自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2011/05/17
< もうすぐ第一定期テスト >
今週の火曜日から(1年生は水曜日から)第一定期テストが始まります。新年度になって一発目の大事な(毎回大事ですが)テストです。
昨年度の光風館生のテストの点数はと言うと、良い人もいましたが、“赤点が当たり前”の人がとても多くいました。それでも、学年末になるとエンジンがかかってきてテストの点数が上がった人も少なくありませんでした。テストで問われるのは、授業(勉強)の理解度で、それが点数で表されます。テストで少しでもいい点を取りたいとテスト一週間前くらいから光風館生の勉強に対する姿勢が変わっていきます。テストへ向けてみんなで 勉強をしようという雰囲気は大切ですし、お互いにわからないところを教え合うのは寮生ならではの良い勉強方法です。しかし、テスト直前の頑張りだけでたくさんの教科で満足のいく結果が得られることは難しいことです。日頃の積み重ね(毎日の授業、寮での自習時間など)が大切なのです。“テストのための勉強”ではなく、たくさんの知識を得る学びをしてほしいと思います。たくさんのことを知ることは、その人の視野を広げたり、たくさんのことに興味を持ったり、自分の中にさまざまな引き出しをつくることにつながります。これからみんなが高校生として、社会人として歩んでいく中で、学びの経験はきっとプラスになるはずです。
私も敬和生だった頃は勉強が大嫌いで、どうして勉強をしなければいけないのかと愚痴っていました。テストの点数も成績も散々だった私ですが、高校を卒業し、自分のやりたいことを模索する中であることを痛感しました。それは、「もっと勉強しておけばよかった」です。決して「学年トップの成績を取っていれば」という望みの高い思いではありません。「普通に勉強し、大学が選べる程度に勉強しておけばよかった」というものです。
きっと近い将来、みんなの心の中にも「こんな仕事をしたい」、「この道に進みたい」という思いが出てくるはずです。その時のために備える意味でも今の学びを大切にしてほしいと思います。
とは言え、もう試験まで時間がありません。残された時間でしっかりとテストに向けての準備を進めてほしいと思います。第一定期テストでのみんなの健闘を祈っています。
(三浦)
< 母の日 >
先週の日曜日(8日)は“母の日”でした。みなさんは“母の日”がどのようにして始まったか知っているでしょうか?
南北戦争終結直後の1870年アメリカで、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation)を発しました。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスの活動にヒントを得たものですが、結局普及することはありませんでした。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈りました。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされています。
現在では、母の日や父の日が近づくといろいろなギフト用に特集が組まれ、お店でもプレゼント用のブースが設置されます。
みなさんの中で母の日にお母さんに電話をしたり、プレゼントをした人はいるでしょうか?私は小さい頃からこの母の日を大切にしています。たいした金額ではないですが、毎年プレゼントを買い、母に送っています。反抗期だった頃にも感謝の言葉を贈ることはしなくても(高校生男子は恥ずかしがりやが多いから、感謝の気持ちを素直に伝えることができないよね)、感謝の言葉の代わりに母へプレゼントを贈ることは続けていました。私にとって“母の日”は母への感謝を表す日であり、小さな存在の自分が誰かの助けや支えなしには生きられないことを再確認する日でもあります。
寮生活、敬和での高校生活を続けられるのは、その場で生活しているひとりひとりの頑張りによるものです。しかし、その影に自分を支えてくれる存在があることにも目を向けてほしいと思います。そういう意味では、“母の日”や“父の日”、家族や友だちの誕生日など特別な日に大切な人のことを思い、感謝の気持ちを確認するのはとても大切なことだと思います。母の日は終ってしまいましたが、たまには遠く離れて暮らす家族へ感謝の思いを“言葉”やなんらかの“カタチ”にしてみてはどうでしょうか。
(三浦)
< お祈りください >
I.H.くんのお兄さんの娘さん・Eちゃんが去る11日(水)の朝7時半頃、わずか4ヶ月という地上での短い生涯を終え、神様の御許に逝かれました。15日(日)の午前中、いわき市の(お兄さんが働かれている)教会で献児式(神さまにEちゃんをささげる式/神さまの御許へ送る式)が行われました。Eちゃんが神さまの御許で心安らかに過ごせるよう、光をはじめ、残されたご家族の悲しみが癒されるようにみんなも祈ってください。
< 礼拝のお話し >
(3月の礼拝の話しのため内容が時期外れになっています)
K.A.(2年)
みなさん、こんばんは。10室のKです。今日は、勉強することの大切さについて話したいと思います。もう少しで第5定期テストがあります。テストでは誰もがいい点数を取りたいと思っているでしょう。実際に、僕自身も最後の学年テストなので、できれば赤点は取りたくないです。でも僕は、毎回全ての教科を均等に勉強することができず、偏ってしまいます。なので、極端に悪い点数が出たりして、自分でもビックリするくらいです。前回の第4定期テストでは、僕なりに頑張りました。結果、赤点は一つに抑えることができ、他の教科も点数アップしました。僕がこの話でみなさんに何が言いたいかというと、高校は中学とは違い単位を取らなければ進級できません。進級するためには勉強しなくてはいけません。僕はここにいるみんなで1人も欠けることなく卒業するという目標ができました。だから、授業態度や提出物などできることからしていきたいと思います。みなさんも目標を立てて、その目標に向かって頑張ってみてはどうでしょうか?
T.D.(2年)
あと1ヶ月ちょっとで1年生は2年生へ、2年生は3年生へと進級し、新1年生が入って来ます。自分に後輩ができることはとても嬉しいことです。
僕が中学2、3年生の頃は、“先輩”、“後輩”の関係というより“仲の良い友だち”といった関係でした。なので、中学での後輩とのつながりは強かったと思います。でも、自分がしっかりした先輩だったかというと自信はありません。
しかし、僕は新1年生に“先輩”として接するだけではなく、“友だち”としても接していきたいと思います。
みなさんも光風館の仲間を“先輩”、“後輩”という関係だけではなく、“友だち”として接してみてはどうでしょうか?少しは同じ寮の中で生活する仲間の見方が変わるかもしれません。
S.R.(2年)
こんばんは。15室のSです。今日は、人との関わり方について話したいと思います。僕は、人生を生きていく中で、最も重要だと思う事は、“人とのつながり”だと思っています。何か大変な事があった時や、誰かとトラブルになったとき、頼りになったのは友人や知り合い、先輩でした。時には相談に乗ってくれて、それだけでも気分が和らぎ、楽になった事だって何度もあります。
僕が中学生の時に読んだ本のひとつに、一人のものすごく根暗で、小学校を不登校だった少年と、友人や先輩がとても多い不良少年があるきっかけで関わるようになり、お互いが本当の人間関係の大切さに気付いていくという本があります。この本を読んだ時に思った事は、友人が多くいることも重要だけど、数が少なくても、何でも話せるような友人がいるという事も大きな心の支えになると思いました。
新しい1年が始まり、一年生が入ってきました。こんな自分でも、後輩の話を聞いて、理解してあげることくらいはしたいです。