自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2011/03/07
<ココロ>
みぎわ寮生と一緒に居て、「嬉しいな」「すごいな」「優しいな」など、彼女たちの言動に心打たれる瞬間が毎日たくさんあります。
先日の金曜日に、次の日曜日の食当(食事当番)がいない事に気が付きました。金・
土曜日などフリーと呼ばれる日の食当は、食事をとる寮生の人数が少ないため、基本的にボランティアを募っているのですが、日曜日は全員そろっての食事です。食当がいなければ、準備も洗いも大変です。「さぁ、どうしよう。困ったなぁ」と思った私は、即みぎわ寮生に相談を持ちかけました。「日曜日の食当いないんだけどさぁ、誰か手伝ってくれないかなぁ。」と。テスト前という事もあり、みんな寸暇を惜しんで勉強に励んでいる真っ只中、「え~。やだ~。」なんて言われるのかな…なんて寂しい想像に駆られていた私に返ってきた答えは「やるよ!」という軽やかなものでした。Uさんの「私、やるよ。」を先頭に、Oさんの「私もやるよ。」、「まだ、人数集まってないの?やろうか?」とTさんとMさん。「先生、食当人数集まりました?やりましょうか?」とMさんとKさん。「私も、やるよ。」とU.S.さん。あっという間に1・2年生7名による即席食当班ができあがりました。
だれかがやるだろうと遠巻きから様子を伺っていたり、頼まれたら嫌だなぁと目をそらしていたり…やってしまいがちな対応なのですが、みぎわ寮生は「先生困ってるの?手伝うよ!」と、とても気持ちよく引き受けてくれました。私が嬉しかったことは言うまでもありません。食当を引き受けてくれた嬉しさというより、困っている人を見逃さず手を差し伸べる優しさ、また自分が忙しい時にあっても人のために働ける心に、大きな喜びを感じました。みんな、本当にありがとう!
スタートした42回生が軸のみぎわ生活。こんな温かい心を持った人たちがいる集団なら、44回生を迎えてもきっと素敵な仲間づくりをしていってくれる!と確信できる機会にもなりました。また、その42回生の心を43回生も学び自分のものとしつつあることも見え、4月からの新たな歩みが楽しみで仕方ありません。
(森口)
<44回生を待つ準備>
みぎわ館では44回生を迎え入れる準備が着々と進んでいます。各学年、来年度のための様々なミーティングを繰り返しました(なんと寮祭の話まで!)。今のままでいいのか?新1年生が入寮し、不必要な不安を感じさせることなく寮に馴染み、楽しいと思ってもらえるのかどうか。寮生活を楽しいと思ってもらうためには43回生の大きなサポートが不可欠です。自分たちがしっかりサポートできるところに今いるのかどうか、いないのであれば44回生の入寮までの残りわずかな日々をどう過ごしていかなければいけないのか…考えることは山盛りです。天真爛漫な末っ子たち43回生だと思っていたのに、この1年、42回生にしっかりサポートしてもらっていたことを感じとっている事や、自分たちのこれからの役割を認識し果たしたいと考えてくれていることなど、とても頼もしく感じます。
42回生はいよいよ最高学年です。「まだまだ自覚ない~!」と叫んではいますが、4月からの自分たちのみぎわでの立ち方や43回生へのフォローを考えるあたり、すっかり3年生の貫録です。各学年共通している事は「44回生に大きな愛情注ぐんだ!」という熱い思いです。新たな末妹たち・44回生の入寮を今から心待ちにしています。
(森口)
<礼拝のお話>
*M.M. (1年生)
寮に入ってきてから3回目の部屋替えも終わり、もうすぐ1年が経とうとしています。私は今、こうして寮生活を毎日楽しく送れて幸せに思います。しかし、最初の頃の私は今とは全く違い、6月頃には敬和を辞めようと考えていました。寮にも学校にもなじめずにいた私は、毎日敬和を辞めたい、他の学校に行きたいと思いながら過ごすようになりました。その思いは行動に移り、私は家に帰り、数日後学校を辞めるつもりで寮に戻り、森口先生や津野先生、校長先生と話をしました。しかし、校長先生と話をした私は、あともう少し頑張ってみようと思いました。何を話したのかははっきり覚えていないけど、こんな素晴らしい校長先生がいる高校を辞めるのはもったいないと思ったのは覚えています。また、母も敬和に厚い信頼があったので、辞めることに反対していたのも覚えています。
