お知らせ

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2022/01/06

今週の校長の話(2022.1.6)「2022年1月 始業に向けて」

校長 小田中 肇

【聖書:創世記2章1-3節】

天地万物は完成された。第7の日に、神はご自分の仕事を完成された。第7の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第7の日を神は祝福し、聖別された。

 

今日から新学期が始まります。新しい年を、こうして全校で、礼拝をもって共に迎えることができることを嬉しく思います。

オミクロン株の感染拡大が心配されますが、状況を見ながら、できるだけ通常の学校生活が送れるように努めて行きたいと思います。

 

さて、今日は新年、最初の礼拝ということもあり、聖書の天地創造の物語から学びたいと思います。

神様は、次のように世界を創造した、と聖書は伝えます。

1日目に光を、2日目には天と海を創造します。3日目には大地と植物を、4日目には太陽や月、星などの天体を、5日目には鳥や魚、爬虫類を、そして6日目には動物と人間を創造し、天地創造の業(わざ)を終えます。

ところが、7日目に神様は仕事を離れ、お休みになった、というのが今日の聖書です。神様もお疲れになるのかな、と不思議に思う場面です。

 

1週間が7日あり、日曜日がお休みなのは、この聖書のお話しに基づいています。日曜日には仕事や勉強を休んで、安息の日とします。

キリスト教では、この日を神様のための日として、教会で礼拝をささげる聖なる日(聖日)として大切に守ってきました。

 

ところで、年末のテレビ番組では、昨年、活躍した日本の若者たちが紹介されていました。

その中でも、最も話題になったのが、アメリカ、エンジェルスで活躍した大谷翔平選手です。ピッチャーと打者の二刀流で、素晴らしい成績を残し、アメリカプロ野球のMVPを受賞しました。

それからフィギュアスケートの羽生結弦さんです。年末に開催された世界大会でも優勝し、全人未踏の成績を残しています。

 

興味深いことにこの2人は、ともに1994年生まれで、現在、27歳です。

 

さらに音楽の部門では、反田恭平(そりたきょうへい)さんが、ショパン国際ピアノコンクールで、日本人として51年ぶりの2位となりました。

私はあまり詳しくないのですが、これも相当すごいことのようです。

そして、なんと、反田さんも同じ1994年生まれです。

昨年、世界レベルで活躍したこの3人が、1994年生まれだったのは、単なる偶然でしょうか。

 

日本人は75年前に戦争に敗れてから、復興するために、必死で働き、高度経済成長を実現しました。当時、それは世界の奇跡と言われました。

経済成長を担ったのが、現在、70代、80代の方たちです。努力をすれば報われる、そう信じて働き、実際、彼らは日本に繁栄をもたらしました。

 

ところが、その子ども世代、つまり今の40代、50代の人たちは、自分の親の世代から、お前たちは、何をもたもたしているのだ、努力が足りない、もっとがんばれ、と言われ続けてきました。

ところが、高度経済成長の時代とは、日本も世界の状況も、全く変わってしまっていたのです。ですから、いくら努力しても報われない人がたくさん出て来ました。

一生懸命、働いても、自分の親たちと同じレベルの収入や社会的地位が得られない、それが現実でした。その意味で、大なり小なり、挫折を経験している人が多いのです。

 

ところが、その下の世代、今、20代、30代の中から、これまでの枠では考えられない方法で、個性を発揮する人が現れ始めました。

日本では、若い人は、年上の人の言う通りにやるのが基本でした。

彼らは、そういうところを飛びぬけて、合理的にやるにはどうすればいいのか、それを自分自身で考える、そのような世代が出て来たのです。

 

大谷選手もデジタル技術を使って、客観的に自分のフォームを見る、ピアニストの反田さんもネットでいろいろ弾き方を研究したといいます。

そして、自分が客観的に見て、正しいと思ったことに対しては、誰よりも努力する。それは、人に言われてする努力ではなく、自分で考えて行う努力です。

それによって、昔からの日本人の優れた性質、つまり、何事にも手を抜かず、こつこつ努力するという面が力を発揮し、彼らに成功をもたらしているのです。

 

ところで、今、紹介した1994年生まれの3人は、ともに小学校、中学校で「ゆとり教育」を受けた世代です。皆さんも耳にしたことがあると思いますが、実は、「ゆとり教育」という言葉は、あまり評判がよくありません。

「ゆとり教育」とは、学校教育にゆとりをもたせるために1991年から2010年まで実施されたものです。教育内容の3割削減、完全週休2日制の実施、「総合的な学習の時間」の設置が主な内容でした。

やがて、子どもたちの学力低下が問題となり、10年前、文科省は「脱ゆとり」の方向に舵を切りました。

 

ところが、「ゆとり教育」を受けた若者の中から、世界で活躍する人が現れてきたのです。日本の「ゆとり教育」も、人が言うほど、失敗ではなかったのです。

 

私は、敬和の教育にも、よい意味でのゆとりが必要だと思います。与えられたものをこなすことに時間を追われると、自分でものを考えなくなります。

自分で調べ、考えるためには、精神的なゆとりは不可欠だからです。

 

さて、ここで6日間の天地創造の後に、7日目、神様が休まれたという、今日の聖書の意味を、今一度、考えてみたいと思います。

 

私たちが、一生懸命、働き、勉強することはもちろん大事なことです。しかし、それだけで、すべてが完成するものではありません。

聖書は、人間には安息の時が必要だと言います。安息の時、それは生活における「余白」と言ってよいかもしれません。

人生には「余白」の時が必要なのです。それは決して、無駄な時間ではありません。なぜなら、そこに神様の助けと導きが働くからです。

そのとき人は、神様の働きを、感じることができるからです。

 

与えられた時間を、すべて自分のスケジュールで埋め尽くすのではなく、余白の時を設けること、そして神様の祝福にあずかること、その大切さを今日の聖書は教えてくれています。

敬和の生活では、この毎朝の礼拝こそが、そのための時間です。その恵みをおぼえ、今日の一日、共に歩む者でありたいと願います。