のぞみ寮通信

みぎわ館

2011/01/16

みぎわ館 第67号(1月16日)

<どの子がみぎわに…> 
 

 1月12日(水)、入学検査が行われました。

この入学検査、受験生はドキドキでしょうが、みぎわ寮生たちは密かに楽しみにしています。というのも、来年自分たちの新たなファミリーとして誰が入学・入寮してきてくれるのか、今からドキドキ・ワクワクしているからなのです。ですから、どんな人たちが受験をしに来てくれるのか一目見ようと、また自分たちが生き生きと過ごす姿を見せたい!と入試労作を買って出てくれます。入試労作とは、入試時になくてはならない、敬和生が担ってくれる役割なのですが、試験会場までの案内など受験生が困ることの無いよう、またその日1日がスムーズに運営できるようサポートする、とても重要なポジションなのです。合格発表後、新入生の入寮する館が決まる時、自分が入試労作で出会った人がみぎわ館に来ることになれば、それはもう!すごい喜びようです。「この子、むっちゃいい子だよ~!すごい嬉しい!先生、この子私と同じ部屋にして~!」と、一瞬の出会いから、どんどん夢や期待が膨らみます。一つの出会いをこんなに大切にし、心に留めるみぎわ寮生の在り様って、何度目にしてもすごいなって思います。
 

 後期後半が始まり、3年生は自分の夢に向かって羽ばたく準備と、敬和生活に悔いなきよう努める事を期待します。2年生は最高学年となり、みぎわ館やのぞみ寮を背負って立つ番。その心の準備と具体的行動を期待します。1年生はガラッと変わる自分の立場。教えられる側から教える側へ、気に掛けてもらう側から気に掛ける側へ。今までは少々我がままでも許してもらえた側から許す側へと、一気に場所替えです。「こんなはずじゃなかった!」なんて4月になってから思わなくていいように、この1年甘えさせてもらった事を振り返り、感謝し、新年度への心積もりを期待しています。
 しかし、今回の入試労作に向かうみんなのキラキラした目を見ていたら、こんな事、言わなくても重々承知しているようですね!スバラシイ!

(森口)

 

<カウントダウン> 
 3年生がみぎわ館で生活できる時間も残り2週間となりました。なんと早い事でしょう!昨年の今頃、40thのお別れ会を前に「あっという間に、41stの番が来るからね~!」なんて笑い話にしていたのに、本当にこの時期がやってきてしまいました。なんだかまだまだ実感がありません。3年生でさえあまり理解できていないような状況のようです。頭では分かっていても心で理解できない、という事をみぎわ寮生たちから聞く事があります。それって正にこういうことなのだな、と思います。
 
 そんな私たちの心境とは関係なく、3年生がみぎわを出発する2月1日は着々と近づいてきます。その証拠に、まず初めにリサイクルボックスが設置されました。(3年生がもう着ないジャージや服などをリサイクルボックスに入れます。そうすると、1・2年生がボックス内から欲しいものを持っていくのです。リサイクルボックスについてのお話はまた次回…)各階に衣類以外の雑貨用リサイクルボックスも設置されました。まるでフリーマーケットのようです。もちろん無料ですが!それから、ラストメッセージも始まっていますし、住民移動の準備も始まりました。3年生を送る会の準備も始まろうとしています。一つ一つしなければいけない事柄をこなしていくと、いつの間にか期限が迫ってきています。だからこそ、流れに任せて日々を過ごすのではなく、毎日を意識して大切に過ごしていかないといけないのだと痛感しました。気が付けば別れの日は今日だった!なんてことになると、伝えたかったこともやりたかったことも、何も出来ず仕舞になってしまいます。敬和生活・寮生活全てにおいてやり残しのないように、このメンバーで過ごせる時間が素晴らしい時となるように、各学年なりの日々の使い方を今一度考えてほしいと思います。より充実したものになるように! 

