お知らせ

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2021/05/18

今週の校長の話(2021.5.17)「チャペルの鐘」

校長 小田中 肇

【箴言1章7節    讃美歌57番】

主を畏れることは知恵の初め。

無知な者は知恵をも諭しをも侮る。

 

先週も嬉しいことが、いくつかありましたので紹介します。

新学期になってから、4件ほど、中学生とその保護者の学校見学がありました。来年、敬和への入学を考えている中学生です。

学校見学は、校長の担当になっているので、私が対応します。皆さんの中にも、入学前、学校見学に来て、中塚校長先生に案内してもらったという人もいると思います。

 

先ず、応接室で学校紹介DVDを見ていただいた後、少しお話をして、学校を案内します。授業中の教室にも入って、授業の様子も見学します。体育館、美術室、音楽室をまわり、最後にチャペルに案内する、というのが普通のコースです。

保護者の方が、いつも言われるのは、敬和生の表情が明るく、伸び伸びしている、ということです。先日は、体育の授業が終わった生徒とすれ違ったのですが、多くの生徒が、挨拶をしてくれました。

生徒、皆さんの自然な表情や挨拶が、何よりも学校の雰囲気を伝えてくれます。見学された方は、皆さんの、そういう、ありのままの日常を見て、安心してお帰りになります。

私は、見学される方には、いつも「建物や施設よりも、生徒を見てください、敬和の一番の自慢は生徒です」、と言っています。

 

次に嬉しいことは、チャペル前の掲示板に聖書の言葉が掲示されたことです。3年生のMさんが、連休中に書いてくれたものです。

見事な字で、「求めなさい、そうすれば、与えられる」という言葉が掲示されました。

この聖書の言葉は、私が選びました。

皆さんが、敬和の生活の中で、人生において最も大切なものを求め続けて欲しい、それは、必ず与えられる、そのような願いを込めて、この言葉を選びました。

 

もう一つ嬉しかったことは、水曜、昼休みの祈祷会が再開したことです。昨年はコロナのためにできませんでした。

祈祷会とは、お話を依頼された3年生が、「自分探し」というテーマでお話をして、その後、3人くらいの人がお祈りするという会です。

先週は3年生のIさんが、お話をしてくれました。敬和生らしい、大変、良いお話でした。友達もたくさん来ていて、とてもよい雰囲気の会でした。

 

掲示板の聖書の言葉もこの祈祷会も、それを行うことによって、今までコロナで止まっていた時間が、再び動き始めたように感じました。

先週、会議のために敬和に来られた、榎本理事長にそのことを話すと、「それは、よいことだ、そういうところに、聖霊が働いてくださる」と言われました。

 

時間が動き始める、ということで思いだしたのですが、実は今、敬和のチャペルの鐘が故障して鳴りません。

1年生は、鐘の音を聞いたことがないと思います。

ヨーロッパの中世の町には、大きな礼拝堂(大聖堂=カテドラル)が、町の中心にありました。大聖堂と広場を中心に町が造られたのです。大聖堂の鐘は、町の人々に時を告げました。そして今も同じように、鐘は鳴らされています。

 

私は、一日も早く、敬和のチャペルの鐘が鳴って欲しいと思います。

鐘を鳴らすモーターが故障したのですが、ドイツ製で500万円以上するそうです。

そのため、モーターはもう、やめようと思いました。値段が高いし、また何年かすると壊れてしまうからです。

今度は、手動でロープを引いて鐘を鳴らすものに変えたいと思います。そのために、今、業者に見積もりをとってもらっています。

 

毎朝、文化委員の生徒がロープを引いて鐘を鳴らす、そして敬和の一日が始まる、学校には、生き生きとした時間が流れ、そこに聖霊が働く、そんな未来を私は想像しています。

 

さて、2,3年生は、今日から定期テストが始まります。

テストは嫌いかもしれませんが、テストがあるから、いやでも勉強しなければなりません。私は数学の教員ですが、授業で聞いて分かったつもりになっていても、実際に問題を解いてみると、案外できないものです。

間違ってもいいから、自分の力で問題を解いてみる、その経験の積み重ねが、皆さんの考える力、つまり自立して生きて行くための知恵を育んでくれるのです。

 

今日の聖書です。「主を畏れることは知恵の初め。」

主とは、神様のことです。この「主を畏れる」とは、どういう意味でしょうか。

よくわからない時、私は逆を考えてみることにしています。

つまり、神を畏れないとは、どういうことか。

 

神を畏れないとは、この世に、神はいない、つまり人間が恐れなければならないものなど存在しない、と考えることです。

神がいないならば、何をやっても構わない、どんな悪いことをしても、ばれなければいい、という考えにつながります。

このような考え方の行き着くところが、どういう状態かは、想像つくと思います。

人間不信、社会の破滅です。

 

今、人類にとって、もっとも心配されるのは環境問題です。

人間による自然破壊、それによって生まれる気候変動や様々な環境問題、これも神を畏れない、私たち人間の行為が生み出してしまったものと言えます。

このまま続けて行けば、取り返しのつかないことになります。

 

こうして考えると、「神を畏れること」の大切さがわかってきます。

神を畏れることを忘れた、人間の知恵は、世界に、平和と幸福をもたらすことはありません。むしろ破滅をもたらします。

 

敬和では、毎日の授業の前に、先ず礼拝を行います。

それは、「神を畏れること、それが知恵の初めだ」、と考えるからです。

礼拝をとおして、神、すなわち人間を超えた存在に対する、畏敬の念を心に刻んで欲しいと願うからです。

 

そのことを覚えて、今日から始まる定期テストに、しっかりのぞむ者でありたいと願います。