のぞみ寮通信

大望館

2010/11/20

大望館通信 第160号(11月20日)

<テスト再び>

 
 前回のテストが終わって約1カ月、再び嫌な時期が来てしまいました。

今週からテスト一週間前に入ります。館内も徐々にテストモードに入ってきました。前回の試験で残念にも赤点を取ってしまった11名のメンバーは強制的にホールで自習時間を過ごしています。それに加えて数名のメンバーが自主的に下に降りてきて、勉強するようになりました。テストが近づくにつれて、ホールで勉強するメンバーの数が増えてきます。その光景はまるで学習塾のようになります。
 そういえば最近、「メグさん、明日5時頃から電気付けて下さい。」とか「朝、ホール使っていい?」とか言われるようになりました。朝勉強するために使いたいというのです。「夜使っていい?」これはよく聞かれるフレーズでしたが、朝早くは今までなかったように思われます。
 野間先生が寮の教師をしていた頃、寮生に何度も言い聞かせていた一つに、「夜遅くまで勉強するのではなく、朝早く起きて勉強しなさい。」さすがに、しなさいではなく、した方がいいという意味で君たちの先輩に熱く語りかけていました。その情熱は君たちの先輩にとってちょっと熱すぎたのか?伝わりきらなかったような気がしますが、野間家では代々朝勉強が伝承されているそうです。
 その理由は、夜の疲れきった脳に刺激を与えるよりも、一晩の休息の時を与えリフレッシュされた脳に刺激を与えた方が効率がはるかにいいからだそうです。なるほどとても理にかなっています。あれから5年。5年経って野間先生の熱い思いが大望に伝わった・・・そういうこと?にしていきましょう。
 でも確かに、夜遅くまで勉強するより、朝の方が気持ちよく勉強できるように思われます。ただし、ベッドから起きるまでがしんどいです。そのしんどさを乗り越えてしまえば、気持ちよく朝のひと時を過ごす事が出来るので、皆もトライしてみてはどうでしょうか?
 ちなみに私は過去に、朝早く起きてやろうとしたはいいけど、その前にトイレに入って便器に座り、そのまま寝てしまって、足がしびれておきてみたらとっくのとうに朝食の時間が過ぎていた。そんな経験をしたことがありますので、その点にはお気をつけ下さい。

              (澤野)

 

 

 

 

<11月19日 朝の礼拝より>

 
私の自分探しについて振り返ろうと思いますが、まずは私が敬和に来た理由をお話ししようと思います。私は神奈川県で幼稚園から中学生時代を過ごしてきました。私の三歳年上の兄が敬和に入学しても、私はこの敬和に行こうなどとは全く思わずに、地元の高校に入学して普通に暮らそうと思っていました。ところが、私は中学の二年生頃から学校に行きづらくなり、不登校気味になっていました。学校への足取りはとても重く、途中でくじけて帰って来ることもよくありました。休んだ日に出掛けたりするときはいつも、誰にも会わないことを祈りながらビクビクして暮らしていました。
当時は、勉強が遅れないように進学塾に通っていました。私は塾の先生がとてもおもしろかったので通うことは苦ではなく、むしろ楽しみなくらいでした。しかし、いつの間にか塾に向かうのも学校へ行くのと同じように苦痛になっていました。そして、学校に行くフリをして実は行っていなかったり、塾に行くと見せかけて夜の街をあてもなくひたすら歩いたりすることが増えていったのでした。そんな時に私は「今の私は、自分が他人から得た信用で紡いできた、糸の様なものを利用しているなぁ」とぼんやりと考えていたのを覚えています。そんなこともやがてバレてしまい、私は糸がほつれていくのを感じました。私はこんな風に信用を悪事に利用して生きている自分が大嫌いでした。
そうこうしている間に進路を決定しなければならない時期がやって来ました。学校に行かないことが多くなった私の成績は低く、地元の私が行きたかったような高校には、筆記試験で相当良い点数を打ち出さなければ到底行けないのでした。失敗したらスベリ止めとなるのは、化粧バリバリで茶髪の人がたくさんいるような高校しかありませんでした。そんな所と、この陸の孤島の様な敬和を天秤にかけ、泣く泣く敬和を専願で受験しました。決して心から望んでいた道ではありませんでしたが、大嫌いな自分を変えたいという思いもあって高校に入ったら頑張ろう、いや、頑張れると考えていました。しかし、中学三年生の進路を決定する際に担任が私にこう言いました。「今頑張れないのにどうして高校に入ったら頑張れると言えるのか」と。私はこれがとても悔しくて、何が何でも頑張って、胸を張って三年間を過ごしてみせると心に決めて敬和にやって来ました。
敬和に入って数カ月間、「私はどうして新潟にいるのだろう。地元の高校にいくはずだったのに。こんなはずではなかった。」と、ふいにその様に思いめぐらすことがよくありました。ですが、いつの間にかそれもなくなっていました。敬和は他の学校に比べたら、より上の大学を目指させるようなことはしておらず、全校労作やフェスティヴァル、修養会やこれから練習が始まってくる讃美歌発表会など、むしろ回り道だらけです。しかし、忙しさに殺されそうな人よりたくさんのことを学ぶことができ、それが必要でこの地に導かれたと最近思います。
何が何でも頑張ろうと決めて新潟まで来ました。しかし、今の私がたくさんの人の信頼を受けて、毎日を楽しく過ごしているのは頑張っているからではなく、自分がありのままでいられたからだと思います。敬和は自分探しの学校だとよく言っています。私は新潟まで自分探しをしに来ましたが、別に敬和に本当の自分が落ちていたわけではありませんでした。それは自分の中にあって、そのことに気付くのが自分探しだったと思います。私が私らしく生きられたから、多くの人に支えられているから、今私は輝いていると思います。                             

(M.Y.)

 

 

 早いもので、「彼も三年生なんだなあ」そう思わされるお話でした。彼のお兄ちゃんも大望生でした。お兄ちゃんが卒業して入れ替わりで入ったきた彼。いつも名前を間違えてしまっていた気がします。その度にすねていた彼もあと僅かでここを去って行きます。次のテストが終わるころ、そろそろ三年生たちはカウントダウンを始めるでしょう。そのころになって敬和生活の一日一日が惜しくなります。年が明けるとその思いはもっと強くなります。そうやって最後に涙してここを巣立っていく。その日が来て欲しいような来て欲しくないようなビミョーな日々を過ごす事になるでしょう。

(澤野)
  

 

 

 

 

 

<季節の変わり目>

 
 日に日に寒くなり冬が近づいて来ているのがわかります。今が季節の変わり目。前の通信にも書きましたが、季節の変わり目は出会いと別れの節目です。秋の時は出会いでした。ということで今回は・・・そう、別れです。夏から秋へ季節の変わり目に付き合って、冬が近づくこの季節に、自分の心にもぽっかりと穴が空いてしまった人が何人かいるはずです。特に、1年生。
 出会いのときには、「俺は絶対に別れないんだ!!」なんてことを言ってきてたような気がしませんか?これを読んでドキッとしたキミ。あの時の自分の姿を思い出してください。今となってはなんとイタい姿か・・・。
 何事も経験。この経験を次に生かしてください。

(澤野)