自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2022/01/24
校長 小田中 肇
【聖書:ヘブライ人への手紙11章1-3節】
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分ります。
今日は3年生がお休みのため、1,2年生だけの礼拝です。3年生の卒業が現実のこととして目前に迫ってきました。
そして4月からは新入生を迎えることになります。学校は大きな節目を迎えています。
さて先週火曜日に敬和の1月入試が行われました。朝から大雪でした。
私は7時半ころに出勤したのですが、入試労作の生徒が一生懸命、受験生のためにチャペル前の雪除けをしていました。
他にも駐車場係、受付や誘導の人も準備を始めていました。受験生のために自分も何かしようと思って集まった人たちで、全員がボランティアです。
おそらく彼らは自分が受験した時、入試労作をしてくれた先輩に親切にしてもらい、励ましてもらったのだと思います。今度は自分が受験生のために働こう、そう思って参加してくれたのです。
今回の受験生の中からも必ず、1年後、2年後、自分が入試労作をしよう、そう思う人が出て来るはずです。こうして敬和の良い伝統は、先輩から後輩へと受け継がれて行くのだと思いました。
敬和の入試はまず礼拝から始まります。その礼拝のお話しで私は敬和にとっての礼拝の意義を簡単に説明しました。
創立以来、一日も欠かさず守り続けたこと、生徒と教師がそのとき与えられる神様の言葉に一緒に耳を傾けることなどです。
そして敬和学園がどんな時にも、礼拝を守り続けることの意味を教えてくれるある言葉を紹介しました。その言葉をあらためて紹介します。
「たとえ明日、世界が滅びるとも、わたしは今日、リンゴの木を植える。」
これは500年ほど前ドイツで宗教改革を行った、マルチン・ルターの言葉として伝えられているものです。この言葉からは様々な光景がイメージされます。世界が終わる、リンゴの木・・・これは、どういう意味でしょうか。
明日世界が滅びるならば普通は絶望するか、やけになって好き放題するかのいずれかです。ところが今日私はリンゴの木を植える、と言うのです。
おそらくリンゴの若木です。人間でいえば幼稚園か小学生くらいでしょう。植えられたリンゴの木は、すぐには実を結びません。それでも、今日、植えるというのです。
なぜ、植えるのでしょうか。
未来のためです。
「未来はない、」と言うのになぜ植えるのでしょうか。どうして希望を持ち続けることができるのでしょうか。
神様を信じるからです。神様の愛を信じるからです。
敬和の礼拝も同じです。
どんなときにも、今日私たちは礼拝をささげます。
それは敬和生一人ひとりの未来と希望のため、そして神様の愛を信じるからです。これが敬和学園の教育であり、敬和学園の信仰です。
原崎百子(はらざきももこ)さんという方の遺稿集「わが涙よ わが歌となれ」(新教出版社)の中の文章を紹介したいと思います。
原崎さんは悪性のガンのために夫と4人の子どもを残して43歳で亡くなった方です。亡くなる一か月半ほど前に、夫から病名を告知されました。
彼女はノートを用意して自分の気持ちを書き残しました。そのノートに書かれていた文章です。
「それでもやはり私はリンゴの木を植える。昨日、『明日やろう』と決めたこと、息子の二郎と忠雄の勉強の相手をすることを、やっぱりやりましょう。」
ガンを告知される前の日に決めたこと、つまり子どもたちが学校から帰ってきたら勉強の相手をすること、そのことをやっぱりやりましょう、と決心したというのです。
それは原崎さんにとって、リンゴの木を植える、ということでした。愛する人たちを残して一人逝くことは、悲しく不安であったに違いありません。
にもかかわらず、学校から帰ってきた子どもたちの勉強の相手をしよう、と決めます。
それは子どもたちの未来を信じ、この世にある限り、最後まで自分がやるべきことを続けようという決心でした。
告知後、20日目のノートには次のような短い詩が記されていました。
主よ、感謝いたします。
あなたの一日は千年にもまさり、
この20日間は私の半生に匹敵いたします。
主よ、あなたに全く信頼させてください。
家族と過ごした20日間が、原崎さんにとってどんなに愛おしく、大切な時間であったかが想像されます。
このような未来への信頼と希望はどこから来るのでしょうか。
それはこの世界を超えた存在である神様への信仰によって与えられます。
今日の聖書です。
「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分ります。」
目に見えているもの、この世界はいつか滅びます。しかし、神様の言葉は永遠に立つ。そのことを信じて歩むとき、大きな希望が与えられます。
今、世界は大きな不安の中にあります。オミクロン、自然災害、無差別殺人など数え上げればきりがありません。
誰もが世界の終わりを感じ、絶望に陥りそうになります。
しかしそのような中にあっても、絶望することなく、神様の光の中を希望をもって歩む私たちでありたいと願います。
未来のために自分ができることを、それがどんなに小さなことであっても、行い続ける者でありたいと願います。