寮に戻る時、すごく不安でいっぱいでした。でも、寮のみんなの「おかえり」の一言がすごくうれしかったです。戻ってきた私は少しずつ周りの環境を受け入れられるようになり、敬和を好きになっていきました。あの時、敬和を辞めなくて本当に良かったです。あの時、私は敬和での自分探しの一歩として自分の弱さに直面しました。私は学校や寮に馴染めず、敬和を否定し、すぐに辞めるという結論を下しました。周りの環境が自分に合わないと思いこみ、自分を変えようとせず、敬和を辞めようとしました。その時は気付かなかったけれど、その弱さは昔から持っていて、克服されずにいたのだと気付きました。私の中学校時代の事と共にお話ししたいと思います。
中学入学時、静岡に住んでいた私は小学校からそのまま内部進学し中高一貫校毎日の7時間授業、学力を上げようと必死の先生とやる気のない生徒とのギャップに不満を常に抱いていました。常にだれかの悪口が飛び交う教室、相手からどう思われるかばかり気にしていた人間関係に疲れ、さらに悪化し顔に出るアトピーが追い打ちをかけ、私は日に日に学校に行きたくなくなりました。毎日精神的に疲れ、以前は楽しいと思っていた事も楽しく感じなくなりました。姉が中2・中3と不登校だったため、学校を休んでも中学を卒業できることを知っていた私は、いつからか心の底で行きたくないなら行かなくてもいいんだと思っていました。人を信じられず、友達と関わることにも不安を常に抱いていました。
勉強するなら家でもできるのではないかと、学校に行く意味を見いだせずにいた私は5月頃に行かなくなりました。不登校だった姉が昼夜逆転し、やる気もなく、家族とも話さなくなり、性格も変わり、毎日苦しんでいたのを見ていた私はただ休んでいたら私も姉のようになってしまうと思い、一週間後にフリースクールの寮に入りました。学校より厳しかったけれど、良い経験が出来ました。そこで少し元気になったものの学校に行くほうがマシだと思った私は学校に戻りました。しばらく頑張っていたもののやはりまた学校に反感を抱き、私はまた行かなくなりました。2か月くらい家で過ごしました。
中1の終わり、私は学校に戻るか、近くの公立に転向するか選択を迫られました。どちらも嫌だという私に母は「岩手に行く?」と聞きました。想像もしていない展開でしたが、他に道もなく、何もかもから逃げ、新しくやり直したかった私は岩手に行くことに決めました。母のこの提案が私の人生を大きく変えました。今となっては本当に感謝しています。
なぜ岩手なのか疑問でしたが、母が一年住んでいたことがあり、会わせたい人が何人かすんでいることと、自然が豊かであることから決めたようでした。本当に自然が豊かで、リスを見たこともありました。高い建造物がなく、空が広々見え、とてもきれいでした。また、福祉施設があり、町の5人に一人は障害を持った方でした。現代では珍しい地域の人との関係が濃い、温かい地域でした。そんなところで中2の春から母との二人暮らしが始まりました。多くのカルチャーショックを受けつつも、充実した中学校生活を送ることが出来ました。
岩手に行かなかったら、経験できなかったであろうことを沢山経験し、素敵な出会いもたくさんありました。もし私が普通に元気に学校に通っていたら、まず岩手に来るなんて考えもしなかったと思います。神様がここまで導いてくれたのだと思いました。無駄だったと思えるようなこと、挫折や失敗や悲しみ、苦しみは決して無駄ではなかったのだと、後になって気づきました。不登校になった私を神様は決して見捨てず、道を示してくれました。このように中学を卒業して、私の不登校の問題は解決したと思っていましたが、中2・中3で学校にちゃんと通った事では私の問題は解決していませんでした。そのことに敬和に入って気づくことになりました。
私はいつの間にか嫌な事を避け、逃げようとばかりしていました。敬和での生活から逃げようとし、自分の今ある環境で頑張ろうとせず逃げようとしていました。あの時辞めていたらきっと、色々な事から逃げ続けていたでしょう。敬和で生活する中で私は数々の自分の弱さと直面しました。きっとこれから先も敬和の自分探しの中で、私は自分の弱さと直面すると思います。そんな時、これからは逃げずに立ち向かい、弱さを強さに変えていきたいと思います。
(2月22日)