お知らせ

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2021/11/22NEW!

今週の校長の話(2021.11.22)「2021 宇宙への旅」

校長 小田中 肇

【聖書:ヨハネによる福音書 1章6~8節】

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

 

宇宙ビジネスという言葉を聞いたことがあるでしょうか。宇宙旅行をビジネスとして立ち上げる計画が、今、アメリカでは急速に進んでいます。旅費は最低でも2000万円かかるというのですから、お金持ちしか行けない旅行です。

 

アマゾンの創業者で民間宇宙企業ブルーオリジンを率いるジェフ・ベゾス氏は、11月10日、アメリカ、ワシントンDCで開かれたIgnatius Forumで、次のように語っています。

 

人間はいつか宇宙で生まれ、宇宙植民地で生活するようになるだろう。地球の天候や引力を再現できる、回転する巨大な円筒状の居住空間を宇宙空間に建設し、そこには川や森、野生生物も存在し、人間が最大で100万人生活する計画だと言います。

数百年後には、多くの人がそこで生まれ、宇宙が彼らの生まれ故郷になるだろう。そこで生活し、私たちが海外旅行するように、彼らは地球を訪れるようになるだろうというのです。

 

まるでSF小説のような計画ですが、数百年後のことは誰にも分かりません。本当に実現しているかもしれません。宇宙旅行もこの計画の第一歩と考えているのでしょう。

 

しかし、このような計画に対して否定的な意見がたくさんあるのも事実です。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、「地球上で何百万人もの人々が飢えている」にもかかわらず、ビリオネアたちは宇宙旅行に何十億も費やしている、と非難しました。今、地球でやるべきことが他に、もっとあるべきだ、という意見です。

皆さんはどのように考えるでしょうか。

 

私は、以前、宇宙から撮影した地球の映像を見たとき、何とも言えない感動を覚えました。闇の中に浮かんでいる青い地球。あの中に人間が住んでいる。自分もあの中にいると思うと不思議な気がしました。

そして、実際に宇宙に行って、そこから地球を見てみたい、とそのとき思いました。

 

「宇宙から帰ってきた日本人 日本人宇宙飛行士全12人の証言」(稲泉連)という本があります。その中から油井亀美也(ゆいきみや)さんのお話しを紹介します。

油井さんは、航空自衛隊のパイロットでしたが、宇宙飛行士となり、2015年7月から5か月間を国際宇宙ステーションですごしました。

 

油井さんは言います。「地球の背後に広がる宇宙の闇はあまりに深く、その中に言葉にならないほど美しい地球が浮かんでいた。」

そして、地球を取り巻く大気(空気の層)のあまりの薄さに驚きます。

「周囲は真っ暗な死の世界であるのに、地球は生物で満ち溢れている。それなのにその生と死の世界を分ける大気の層はあまりに薄く、簡単に壊れてしまいそうに感じる。あの美しさがその実感を高めるんです。」

 

また、「地球では、国と国、民族と民族が争っているが、宇宙から見ると、同じ地球人同士が争い、殺し合っていることが、なんとも悲しいことに思えてくる。」と言います。

 

油井さんのお話しを読んで、私たちも、宇宙から地球を見る視点を、もってもよいのではないかと思いました。

つまり、地球の表面にへばりついて、ものごとを平面的だけに考えるのではなく、地球を宇宙から見るという、立体的な視点をもつことです。

それによって、環境問題、国際問題、戦争、差別の問題について、今までと違った見方ができるようになるのではないでしょうか。

 

また、油井さんは、宇宙は「教会」に似ている、という印象的な言葉を述べています。

モスクワで4年間、宇宙飛行士になるための訓練を受けた時、何度かロシア正教の教会に案内されて見学したことがあったそうです。

宇宙ステーションから地球を眺めているときの感覚が、教会に入った時の感覚に似ていたというのです。

 

教会に足を踏み入れた時、そこに街の喧騒とは異なる、静寂な世界があることに胸打たれた、イコンや讃美歌の調べ、礼拝の作法に従って静かに祈りをささげる人たち・・・その雰囲気に何か侵し難いものを感じ、ふと「神様というのは本当にいるのかもしれないな」と思った、といいます。

「宇宙ステーションから地球を見たときも、同じような感覚を覚えたんです。これほどすごいもの(地球)を創るには、奇跡があるに違いない。」

これは、実際に宇宙に行った人でないと、言えない言葉だと思いました。

 

今日の聖書です。洗礼者ヨハネは、イエスを証し(あかし)するために来たといいます。証しするとは、証人になるということです。

イエスが光だとすれば、ヨハネはそれを映す鏡です。鏡は、光そのものではありませんが、光の存在を人に知らせることができます。

 

真っ暗な宇宙空間に浮かぶ小さな地球。その星に生きる私たち。私たちも、ヨハネのように光そのものではありません。

しかし、光について証しすることはできます。そして光について証しできるのは、光を浴びた者です。

私たちも、神様の光を浴び、その恵みにあずかって生きる者、光について証しする者でありたいと願います。

とりわけ敬和というこの場所において、たとえそれが、宇宙の中の本当に小さな片隅のような場所であっても、私たち一人ひとりが、ここで神様の光をたくさん浴び、光を証しする者でありたいと願います。