毎日の礼拝

校長のお話

2008/08/01

2008前期終了礼拝 「バーバー吉野」

聖書:使徒言行録 9章 19節後半 ~ 22節
2008年度前期も今日で終了します。
敬和学園は始まりも終わりもすべて礼拝からです。
2008年度前期、みなさんにとっては長かったですか、それとも短かったですか。
わたしにとっては、うれしいこと嫌なこといろいろありましたが、あっという間の4ヶ月間でした。
うれしいことで言えば、毎朝の全校礼拝があります。
充実した礼拝の連続であったと思います。その一つが、先ほど讃美歌を一緒に歌った時のみなさんの姿勢、とくに39回生の姿勢です。前にもお話しましたが、こうして当たり前のように讃美歌をもって歌うこと、当たり前のことを当たり前にできるすばらしさを毎日のように感じてきました。
奇跡と言っても言い過ぎではありません。
チャペルに響く讃美歌の声も数段大きくなりました。讃美歌を歌うことによって、歌う人自身が元気になるのです。
大きな声で歌うことによって、毎日の生活も元気になって行きます。
元気だから讃美歌を元気に歌えるのではなく、讃美歌を元気に歌おうとすることによってエネルギーが湧いてくるのです。
それでは、みなさんのこの夏にぜひしてほしいことをお話します。
バーバー吉野という映画があります。英語でバーバーは理髪店、床屋さん、関西人のわたしにとっては散髪屋さんです。
バーバー吉野で、わたしが好きな場面があります。
それは男の子たちが田んぼのあぜ道のそれぞれ好きな場所に立って、ハレルヤを合唱するところです。
いわゆる田舎の子どもたちが教会の聖歌隊のような衣装を着てハレルヤを歌う、何ともミスマッチはようですが、彼らが歌うハレルヤが田んぼに響き渡る場面は何とも素敵です。
この場面は、その素敵さにおいて敬和学園の卒業や入学の時の全校生徒で歌うハレルヤと重なります。
バーバー吉野のストーリーに少し触れます。
その町に一軒だけある散髪屋さんバーバー吉野の前を通るとき、小学生の子どもたちは、必ず店の前を掃除するおばさんに必ずあいさつをしなければなりません。
するというよりはさせられるのです。
うっかり忘れて通り過ぎようとしようものなら、おばさんの声が飛んできます。
「あいさつもできない子どもは、大きくなってもろくな人間にならないよ」。
おばさんは口うるさい人ですが、叱る言葉の端はしに愛情が感じられます。
散髪屋さんとしての仕事もていねいで、町の人たちからは厚い信頼を得ています。
学校帰りの子どもたちにはおやつをくれたりするいい人でした。
そして、いつの頃からか、この町の男の子の間には守らなければならない決まりがありました
それは、男の子はバーバー吉野で通称「吉野ガリ」というおかっぱ頭にしなければならないことでした。
でも同じヘアースタイル・吉野ガリに誰一人疑問を持つ子どもはいなかったのです。東京から1人の転校生がやってくるまでは・・・。
それまで当たり前だと誰もが思っていたことが、1人の少年の出現によって、そうでないと小学生たちは気づき始めます。
東京からの転校生は、長髪でどう見ても黒くはありませんでした。
この少年の出現によって、自分たちが本当は前髪を切りそろえた吉野ガリが嫌いだったということに気づきます。
金曜日の夜のテレビ番組に「エンタの神様」というのがありますが、エンディングに登場する芸人に犬井ヒロシがいます。
彼は毎週○○イズフリーダムというのを歌います。
焼肉をテーマにした時には、たぶん次のようになります。
「おいしそうに焼けたカルビを噛んだ瞬間、生焼けやったとこのことやけど、それを誰にもわからんように、おいしいわと言いながら、飲み込むのか、それとも網の上にそっと戻すのかは自由だ」。
まるでこうした歌のように、子どもたちは吉野ガリがすべての髪型ではない、好きな髪形にしたいと考えるようになったとき、「ヘアースタイルイズフリーダム」「髪型は自由だ」と叫び始めるのです。
この映画に全編流れているのは、子どもの成長を温かい目見守る大人の姿です。
バーバー吉野を見て気づくことがあります。
人は出会いによって自分のこと、そして社会のこと、時代について考え始める、と言うことがわかる映画です。
人としての成長も出会いによって始まります。
出会いは自分とは違うもの、異質なものとの出会いによって始まります。
東京からやってきた転校生というのは、小学生である彼らがそれまで出会うことのなかった、まさに異質な存在でした。
その転校生の存在がそれまで当たり前に思って、なんら疑問を持たなかった自分たちのヘアースタイルを考えるようになりました。
それまで吉野ガリにしていた子どもたちは、それが好きか嫌いかさえ考えることはなかったのです。
似合っていないと思っても、それ以上にみんな一緒、同じヘアースタイルということに安心していて、その安心が考えることをやめさせていたのです。
子どもたちに吉野ガリをさせたのは町の大人でした。
いうなれば、町の大人が、子どもたちに個性をだすことを許さなかった、縛っていたともいえます。
けれど、その中で、子どもたちもいつの間にか、町の子どもはこうでなければならない、と自分を縛り、仲間を縛ることになっていたのです。
今日の聖書に登場するパウロはずっと、人はこうでなければならないと思い込み、そういう考えでもって他の人を縛り付けていました。
少しでもはみ出した人を許しませんでした。
けれど、パウロはイエス様に出会って、自分の考えを180度変えることになりました。イエス様との出会いによって、人としてどう生きるべきかに目覚めました。
敬和学園はみなさんに3年かけて成長してもらいたいと考えています。
そのためのさまざまな出会いを体験してほしいと願っています。
こうして毎朝の全校礼拝があり、各学年の修養会があるのはそのためです。
わたしの一番の願いは、みなさんがイエス様に出会うということです。
イエス様に出会った人は必ず歌いたくなるはずです。
「イエス イズ フリーダム」
ケイワ イズ フリーダム 夏休みにあなただけの出会いをしてほしい
出会いは次に進むエネルギーになる
それぞれのプログラムに参加する人 海外教室・・・敬和キャンプ
 部活動に励む人 そして学習に取り組む人 そうした時間と取り組みの中に かけがえのない出会いがある それを信じて過ごしてほしい 8月日に一回りも二回りも人間的に成長したみなさんとぜひ会いたい。