関わりたくなるということです。
敬和学園がそうなのです。
敬和学園が徹底的に一人ひとりを愛そうとするのは、それは敬和学園という学校自身が徹底的に愛されてきたと感じているからなのです。
6月の創立記念礼拝で話しをしてくださった方を覚えていますか。
校歌の作曲者であると同時に作曲家として有名な大中恩先生でした。
先生がお話しの最後の方で言われたことを覚えていますか。
それは新しい敬和の歌、敬和讃歌を作ろうと思います、ということでした。
みなさんはどのように受けとめましたか。
わたしは有名な作曲家だし、80歳を過ぎたご高齢だし、気持ちはありがたくいただこうと思いました。
悪く言えば本気にしていなかったのかもしれません。
ところが、先週大中先生からメール便が届きました。
お約束の敬和讃歌を作りましたと、手書きの楽譜と、そして仕事を一緒にされている作詞家の北島万紀子さんの自筆の詞を贈ってくださったのです。
しかも、これはわたしの敬和学園へのプレゼントですと書いてありました。
わたしはあらためて敬和学園が愛されているということを実感しました。
そして、大中先生と北島さんの愛に応える意味で、11月10日の40周年記念日には、何らかの形で敬和讃歌を歌わなければ行けないと思いました。
学校ができて40年、敬和学園はこういう形で愛され続けてきた学校であるということ、そして何より神様から愛されてきたからこそ、本当の意味で生きた学校になっているとことです。
そしてそういう学校から、自分がなおさまざまな形で愛されている自分をしっかり探し見つめてください。
そこから今日という一日が、この一週間がこれまで以上にすばらしい時になっていくはずです。