(森口)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

<礼拝のお話>

 
*N.Y.(2年生)
 今日のお話を何にしようかずいぶん悩みました。悩んだ結果、今まで生きて来ての私についてお話ししようと思います。
 私は、今から思うと、ここに来るまで周りに気を張り巡らして生活していたように感じます。例えば、幼い時は祖母におんぶしてもらっている時も、祖母の事が心配で「重たくなぁい?」といつも聞いていましたし、父に遊んでほしいのに、おんぶや抱っこをして欲しいのに、決まって妹の方に甘えさせてあげたいと思い我慢してきました。私は幼いながらに「自分より、まずは人」と思って、ものすごく我慢していました。小学校2年生の時からは1人でいることが多くなり、昼休みには校庭を一人で何周も歩いていました。小学校の時に一番覚えていることは、鶏小屋で暗い雨が降っている空の下で鶏とおしゃべりをして過ごしたことです。シトシトという音に私の声などかき消されてしまいそうでした。その頃、自分は本当は何がしたくて、何が好きなのかも分かりませんでした。私の周りの時間は動いているのに、私だけ取り残されている感覚になりました。本当は嬉しくないのに、わざと笑ったり、泣きたいのをのどでグッと我慢したり…。もう一人の私が形成されてきて、後にも引けなくなってしまい、ロボットの様な人間になっていました。

 

 ロボットの私は一生懸命自分の感情を押しこめ、ロボットの部分を守ろうとしました。しかしそれは長くもつはずもありません。ネジが音を立てて外れ落ちた時、私は「私自身がそこに居た」事に初めて気が付いたのです。しかし、そこからが一番つらい時期でした。今までロボットとしての自分しか出していなかったため、自分で自分を認めることが嫌で仕方なかったのです。家から外に出かける時も、誰にも合わないように影を歩き、身を潜めてガタガタと毎回震えていました。しかし少しずつ自分を飲み込めてくると「あ!私はこの曲好きなんだ!」や「この場所好きだなぁ」など、好きなことが分かるようになってきました。その時、本当の自分が、初めて「嬉しい!」という気持ちを伝えてくれました。実は私は幼い時から木や空・風と話をしたりしていたなぁ、なんて事も思い返すことが出来ました。風は私に、遠くからの知らせを運んできてくれるし、いつも元気をもらっていました。今まで見えなかったのに、気付けたのは自分自身を好きになったからです。
 
 私は人に表情や気持ちを伝えるのは下手ですが少しずつ単語だけでもいいから伝えていきたいと思います。もっともっと自分を知り、みんなを知り、何かを伝えていきたいです。まだ私も自分の事をパァ~っと思い返しただけなので、よく分かっていません。しかし、「自分」と「人」「伝える」「知る」という言葉がカギだと考えます。これから徐々に解明し、理解していく自分がいることを信じています。

(12月15日)

 

*M.Y.(2年生)
 みなさんが思い浮かべる「青春」とはなんですか?多くの人が「甘酸っぱい恋」「彼氏・彼女」「仲間」等と考えるのではないでしょうか?現に12月8日に行われたみぎわ館クリスマスでは、行事委員長のMさんが「青春とは片思いの恋をすることだ~!」と叫んでいました。更に広辞苑で「青春」を引くと「年の若い時代」と出てきます。だがしかし!本当にそれだけが青春でしょうか?確かに恋をすること、年が若い事は青春の一つでしょう。しかし仕事を恋人のように楽しく熱中して行う事や、アニメなど2次元の世界を愛してやまない人たちもある意味青春を謳歌しているのではないでしょうか。さらに、最近はやりの晩婚・婚活など30~4・50代でも少年・青年の様な若さを持ち、生き生きとした「青春」を送っている人もいます。そう考えると、心も体も成長期である私たちは名実ともに「人生という名の青春」を送っているのに違いないのです!ですからみなさん、毎日をたくさん笑って・泣いて・怒って・悩んで・趣味に打ち込んで、例え80歳のおばあちゃんになっても、恋や仕事・趣味を楽しむ「青春」を送っていこうではありませんか!

(12月16日)