敬和の学園生活

日常の風景

2020/04/20

読んでいる本を紹介します(社会科より)

 生徒のみなさん自宅待機中の日々、どのように過ごしていますか。教科書販売が行われ、課題も手元に届きましたので、そちらに取り組んでいるでしょうか。

 先日 社会科で勉強会が行われました。社会科では定期的に先生方が同じ本を読み、それぞれの専門分野から感じたことを話し合うということをしています。今回は『ユダヤ人とドイツ 大澤武男 著』の最終章について宮本先生がまとめて下さいました。

 日々の忙しさの中で新しいことや専門分野以外のことに取り組むのは簡単なことではありません…。現在 授業準備をしながら先生方それぞれが本を読み、新しい知識を得ようとしています。学校再開後 皆さんに より多くのことを伝えられるよう日々学ぶ姿勢を忘れずに過ごしたいです。

以下 先生方の読んでいる本を紹介します。

 

 

藤巻 伸

『原爆 広島を復興させた人びと』   石井 光太

0420_03 原爆が投下された後の広島について調べている際、1947年に平和祈念式典のスタートになる「第一回平和祭」が行われ、そこで「浜井信三」市長が最初に行った平和宣言が目にとまりました。「(原爆が)戦いを終結に導く要因となったことは、不幸中の幸いであった」との記述を見て、浜井市長がどのような思いで発言をしたのか気になり(当時は占領下であり、占領軍の意向に沿ったものであった)、彼の生い立ちから市長になるまで、そして平和記念公園を建設し、広島の復興にどのように関わったのかを学んでいます。平和記念式典での発言に疑問を持たなかったら、彼について調べることはなかったと思います。浜井市長にスポットが当てられた本ではなかったにせよ、彼に対して間違った見方をしてしまっていたかもしれません。学び続けることの大切さを改めて学びました。浜井市長自身が書いた『原爆市長』もこの後読もうと購入しました。皆さんにお話しできるようしっかりと学びます。

 

 

 

 

 

宮本 武呂

『純粋理性批判』 イマヌエル・カント

0420_01 この本の内容を少し紹介すると、私達が物を認識する時、そこに物があるから認識しているのではなく、私たちの認識が物を作り上げているということです。意味が分かりますか?
 目の前にリンゴがあります。私たちには目があるので、リンゴの形や色が分かります。でもガラガラヘビならピット器官で赤外線を映像で見ることができます。また水棲生物のシャコは12の原色で世界を見ています。人間が認識できるのは3原色。そう考えると、人間が感じたり 見たりしている世界はわずかで、人間が認識できる限界の世界しか知らないのです。逆に言うと、人間が感じられない例えば霊的なものやオーラのようなものがリンゴから出ていても、それを私たちが感じられず、科学的に観測できなければ、この世に存在しないのと同じです。だから、この世界は私たちが見ているように、感じているようにしか存在しないのです。そして私たちは「長さ」や「重さ」や「時間」や「温度」というフィルターを通して世界を見ています。それはまるで絶対に外せないメガネのように、それを通してしか世界を理解できないのです。
 どうですか?とても難しい内容ですね。私が最近、というよりもここ5年くらい、読んでは挫折し、挫折しては読んでいる本です。哲学書として最も難しい文章で書かれていて。専門家が20年読んでもまだまだ謎が多い本です。こういう難しい本を読む時、全てを理解しようとせず、全体を何度も繰り返し読むことが大切。その時感じた自分なりの感覚で大丈夫です。今分からなくても生きている中で「ああ、こういうことか」と不意に気付いたり、自分なりの意味を持ったりするのです。だから全体を掴んで心の中にすり込ませる。人間が頭だけで考えられることなど、たかが知れているんですね。たまにはとても難しい本を買ってみて、パラパラとめくってみるといいでしょう。今理解できなくても、心のどこかに言葉が落ちていって、どこかで芽を出してくれるでしょう。

 

 

 

長谷川 朗

『21lessons』 ユヴァル・ノア・ハラリ

0420_05著書である『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』が世界的ベストセラーとなったイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が描く、人類が抱える21の課題を現在からの視点で紐解く一冊。
読書という行為の大きな魅力の一つが、他者の思考方法や何を考えているのかということなど「他者の視点」を、文字を通して垣間見ることができるということである。多くの場合、人は自分の経験や立場での思考により、物事を判断している。SNSがここまで普及したのも、そうした自分の判断についての不安から「いいね」を求め、客観的な評価を得たいという願望が表れているのかもしれない。自分自身の思考自体、それだけ「脆い」ものでもあるため、日々自問自答し、我々は思考力を鍛えているのである。
ところが近年、そうして鍛えてきた思考が追いつくことのできないほどデータが氾濫している。SNSを眺めれば、とめどなくタイムラインが流れ、ネット上には正確なのか不正確なのか、事実なのかフィクションなのかさえもわからない情報が垂れ流しになっている。様々な分野、モノのデジタル化・IT化が進みオンラインとオフラインの垣根がなくなりつつあるなか、そこにプラスしてAIの急速な発達によってこれまで築き上げてきた生活様式が大きく変わることが予想される。技術の進歩に人間が置いてきぼりにされているとさえも感じられる。さらには感染症、核、地球温暖化、移民問題などの人類が抱える問題は日々多様化している。本著は、このような多くの課題を通して、現代をいかに生きるのか、どのように考えるのかを読者に問うと同時に、人間が人間たる所以とは何かという答えのない問いを投げかけ、新たな視点を与えてくれる一冊となっている。

 

 

