毎日の礼拝

校長のお話

2009/05/25

「神の愛の驚くべきスケール」

聖書:ヨハネの手紙1 5章10~12節

3月の後半のことですが、大学を卒業した娘が兵庫県の宝塚から戻ってきました。
北海道の農業の専門学校に入るまでのしばらく家で過ごしていたのですが、片付けている最中に「ああ、睦子さん(祖母)から父さんに、渡してほしいものがあるといわれてた」といって、印刷物を出してきました。
それはわたしの母が今通っている教会の月報という、月に1回発行している通信です。
そこにはわたしの母が去年の11月に戦争のおろかさについて話したものが、そのまま載っていました。
「命は誰のもの」というタイトルの自らの戦争体験と平和について語ったものです。
わたしはそれを読み終えて、しばらくしてはっと気づいたことがありました。
気づいたというよりは、「何で今までこんな大事なことがわからんかったんやろ」というのが正直な気持ちです。
わたしの母は小さいときから勉強がとても好きだったようです。
これは母をよく知っている親戚、とくに母の兄と妹にあたる伯父や叔母がよくいっていたので間違いないようです。
その母の希望は上級学校に進学して学校の先生になるということでした。
ところが、京都で友禅染の工場を経営していた父親が事業に失敗します。
そのために希望していた上の学校に行けなくなりました。
そこでは母昼間働きながら夜間の女学校に通います。
そこでも成績が抜群だったため、卒業後はその学校で教えることを条件に奨学金を出してもらえることになり、当時女性が行ける最高の学校であった、今の奈良女子大を受験することになります。
ところが、すぐ上に兄が徴兵を受けて軍隊に入ることになり、心細くなった母の母が引き止めたために、そしてすぐ下の弟も病弱だったために、入学をあきらめます。
この後も勉強したい、学校の先生になりたいという母のその願いは、家族のために、そして戦争のために、その都度実現寸前でだめになってしまいます。
母にはその残念さ、無念さがずっとありました。
それもあって80歳を過ぎてからも、大学の教員をしている弟の講座の聴講生になるなど、自分の夢願いを何とか取り戻そうとしてきました。
通信を読み終えたわたしが、いったい何に気づいたかです。
それを一言でいうと、神さまが人を愛する、その愛し方のスケールの大きさについてでした。
わたしは今こうして敬和学園という学校で働いています。
そのわたしが、学校で働きたいという希望をもっていたかというと、そうではありませんでした。
誤解されやすい言い方になりますが、わたしは学校で働きたくて働くことになったのではありません。
小さい時から学校は苦手でした。
小学校、中学校の先生の前に出ると、必要以上に緊張して、自分の考えや気持ちをうまく伝えることができませんでした。
先生からすれば、間違いなく扱いにくい子どもであったと思います。
成績もたいしたことがない、そういう自分が50歳を前に苦手としてきた学校で働くことになるわけです。
わたしが学校で働くことになったとき、母がおもしろそうにいいました。
「神様というのは不思議なことをしはるなあ、なんであんたが学校で働くことになったの? それでもそれが神さまの御心やから、しっかり働きなさい」。
わたしは教会の牧師をしていましたから、神さまが行けというところには行きます、という気持ちを大切にしてきました。
だから敬和学園で働く以上、自分のできることは何でもしようと考えてきました。でもいつも心にひっかかっていたのは、なぜ神さまはわたしに学校で働くことを求められたのか、ということでした。
その自分の考えがいかに小さいかを母の通信を通して思い知らされたのです。
わたしが気づかされたこと、それは母の学校で勉強して先生になりたいとの願いと祈りは、家族のために、子育てのために断ち切られたのでないということでした。
それは命を受け継ぐ形で、大学の教員となった弟、そしては50歳を前に敬和学園で働くことになった、わたしという人間、子どもを通して実現しているというのです。
神さまは一人の人間の祈り・願いを50年、60年という年月をかけて、また親子2代をかけて実現してくださっているのです。
別の捉え方をすれば、神さまは一人の人の祈り・願いを50年も60年も忘れられることがないということです。
電話でそれを母に話しますと、「あんた、ありがとう、ようそれに気がついて、わたしに教えてくれたわ、それもあんたが牧師になったおかげやあ。いあ、神さまてすごいなあ」との言葉が返ってきました。
わたしは自分の鈍さに今さらながらに呆れていますが、同時に、たとえ今というときがわたしには絶望的に見えたとしても、神さまはわたしたちの思いを遥かに超える大きな愛でわたしたち一人ひとりを守り導き、そして夢や願いや祈りを必ず実現してくださる方だということがあらためてわかりました。
神さまがスケールの大きな形でわたしたち一人ひとりを愛してくださっていることを心の拠り所として、新しい一週間も共に学び生活していきましょう。