のぞみ寮通信

光風館

2011/05/23

光風館通信 第289号(5月22日)

< 出会い >
 
 私は京都で学生生活していた時に、割烹料理屋で板前のバイトをしていました。

バイトとはいえ、週に4~5回バイトに入り、カウンター越しの板場に立ち、お客さんの前で調理をしていました。そこでの板前としての仕事は、ただ調理をしたり、洗い物をしたり、料理を盛付けることだけではなく、カウンターに座っているお客さんといろいろな話しをすることも大切な働きの一つでした。カウンターにはだいたい常連さんが座ります。時に、常連さんにビールやお酒をいただくこともあり、お酒が入ると常連さんたちと熱く語ることもありました。
 ある時、私はこんな話を常連さんとしたことがあります。「三浦くん、なんでそんなにボランティアに行くの?お金も出ないし、時間も労力もかかるでしょ?」
 私は中越地震の冬に被災地の十日町へ雪かきのボランティアに行きました。その年、被災地では例年より多く雪が降り、被災された直後だけに雪に向き合うことが大変な人たちがいたり、地震で家屋が損壊する中、大雪は家屋を押しつぶす恐れがありました。私は北海道出身ということもあり、雪かきには慣れています。雪かきならば被災地でもお役に立てるのではと、ボランティアに行ったのです(結局、お役に立つどころか、ご迷惑をおかけしたり、逆に元気をもらって帰ってきましたが...)。それから毎年、十日町へ雪かきのボランティアへ出かけています。今年の2月も十日町へ雪かきに行ってきました。十日町へのボランティア以外にも、2009年の(兵庫の)佐用町の水害のボランティアなどにも、バイトで休みをいただき現地へ行かせていただきました。
 確かに被災地へのボランティアはお金が出るわけでもなく、時間もかかるし、なによりも身体だけではなく、精神的な疲労も相当たまります。それでも、災害のニュースを見ると「ボランティアへ行かないと!」と思うのです。しかし、「どうしてボランティアへ行くのか」、その問いにいつも上手に答えることが出来ずにいました。
 
 今回、ゴールデンウィークに寮生を中心に東名(宮城)へボランティアに行ってきました。私はそこで「なぜ私がボランティアへ突き動かされるのか」の答えを見つけました。ボランティア初日、道の側溝の泥をかき出していると、他のボランティアグループの人から声をかけられました。「お疲れ様です。お昼食べましたか?」どこかで聞いたことのある声でした。顔をよく見ると大学時代の同級生でした。現在、日本国際飢餓対策機構で働く彼は、ボランティアのために被災地に来ていたそうです。連絡先がわからずに暫らく連絡を取れていなかった彼との再会は、被災地にあって「ホッ」と心が和んだ瞬間でした。私は、今回の東日本大震災の後、宮城と岩手に計3回ボランティアとして行っています。その3回の中で、私はたくさんの再会をしました。高校時代に北海道で教会の青年キャンプに一緒に参加していた先輩(現在、仙台の教会で牧師をしています)、ネパールにワークキャンプに行った時、首都カトマンズでいろいろとお世話をしてくださったJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)のNさん、震災直後に被災地に行き、現在も大学院を休学して石巻でボランティアを続ける大学の後輩、その他にも西宮で牧師をしていた時にお世話になった方々や花巻で牧師をしている高校の同級生、広い被災地の中で、そこで待ち合わせをしたわけでも連絡を取り合ったわけでもなく、今までの私の歩みの中で私に関わってくれた人たちに被災地で再会しました。
 きっと私という人間は、自分一人でつくり上げたのではなく、今まで私に携わってくれた人に大きな影響を受けてつくられたのでしょう。今、「なぜ被災地へ行くのか?」と問われれば、「そのような(被災地へ駆けつける)人に出会ってきた(多くのことを学んだ)から」と答えると思います。そう考えると人との“出会い”って本当に大きいと思います。是非、みんなもいろいろな人に出会ってください!まずは光風館に暮らす仲間、同じく敬和で過ごす仲間から。そして現在、教育自習の先生2名が光風館で一緒に生活しています。それぞれに教育自習の先生ともいろいろな話をして出会ってください。

