毎日の礼拝

校長のお話

2008/04/01

「2008年度前期始業礼拝」

聖書:出エジプト記 20章12~16節
「犬とわたしの10の約束」という映画があります。
主演は田中理奈、父親役で豊川悦司が出演しています。舞台は函館です。
タイトルからもわかるように犬が登場します。
右の前足の下の部分だけが白く、靴下を履いたようだということで、ソックスと名づけられたゴールデンレトリバーです。
原作は同名の小説ですが、その小説のモチーフとなったのが「犬の十戒」という英語の短編詩です。
日本語に翻訳したものを少し読んでみます。
1私と気長につきあってください。
2私を信じてください。それだけで私は幸せです.
3私にも心があることを忘れないでください。
4言うことをきかないときは理由があります。
5私にたくさん話しかけてください。人のことばは話せないけど、わかっています。
6私をたたかないで。本気になったら私のほうが強いことを忘れないで。
7私が年を取っても、仲良くしてください。
8私は十年くらいしか生きられません。だからできるだけ私と一緒にいてください。
9あなたには学校もあるし友だちもいます。でも私にはあなたしかいません。
10私が死ぬとき、お願いです、そばにいてください。
どうか覚えていてください、私がずっとあなたを愛していたことを。
この詩には犬を飼うときの姿勢、心構えがやさしいことば遣いでうまく言い表されています。
犬という生き物は飼い主に忠実ですから、飼い主が10の約束を忘れない限り、犬は幸せをもたらしてくれる存在になります。
「犬とわたしの10の約束」、犬の十戒が飼い主としての心構え、あり様を教えてくれるものであるなら、人間として忘れてはいけないことは何か、どのような生き方をすれば幸せになれるのかを教えてくれるのが、先ほど読んでもらいました、旧約聖書出エジプト記20章の十戒です。
特別なことが書いてあるわけではありません。
父母を敬え、殺しては生らない、盗んではならない、隣人の家を欲してはならない、どれもごく当たり前のことです。
十戒がつくられた背景を少しお話いたします。
今から数千年前のことです。
場所は今の中東アジアです。
少数民族であったイスラエル民族は当時エジプト王の支配の下、過酷な労働を強いられ、大変不自由な生活をさせられていました。
その生活に耐え切れなくなったイスラエルの人々は、モーセという人をリーダーにエジプトを脱出したわけです。
彼らには一つの希望がありました。
それは神さまがカナンという豊かな土地を神様が用意してくれていて、そこにたどり着けば、幸せな生活を始められるということでした。
ただしカナンに行くには荒れ野、砂漠のような場所を横断していかなければなりません。
幸せを手に入れるためには多くの試練に耐えなければならないということでもありました。
エジプト脱出の旅は、彼らが想像していた以上に大変でした。
エジプトでの生活の方が楽だったと思わせるようなことも起こりました。
そういう難儀な旅を乗り切るために、一番大事なことは、お互いの間が当たり前のことを当たり前にする、約束はきちんと守ること、信頼しあうことでした。
先ほども言いましたようにエジプト脱出の旅は厳しいものでした。
そこで盗みや殺人が起こるということは、一人の問題ではなく、全体の命にかかわることであったわけです。
十戒が言いたいことは大きく分けて二つです。
一つ目は神を畏れること、おそれるというのは怖がることではなく、敬うということです。
もう一つは自分に対して、そして他者に対して、当たり前のことを当たり前に行うということです。
この十戒をさらに分かりやすく、コンパクトに語ったのがイエス・キリストです。
イエスさまは十戒を二つの言葉にしました。
イエスさまは、神を愛すること、そして隣人を愛すること、この二つがもっとも大切なことだと言われたのです。
敬和学園の建学の精神「敬神愛人」はこのイエスさまの言葉からとりました。
このように考えていきますと、旧約聖書の十戒は、敬和学園で2008年度の歩みを始めようとするわたしたちに向けて語られている言葉だということに気づきます。

神さまを愛するということは、謙虚な姿勢を持つということです。
神さまを愛するといいますが、その神さまは見えません。
つまり神さまを信じる、愛するということは、見えないものを大切にするということです。
見えないものを大切にするということは、自分の考えが絶対ではない、自分が絶対正しいとは考えないということです。
先ほど、十戒には、人が幸せにそして仲良く生きるために大切なことが書いてあるといいました。
でも、人には弱いところがあって、当たり前にしなければならないことを「まあいいか、一回くらいはいいか、次からでいい」と思いがちです。
当たり前のことを当たり前にするというのは、できそうで案外できないのです。
だから昔の人は、それを十戒というわかりやすい言葉にして、いつでも思い出したり、すぐに教えられる言葉にしたのです。
敬和学園では、全校礼拝に聖書讃美歌を持ってくるのは当たり前のことです。
多くの人がそれを守っています。
でも中には何度言われても持ってこないで済ます、聞き流す人もいるわけです。
持ってこないで「得をした」と思う人はいないでしょう。
でも、そうした注意をきちんと聞くのがまるで「損のように」聞き流す人がいるわけです。
あるいは自分には無関係だと考える人もいるわけです。
わたしが今こういう話をしているときに、すでに自分には無関係だと聞き流している人はいないでしょうか。
ブレザーを着ましょう。
授業には遅れないようにしましょう。
茶髪・ピアスはだめですよ。
敬和学園には守るべき当たり前のことがあります。
そのルールを守らないというのは、自分だけのことには終わりません。
十戒を守ることが自分だけのことではなく、多くの人の命にかかわることであったように、敬和学園での当たり前をしっかり守らないことが、それをしっかり守りながら敬和生活をしている人や周囲の人をいかに傷つけているかに気づくべきです。
そのことに気づくことが、物事を自分中心に考えない、神さまを愛するということなのだということです。
そういう気づき、感性を持つことが神さまを愛し隣人を愛することです。
敬神愛人を大切にする敬和生活をすることが、何より自分を人間として成長させることになる、そのことを自覚しながら、2008年度の一日一日を大切に過ごしていきましょう。