お知らせ

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2021/09/13

今週の校長の話(2021.9.13)「何事にも時がある」

校長 小田中 肇

【聖書:コヘレトの言葉 3章1~2節】

「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

 生まれる時、死ぬ時  

 植える時、植えたものを抜く時」

 

新学期が始まり、3週目に入りました。この時期は夏の疲れがでる頃です。今年は特に暑い夏でした。涼しくなって、気持ちのよい季節を迎えると何となく、眠くなってきます。それでなくても若い皆さんは、普段から眠いのに、こうした季節は眠気とのたたかいではないでしょうか。

今日は、日本の昔話「三年寝太郎」から学びたいと思います。紹介します。

 

昔あるところに、一人の若者がいた。若者はちっとも働かないで、寝てばかりいたので、みんなからばかにされて、「あいつは役立たずだ、寝太郎だ」と言われていた。そうやって何年もすぎた。

ある日のこと、若者はむっくり起き上がり、町へ出かけて行った。そして鳩とちょうちんを買って帰ってきた。夜になると、若者は鳩とちょうちんを持って、となりの長者(=お金持ち)の庭の松の木に登り大声で叫んだ。

「長者よ、よく聞け。私は鎮守の森の神様である。今夜はお前の家の家運を予言しにやってきた。」

長者は、なにごとかと縁側へ出てみた。すると、暗闇から声だけが聞こえてくる。

「おまえの家のひとり娘に、となりの寝太郎を婿にとらなければ、お前の家はたちまち傾くであろう。よいか、わかったか。では、余は鎮守の森に帰るぞ」と、言って、寝太郎、ちょうちんに火をつけ、鳩の脚にゆわえつけて、ぱっと放した。

その瞬間、灯(あかり)がヒューと鎮守の森の方に飛んでいったので、長者は本気にしてしまった。夜が明けると長者は寝太郎のところに行って、「鎮守の森の神様のご命令だから、ぜひうちのひとり娘の婿になってくれ」と言った。

「それじゃ、なってやろうか」と言って、とうとう、寝太郎が長者の家の婿になった、というお話です。

 

皆さんは、「なんじゃこれ、何が言いたいのか分からない」と、思うかもしれません。しかし、昔の日本人はこのようなお話を楽しんだのです。500年前の室町時代には、寝太郎と同じ話があったことが分っています。当時はテレビやSNSなどありません。

お年寄りの話してくれる昔話を聞くことは、子供だけではなく、大人にとっても楽しみでした。当時、人々の生活は苦しく、多くの日本人は生活のために、働きづめでした。

ですから、寝太郎のような怠け者のお話を、みんなで笑いながら、伝えてきたのです。寝太郎が、ちょっと悪知恵を働かせて、自分の幸せをつかむお話しに、人々は日々の生活の苦しさを忘れることができました。

そして彼らには、この寝太郎の悪知恵を責めるのではなく、それも、世の中を生き抜くためには、時として必要な知恵と考える、おおらかさがありました。

 

それだけではありません。このお話には若者の成長についての昔の人の考えが隠されています。

ひとつは、寝てばかりいる若者も、いつか起き上がる時がくる、ずっと寝ているわけではない、ということです。

もうひとつは、若者が飛躍的に成長するとき、その前には、寝太郎のように、何もやる気になれない、そういう時期がある、ということです。臨床心理士の河合隼雄さんは、それを「創造的退行」と呼びます。

 

長年、教師をしていると、時々、30代、40代の卒業生に会うことがあります。高校の頃は、怠けていたり、ぼーとしていた生徒も、そのほとんどは、社会人として、何かしらの仕事をしています。中には牧師になっている人もいます。

彼らは、もう寝ていません。起き上がってしっかり生活しています。おそらく、多少の悪知恵も働かしながら、たくましくこの社会を生きています。

 

卒業生だけではありません。私は、今の3年生が1,2年生のとき、数学の授業を担当しました。合計で70名くらい教えました。その中で1年のときは、授業を聞かないで寝てばかりいたのに、3年になって、見違えるように成長した生徒が何人もいます。

ある人はフェスティバル本部や連合で重要な部門を任されたり、ある人は医療系の進路のために3年になって数学Ⅱを履修してがんばっていたり、あの1年の時の私の授業は何だったのか、と思えるほどです。

彼らは、卒業しても、きっとしっかり自分の務めを果たして行くと思います。

 

2つ目も、皆さんは、何となくわかることだと思います。飛躍的に成長する前に、何もする気がしない時が訪れる、というものです。

寝太郎は寝てばかりいました。しかし、そのとき、彼は、何もしていなかったわけではありません。

寝ながら、次の飛躍のための準備をしていたのです。周りの人は誰もそんなことはわかりません。おそらく本人もわからないでしょう。

しかし、彼の心のなかでは、次の行動に向けて、さまざまなことが起きていたのです。矛盾するさまざまな思いや感情を整理し、飛躍に向けての準備がなされていたのです。

 

皆さんにも、どうしても何もする気がしない、そういうときがあると思います。それは心の中で、次の行動のための準備がなされていると思ってみてください。

そういうときは、素直に身体の声に従って、何もしないで、新しい時が来るのを待てばよいのです。

 

さて、十分休み、時が満ちた寝太郎は、行動にでます。「このままでは、いけない。自分も幸せな人生を送りたい。」そう思ったのかもしれません。寝太郎は、意を決して、全力で行動にでます。

しかも、その行動とは、大胆不敵にも、森の鎮守の神様になりすます、というものです。若者のこの大胆さ、これがこのお話の魅力のひとつです。

そして、夜空をゆっくりと森に向かって飛んで行く、鳩の脚に結わえられたちょうちんの灯(あかり)、何とも美しい場面です。こうして、寝太郎の計画は見事に成功します。

あらためて読んで、昔の人の若者に対するあたたかな眼差しが感じられる、よいお話だと思いました。

 

今日の聖書です。

「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」

私はこれを次のように続けてみたいと思います。

「何事にも時がある 寝る時、起きる時、 怠ける時、全力を尽くすとき  

そして、すべては時にかなって美しい。」

 

私たち一人一人に、神様は、それぞれふさわしい時を備えてくださっています。備えられたその時を、喜びをもって待ち望み、一日一日を、感謝をもって歩むものでありたいと願います。