のぞみ寮通信

みぎわ館

2011/03/04

みぎわ館 第74号(3月4日)

<居場所がない!?> 

 
 先日の日曜は3年生の帰寮日でした。久しぶりに戻ってきた3年生。

寮に入るや否や、たまらなくなったようで、寮本部に駆け込んできました。
「寮に居場所がないよ!」
と放たれたこの言葉に全てが集約されていると思います。
「話しには聴いていたけれど、本当にこんな風に感じるなんて・・・。切ないよー。」
 2年生が作ったお帰りなさいのポスターや、14名分の布団が積まれたラウンジと4特。お客様として迎えられることに寂しさと戸惑いを感じるというのは、みぎわ館が第二の家であり、安心していられる居場所であった証拠ですね。一方で、3年生が自宅学習期間を過ごした一ヶ月、1・2年生も変化・成長することができたとも言えると思います。部屋替えやミーティングを行い、自分たちのこと、後輩のこと、新入生のことを考えて来た時間がそれぞれの意識を高め、41・42・43回生のみぎわ館から、42・43・44回生のみぎわ館へ向かわせてくれています。
 41・42・43回生のみぎわ館、最後の夜はとっても長かったようです。寮修了礼拝後泣いて笑って、興奮冷めやらぬまま迎えた消灯後。ラウンジと4特にみぎわ館生全員が集う特別な時。階上に響くドスンドスンという音に、暴れてる?枕投げ?歌ってる!?と想像を膨らませていたのでした。
 翌朝、登校の30分前にはホールにきれいに並べられていた14組の布団、きれいに片付けられたラウンジと4特。最後まで立派な背中を見せてくれた3年生は、大きな荷物を抱え、後輩・みぎわ館に別れを告げてチャペルに向かいました。一人一人異なる歩みを始めるみぎわ館41回生たち、新しい土地でも、自分らしく安心して過ごせる居場所を探し求め、獲得していってください!

(冨井)
 


 
 
 
 
 


 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

<帰寮。そして寮修了礼拝。>
  
とうとうこの日がやってきました。3年生が帰ってきた2月27日(日)は、久しぶりに元気な顔が見れた喜びで胸がいっぱいになり(なんだかちょっとお姉さんになっていたよね!)、「あ!おかえり~!」と言葉を掛ける私たちの顔はきっと満面の笑みだった事、間違いありません。寮滞在はたった2日間。翌28日は寮修了礼拝。頭では分かっているはずなのですが、なんだか実感がわかず、みぎわ館45人全員そろって過ごせるウキウキ感でいっぱいでした。やっぱり3年生がいるみぎわ館は安心できます。不思議なものです。3年生がリードして過ごした2日間だったわけでもないのですが、ただみぎわに彼女たちが居てくれるだけで、とてつもない安心感で満たされていたのです。
寮修了礼拝当日、「先生、きっと泣くね。」と何度言われた事でしょう。その度に「泣かないよ。今年は泣かない。だって永遠の別れみたいで嫌だもん。」と強がっていた私。修了礼拝が始まり、讃美歌を歌っている間も、みぎわ館14名の名前を読み上げている間も、寮長の説教の間も、頭の奥が痛くなるほど熱くこみあげてくるものがありました。この14名と出会って2年、いろんなことがありました。一緒に暮らしているわけですから、意見の相違からわだかまりが生じたことも、チーム作りに関して真剣に話し合えたことも、一緒に遊んで笑い合ったことも、毎日の点呼で話し込んだ事も…。思い出したらきりがないくらい、たくさんの出来事が走馬灯のように思い出されました。
 
この2年、私は本当にみんなからたくさんの事を学びました。人ってこんなに成長するんだとか、こういうことが人の支えになるんだとか、幸せってこういうことを言うのだとか…。みんなの日々の成長が私の力になり、励まし・支えになっていました。私がいつも元気に笑って過ごせたのは、やっぱりみんなのおかげだったんだなぁと、今更ながら実感しています。みんなとの出会いを与えられたことに感謝し、みんなに教えられたことを忘れる事無く、今後に活かしていきたいと強く思います。
これから始まる41回生の新しい歩みの上に、そして敬和で続く42回生・43回生と私たちの歩みの上に、いつも神様の祝福があることを覚えて、みぎわ館での生活と、41回生と共に過ごせた時間をこれからの力に変えて、それぞれ与えられた場所で元気に生きていきましょう!近い将来の再会を楽しみに、みんなの活躍を祈っています!See you soon!

(森口)
 

 
 
 
 
<礼拝のお話>
  
*N.U.(1年生)
 私には私を含め6人の家族がいます。父・母・兄・妹2人です。兄弟が4人になると、家の中がうるさいのです。私が敬和に入る前は、とにかくこの騒音がストレスでした。妹2人はケンカをするし、ケンカを売ってくるし、兄は夜中音楽を大きな音でかけるので私は寝られない…という日々でした。その上、両親は関西人だからか、やはりこちらも毎度毎度大きな声でケンカをするためとても怖かったです。それはもう本当に家に逃げ場はなく、その度にトイレに隠れて耳をふさぎ一人で泣く事しかできませんでした。
おかげで私が進路を決める時に、敬和の寮はどうか?と聞かれた時は大賛成でした。もちろんそれだけの理由で敬和に入学したわけではありませんが、理由の一つになった事は事実です。やっとこの騒音たちから解放されると思って入った寮は、それはもう天国のようでした。ここまでの話からすると、私は家族を嫌っているように聞こえますが、それは敬和に来るまでの話です。今では家族が大好きです。
なぜなら、私には2週間に1度くらいのペースでかかってくる家族からの電話があるのですが、「Uちゃんがいないと寂しい」とか「あのお兄ちゃんが、Uからのプレゼントを喜んでいたよ」とか、とてもうれしい言葉を掛けてくれます。このような言葉を掛けられるのは一緒に暮らしていた時にはあり得なかったことです。基本的に私にデレを見せない反抗期の兄弟たちはというと、電話では相変わらずのツンデレなのです。私は、たぶん兄も含め妹たちが少しでも素直に接してくれたことに嬉しく思いました。そして、それら全ては私を励ましてくれました。きっとこうして家族から離れて生活をしたから、家族の優しさや大切さに気付くことが出来たのだと思います。そして、それに気づくことが出来た自分も成長したのかもしれないなぁと思います。
今年の春休みは、もう少し家で素直になってみようかな…と思っています。皆さんも、家族の事は人それぞれ色々な事情があると思います。家へ帰る度にケンカをすると言う事もあるでしょう。それでもきっと、家族は私たちの事を大事に思ってくれているはずです。そのことを少しでも理解することで、ささやかな幸せや人の優しさなど、今まで見えなかったものが見えてくるのではないかと思います。

(2月21日)