 

和田 献太郎

『人口で語る世界史』ポール・モーランド著、渡会圭子訳(文藝春秋)

0420_02 学校に勤めていると、「数は力」という言葉を耳にすることがある。学校経営そのものについてであったり、部活動についてであったり。この度読んだ本によると、世界史的観点からも、これは一片の真理であるらしい。何千年も昔から、人数は常に、その人間集団の力を表すものだった。人数が多いほど軍事力は強くなり、経済力もついていった。「マンパワー」というやつである。
 しかし、ただ数が多ければ無条件に強いというわけではなく、その内訳も重要になってくるようだ。出生率だの乳幼児死亡率だの、多くの要素が絡んでくるのだが、中央年齢(最少年齢から最高年齢までを順に並べたものの中央値。全体を個数で割る平均年齢とは別物)が一つのポイントらしい。これが若いほど、つまり若者の多い集団ほど好戦的になるという説を、著者は展開しているのだ。人は、若いほど感情に走りやすく、暴力的になりやすい…と。最近の例では、アメリカがアフガニスタンやイラクを「支配下」に置ききれなかった理由など、これで説明できるとか。
 一応、戦争にも紛争にも直接関わっていない日本の中央年齢は、46歳前後で世界一。一方、もう何十年も無政府状態で内戦が続くアフリカのイエメンなどは、16歳前後。日本人も年齢と無関係に感情に走りやすく、暴力的になりやすい気はするが、それはあくまで個人レベルなのだろうか。人口と平和の関係。これは平和論を扱う現代社会特講の授業で、欠けていた視点であった。
 ちなみに100年前の1920年前後にも、インフルエンザか何かの世界的流行があり、200万人以上が命を落としたという。それでも、当時の世界人口は全体としては増加し続けていたらしい。

 

 

 

冨井 愛

『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』 針生 悦子

0420_04 51回生の皆さん、お久しぶりです。52回生、53回生の皆さん、初めまして。昨年度産休、育休をいただき、この春から復帰しました。
 この一年、誰が教えたわけでもないのに、ゼロ歳の息子が色々なことをやってのけていくことに大変驚かされました。寝返り、腹ばい、お座り、あら もう立っている!触って  舐めて確かめ、指を差し喃語で要求、モノをつかんで振っている!そんな驚きから手にとったこの本には、赤ちゃんは大変な努力をして、母国語を始め、様々なことを習得していることが示されています。
 例えば、赤ちゃんに外国語を教えるときには、音声や映像よりも、その言語を母国語とするお姉さんと遊ぶことが最も効果的だそうです。生身の人間のやりとりが、目の前の人に対する興味を引き、つながりたいという意欲を起こし、学ばせる。また、赤ちゃんはお腹の中でお母さんや周りの人の声や言葉、話しのリズムを聞いています。生まれてからは、お腹の中で聞いていたそれと照らし合わしながら、一年かけて話す準備をする。新しい言葉を聞くときには、生きていく上で必要かそうでないかも選別しているというのです。その手探りの学びを赤ちゃんが実に楽しそうにやれているのは、成功はもちろん、失敗ですらも大喜びしてくれる大応援団がいるからだそう。私も皆さんの学ぶ意欲を引き出すお姉さん、そして大応援団にならなければ!と思いました。
 さて、最近息子が、私と母のうわさ話に遊びの手を止めて聞き入るようになりました。「この人たちと生きていくには重要なことのようだ」と感じさせてしまっているのかもしれません。気をつけなければ!!

 

 

渡邉 清和

みなさん、元気にやっていますか。

 今日は、社会科の先生たちと3回目の読書会でした。ヒトラーのナチス・ドイツが、なぜユダヤ人の大量虐殺をしたかをみんなで考えました。

 感想ですが、“ユダヤ人の大量虐殺”は、ドイツという国の問題ですが、自分の問題でもあるという視点が重要でした。「なぜ、当時のドイツ市民はヒトラーを支持したのか」「もし自分が当時のドイツ市民ならどうしたか」など、いろんな視点で洞察できました。過去のことは無関係ではなく、負の遺産から何を学ぶかです。そして、学ぶためには、自分も間違いや誤りをする存在という自覚を忘れないことです。

 学ぶには知ることが必要です。何歳になっても、知らないことは多いです。今回もそうですが、無知であることを実感します。「木を見て、森を見ず」ということがなんと多いことか。ゾウのしっぽを見て、ゾウの全体を知ったつもりでいることが実に多いです。知ることを通して広い視野と考える力をつけたいものです。

 学ぶことで、発見と気づきがあります。発見と気づきは喜びとなります。教師も発見と気づきがあるから、やっていられます。そして、君たちから学ぶことも多いのです。

 学校で学習することは、所詮、ゾウのしっぽを見ているにすぎません。知れば知る程、奥は深くなります。山は登ってみなければ、頂上からの眺めを体験できません。

 今、市の図書館から借りた佐野眞一の『阿片王』という本を読んでいます。これは、満州国とアヘン(薬物)の関係を暴いた本です。歴史の事実を深く知るために読んでいます。

 最後に、我々は歴史の中に生き、今まさに歴史を体験しています。2011年の東日本大震災、今回の新型コロナウイルス問題など、歴史の証人としての責任を負っています。次の世代に何を語り、何を伝えるかは自分の課題です。学校に行きたくても行けない辛さ、部活をしたくてもできない悔しさなど。自分の生きざまを考えてみましょう。現実とどう向き合って生きたらいいかを整理してみましょう。では、5月の授業で会いましょう。