毎日の礼拝

校長のお話

2007/12/01

「あらしのよるに」

聖書:出エジプト記 14章21~22節
「あらしのよるに」という絵本があります。
アニメで映画化され、ミュージカルにもなっています。
木村裕一という人の作品です。次のようなストーリーです。
ある嵐の夜、1匹のヤギ(メイ)が、山小屋に避難してきます。
同じように1匹のオオカミ(ガブ)も同じ山小屋に避難してきます。
かぜ気味で鼻の利かない2匹は、真っ暗なこともあって互いの正体を知らないまま夜通し語り合い、意気投合します。
そして「あらしのよるに」を合い言葉に、翌日再び会う約束をします。
翌日、2匹は互いの正体を知ってびっくりします。
オオカミとヤギの関係は喰う者と喰われる者です。
ふつうは仲良くなれない関係です。
でも2匹はその関係を超えて「ひみつのともだち」となりました。
しかしそれは、互いの種族にとって、決して許すことのできない禁断の友情でもありました。
やがて、2匹の関係は、ヤギとオオカミのお互いの集団にバレてしまいます。
互いの集団は自らの利益のためにメイとガブの友情を利用して、相手方の情報を手に入れてくるように2匹に命令します。
しかしメイとガブは、それぞれの集団内での立場よりも、お互いの友情を大切にして2匹で逃げることを決意し、ヤギとオオカミが一緒に暮らすことができる「緑の森」
しかし、追跡隊のオオカミの群れが少しずつ2匹を追い詰めていきます。
焦りと寒さに体力を失い、もう歩けないと感じたメイは「自分を食べろ」とガブに頼みます。
ガブが泣く泣くその頼みを聞こうとしたそのとき、崩が起きて2匹は離れ離れになります。
春、イは山を無事に越え、草原で暮らしていましたが、居なくなったガブを思うと寂しくてたまりません。
願いがかないある日、ガブが近づいてくるのが見えます。
しかしガブは雪崩のショックで記憶を失い、今やメイもただのエサに過ぎませんでした。
ガブの豹変ぶりを嘆き悲しんだメイは叫びました。
「あらしのよるに出会わなければ」。
その言葉がきっかけでガブの記憶は戻り、2匹は再び友情で結ばれる、というのがストーリーです。
本来なら決して仲良くなれないオオカミとヤギが、それでも仲良くなれたのは、合言葉にもある「出会い」です。
その出会いを別の言葉で表現すれば「奇跡」です。
英語で言うとミラクルです。
ありえないことが起こる、人間の想像を超えた出来事を奇跡と呼びます。
聖書にはその奇跡がたくさん書かれていますが、最も大きなスケールの奇跡が先ほど読んでもらった出エジプト記の話です。
海が二つに割れて、絶体絶命の危機にあった人たちが助かった話です。
多くの人は目の前の海が突然二つに割れて、それが壁のようになるということがありえるはずはないと思います。
この話を信じますかと聞かれたら、わたしは正直「わかりません」と答えます。
でもこの話で確かなことは、絶望的な状況になり、自分たちの力ではどうしようもない絶体絶命の危機を、思いもかけない形で助けられた、救われたということです。
それを海が二つに割れるという出来事、表現にして人々は伝えたということではないでしょうか。
この奇跡の出発点が何かといえば、それは人々が神様と出会ったことです。
奇跡、ミラクルという言葉は敬和学園の中にも生きています。
あるお母さんが、自分の子どもが敬和を卒業して行くその時に言われました。
「娘が3年間の高校生活を遅れたのは、奇跡です。敬和ミラクルです」。
卒業していったその先輩は、あることがきっかけで中学に通うことができなくなりました。
そのために本人とそして家族はずいぶん苦しみました。
そういうことがきっかけで敬和学園に入学してきたのですが、親は親で、子どもは子どもで、高校生活を3年間やり通すことなどできないと思っていたそうです。
とにかく高校に入った、高校に通った体験ができればいい程度に考えていたそうです。
ところが、その先輩は敬和入学と同時にまるで人が変わったように学校に積極的になりました。
ほとんど休むことなく敬和に通い、部活もしっかりやり、そして指定校推薦で大学に進学することになったわけです。
その娘の変化をお母さんは敬和ミラクルといわれたわけです。
学校として大変ありがたい言葉ですが、その言葉をわたしがどのように受け止めてきたかといいますと、そんな風に変わっていくのは、敬和ではよくあることですから、子どもが無事に高校生活を遣り通すことができたことへの感謝の表現だということでした。
でも今回40周年記念行事を行う中でその考えをあらためました。
敬和学園の出発から今日までを考えた時に、敬和学園が40年間この場所に存在し続けることができたこと自体「奇跡、ミラクル」だということです。
神様の力が働かなかったら決して存在し続けることはできなかったのです。
学校そのものが奇跡の中に生きているのです。
その敬和学園で学校生活を送るということは、その一人ひとりにさまざまな形で奇跡が起こらないはずはないということです。
たとえ絶望的な状況なっていると思っていても、もうどうしようもないとしか考えられないとしても、気がついてほしいこと、それはその人がすでに、奇跡の学校と、そして神様と出会っているということです。
その人には必ず自分の思いを超えた力が働き、必要な力と方向が示されるということです。それを心にしっかり刻みながら、今日一日、今週1週間、共に過ごしていきましょう。