(三浦)
 

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

< 礼拝のお話し >
 
A.T.(3年)
 今回、僕は、時間について話したいと思います。突然ですが皆さんは時間というものをどうとらえているでしょうか?僕は時間とは“空気”や僕たちの“存在している場所”というものに似ていると思います。これらのものはよく「在るのが当たり前だけど、なくては困る」という話に出る代表的なものです。ですが、時間とは、これらと微妙に違うところがあります。それは、空気と違い、自分がこの世界から別れるときに終ってしまうからです。極端な話、空気が無くなると皆困りますが、誰かの時間が無くなっても本人以外は困らないということです。ですから、乱暴に言うと、時間は唯一誰のものでもなく、自分だけのものと言えます。皆さんはこの時間をどのように使いますか?自分がしたい放題しますか?それとも無理に誰かと同じことをしようとしますか?
 前者は、本当に自分がしたいことができたとき、周りで支えてくれる人がいるかもしれません。周りで影ながら自分を支えてくれる人がいることに目を向けてください。 
 後者は、きっと周りの人に合わせる時間が終わり、自分だけの時間になった時、どのように時間を過ごしたらいいのか不安になるでしょう。いずれにせよ、あんまりいい気にはなれません。よく人は「あなたの寿命はあと1年」と宣告されると焦って一生懸命に生きようとしますが、実は今も刻々と僕たちの時間は終わりに近づいています。寿命の終わりが早いか遅いかの話です。僕らも、今したいこと、すべきこと、しなければ後悔すること、それを実行することが大事です。僕たちもこの世界と別れるとき、「楽しい時間を過ごせたな」と思えるようになりたいですね。長くなりましたが終ります。
 
 
 
 

I.H.(3年)
 こんばんは。今日は“幸せ”について話したいと思います。3月11日に起きた“東日本大震災”は僕の地元にも大きなダメージを与えました。この前の春休みに自宅に帰った僕は、初めて「寮に残っていれば良かった」と思いました。ローソンには水やカップラーメン、おにぎり、弁当、パン、お茶や牛乳はなく、ゲオやゲームセンターはシャッターが降りていて、スーパーは品物がほとんどない上に、店の入口まで会計の列ができていました。毎日のように余震があり、2日に一回は震度5弱程度の余震があり、水道も一週間程止まっていたからです。水が出ないので頭は井戸水を使って洗い、トイレを1回流すのに、1.5リットルのペットボトル3本分の井戸水をくんでいました。弟や友だちの学校も休校となり、雨が降ると、原発の放射能が混じっているかもしれないので誰も外に出ませんでした。ニュースで、宮城の避難所の人は1日のご飯がおにぎり1個だけだと聞きました。
 そんな春休みが終って、僕は寮に帰ってきて、朝昼夕にきちんとご飯があり、水道も使えて、なによりも毎日普通に学校に行けるという普通の事が、とても幸せな事なのだと思いました。
 よく僕のおばあちゃんが、「世界にはご飯を食べたくても食べられない人がいる」と野菜を食べない僕と弟に言っていましたが、その度に「そんなこと知るか」と思っていました。が、今ならおばあちゃんの言葉の意味が分かります。それまで僕は“幸せ”とは決して手の届かないような高い所にあると思っていました。みんなの中にもそう思っている人がいるかもしれません。みんなの中の“幸せ”とは、温かいお風呂に入っているときかもしれないし、ご飯をたくさん食べること、友だちと話すことかもしれないし、彼女とデートすることかもしれません。
 僕は普段さりげなく生活していることが幸せな事なのだと気付きました。これからもそのことを忘れないようにして生活していきたいです。みんなにも、普段の生活が実は幸せなことなのだということを忘れないで生活してほしいです。