お知らせ

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2021/11/08

今週の校長の話(2021.11.8)「秋のオープンスクール」

校長 小田中 肇

【聖書:創世記2章7節】

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

 

一昨日の土曜日に、秋のオープンスクールがありました。全国から中学生と保護者、合わせて200名以上が参加されました。天候にも恵まれ、充実した一日となりました。

敬和のオープンスクールの特徴は、労作の生徒が、受付や誘導など様々な場面で活躍してくれることです。そのために時間をかけて準備します。

誘導する人は、中学生や保護者の方と、自然な雰囲気で楽しそうにお話しをしながら歩いています。私は、在校生が、こんなに一生懸命、休日をつぶして、全くのボランティアで快く協力してくれる学校が、他にあるだろうか、と思いました。

これは敬和が自信をもって誇れることだと思います。

 

今年はオープンスクールを、既に、春と夏の2回、行いました。コロナのために、在校生は参加しない形で行いました。今回の秋のオープンスクールは、労作の生徒が参加してくれたおかげで、雰囲気が全く変わりました。

生徒がいて、学校は始めて学校なんだ、生徒のいない学校は、ただの器(うつわ)にすぎないと感じました。

 

オープンスクールに来られた方は、敬和がどんな学校だろう、と思って参加します。きっと、労作生徒の表情や言葉から、敬和の教育の素晴らしい面を感じとっていただけたと思います。

 

今回の労作を希望した生徒は、入試の時、自分のために誘導をしてくれた先輩を思い出して、自分もやってみたい、と思ったのではないでしょうか。敬和教育の良い面、誇れるものは、このようにして先輩から後輩へと受け継がれて行くのだと思います。

 

ところで、私は学校紹介のとき、敬和の魅力についてお話しします。

敬和の魅力の一つは、自然環境の豊かさです。

皆さんにとっては、当たり前のことになっていて、特に魅力と感じないかもしれません。しかし、新潟市内にありながら、これだけ自然に恵まれた学校はありません。

このような環境で、3年間、過ごすことによって、養われるものが必ずあります。それは、開かれた心と豊かな人間性です。そのために、この環境はとても大切です。

 

また、建物や施設のなかでは、やはりこのチャペルがもっとも誇れるものだと思います。敬和が何を大切にしているかが、この建物からも伝わります。

日本中のミッションスクールのなかでも、これだけのチャペルは珍しいと思います。正面の大きなガラス窓をとおして、季節ごとの自然の姿が見えるのも、周りを豊かな自然に囲まれた敬和だからこそのものです。

このチャペルは、創立30周年記念事業の一環として建てられました。資金の多くは、卒業生や日本中のキリスト教会、キリスト教学校からの献金によって造られました。多くの方の祈りと願いが込められている建物です。

 

そして、敬和が創立以来、大切にしてきたこと、それは生徒と教師の信頼関係です。先ほど、お話しした入試労作も、この信頼関係があるからできることです。

 

私は、30年前に敬和に就職しました。そのとき、本当によい学校に就職できたと思いました。

生徒は、授業をよく聞いてくれます。そして、何よりも、生徒は先生を信頼してくれている、そのことが驚きでした。皆さんは、そんなことか、と思うかもしれません。しかし、これは大変なことなのです。

当時は、行きすぎた管理教育が原因で、日本中の多くの学校が荒れていました。校内暴力など教師に対する不信感でいっぱいでした。

 

ところが敬和に来ると全く違っていました。生徒と教師の間に、強い信頼関係が保たれていたのです。

私は、なぜだろう、と考えてみました。様々な理由があると思いますが、やはり、この毎朝の礼拝が大きいと思いました。

当時、チャペルはなく、礼拝は体育館で行われていました。今の新しい体育館ではなく、前の体育館は、冬には雪が扉の間から吹き込んできました。しかし、礼拝に対する姿勢は、生徒も教師も真剣でした。

 

礼拝では、生徒と教師が並んで座ります。そして、聖書の言葉とお話しに耳を傾けます。正面には十字架があります。

礼拝は、生徒と教師が、神様の前では対等な人間であることを、毎朝、再確認する時間です。

もちろん生徒と教師には、それぞれの役割があり、その立場は違います。学校生活においては、それぞれが、その役割に相応しく行動しなければなりません。

しかし、生徒も教師も、最も深いところ、神様の前では同じ、対等な人間です。生徒と教師だけではありません。大人も子供も、男性も女性も、お金持ちもそうでない人も、神様の前では同じ人間です。

そのことを確認して、一日を始めることの意味は大きいと思います。

 

なぜなら、それこそが、敬和学園における、人と人の信頼関係を、最も深いところで支える人間観だからです。

ですから、他の学校がどんな荒れても、敬和は大きく揺らぐことがありませんでした。創立以来、この「敬和らしさ」=生徒と教師の揺らぐことのない信頼関係が守られてきたからです。

 

今日の聖書です。天地創造において、神様が人間を創造される場面です。

命の息が、土の塵で作られた人間に吹き込まれた、すると人間は生きる者になった、と伝えます。

 

敬和学園も、神様の「命の息」によって生かされています。そして、この「命の息」は、生徒一人ひとりをとおして、学園に吹き込まれます。

敬和学園を輝かせるのは、皆さん一人ひとりです。

その恵みをおぼえて、今日の一日、共に歩むものでありたいと願います。