のぞみ寮通信

光風館

2010/10/11

光風館通信 第270号(10月11日)

< ビフォーアフター >

 
 みなさんは「大改造!!劇的ビフォーアフター」という番組を知っているでしょうか?

古い家、狭い家などを劇的に大改造するという家のリフォームの番組です。番組の中でナレーターが「なんということでしょう!」と言うくらい家が大変身するのです。実は、敬和にも「大改造!!劇的ビフォーアフター」を経験できる行事があります。それは先日行われた修養会です。
 修養会は“家”が変身するのではなく、“敬和生”が変化するのです。私は1年生の修養会に一緒に参加させてもらう中であることを発見しました。それは、修養会初日と修養会3日目の1年生の顔つきが変化していたことです。それは決して「3日目に疲れでひどい顔になっていた」ということではありません。修養会に参加したひとりひとりが汗を流して得た変化です。修養会の中には日頃の生活にはないような(もちろん寮生活にもないような)大変な作業やプログラムがあります。今回の1年生の修養会のプログラムで言えば、テントの設営・撤去、かまどで火を熾す、20キロを歩く、などです。1年生のみんなは、ひとりではできないようなことを仲間と一緒に試行錯誤しながら、励まし合いながら行うことで大変なことをひとつひとつクリアすることができたのではないでしょうか。それは修養会ならではの体験です。修養会に初参加の1年生は気付いていないかもしれないけど、修養会での光風館生、修養会を終えての光風館生(2年生、3年生も)は“劇的”まではいかなくとも間違いなく“ビフォーアフター”(変化)しているはずです。非日常的な修養会での経験をいかに日常の生活で活かせるかがとても大事だと思います。修養会は終ったけど、そこで得た経験・変化をそこで終らせないで、是非光風館の生活に活かしてほしいなぁと思います。                   

(三浦)

 

 

 

 

<人生も山あり、谷あり!! >

 
 私は2年生の修養会で「70キロ歩行」に参加しました。私の役割は一緒に歩くことではなく、マイクロバスに乗り、生徒皆の荷物を運んだり、リタイアする人を運ぶというバックアップすることでした。2日目のコースは、新発田方面の奥にある月岡温泉の旅館へ向かうために山を一つ越えるため、距離33キロで最長、山道の勾配が急で、高低差も最大の難関コースでした。山道の入り口につくまでに3時間ほど歩き、山頂までの距離がコースの2/3を占め、笑ってしまうほどの坂道をいくつも登り、夕暮れが迫る18時に最後の人が旅館に到着するほど大変なコースでした。夕食もつかの間に最終日は深夜2時に起きて、夜明け前に旅館を出発し、ゴールの敬和を目指しました。
 いくら歩いても頂上が見えない徒労感、肉体と会話しながら(A君とH君は足に豆が出来ていたよね)、振り返ると見える自分の道のりと絶景、そしてゴールが見えた時の達成感、リタイアした時の後悔、夜明け前の暗い道と朝日を浴びながら歩くという普段体験できない特殊体験(敬和の歴史上初ではないかな)など、考えさせられること、感じることが沢山あったでしょう。一人ひとりが主人公のような修養会に私は感じました。
 私が今回驚かされたことは、我らの寮長信田先生が講師として参加するだけでなく、3日間をあたりまえのように完歩したことでした。事故もなく、雨予報も晴天になり、多くの保護者の皆様に支えられながら終えることが出来たのはな感謝でした。皆が、これからの生活も修養会のように、色々と考え、多くを感じながら、一歩一歩力強く人生を歩んでいって欲しいと願います。
 最後に私のバスは、「ヘコタレ」バスと呼ばれていました。       

(帆刈)

 

 

 

 

< 礼拝のお話し >

 

T.S.(2年)
 こんばんは。14室のTです。今日は、サッカーの本田圭佑について話したいと思います。この前のワールドカップで一躍有名になった本田選手。僕も期待して応援して、彼はその通りの結果を出しました。しかし、この前の試合で、彼は途中交代させられた際、ベンチに挨拶もせず、ロッカーに直接戻りました。僕はこの話を聞いたとき、とてもショックでした。彼は自分のポリシーを貫くことで有名です。しかし、それがポリシーだとしてもスポーツマンとしてはあるまじき行為だったと思います。スポーツマンとして大事なことを忘れているように思います。まず、感謝すること。これは、スポーツマンでなくても大切なのではないでしょうか。
 私たち2年生が、各委員会の仕事を引き継ぐ期間になりました。ここで大事なのは、リーダーになってもおごらず、初心を忘れず、そしてこの高校生活を送らせてくれている親への感謝をもち生活していくことだと思います。ポリシーをもって働くことも大切ですが、自分中心になりすぎないように、周りの声も謙虚に聞きながら、感謝の気持ちをもって自分に与えられた仕事をしていきましょう。

 

 

O.K.(1年)
 こんばんは。2室のOです。今日は、「運命と偶然と必然の差異」について話したいと思います。みなさんは、偶然と必然には一体どれほどの差異があると思いますか。
 私は、この夏休み期間中に、自分の人生を大きく左右する大きな出逢いがありました。私は、1学期の間、肉体的にも精神的にもあまり調子がよくありませんでした。それは過去の自分との決着がついていなくて、気持ちの整理がついていなかったことに原因があります。また、私は小中学校の時、不登校だったので、人と人との集団行動がみについておらず、そういったことが非常に苦手でした。毎日、学校へ登校する、という当たり前のことや先輩に対する態度など、普通の人が簡単に乗り越えていくことが自分にはとても大変なことのように思えました。さらに、精神的にウツに近い状態にあり、“食肉を直視できない”などの思いトリガーも抱えていました。こんなような状態でしたから、前期の光風館での生活は苦痛そのもので、全てが忍耐でした。
 けれども、この夏休みの中での出来事や出逢いによって、私は思わぬ形で、これをあっさり解決することができました。4年間近くに渡って続いた精神的な病に終止符を打つことになったのです。
 私は、7年前に連絡がとれなくなっていた大親友がいました。ところが、今年の夏に、“国際青年海外交流 夏のプログラム”の参加で、その彼と偶然の再会を果たしたのです。まさに奇跡だと思います。私の実家は福島県ですが、遠く離れた茨城県で再会を果たせたことには、必然的な運命を感じました。
 私は、その親友との出逢いによって、過去の本当の笑顔や思い出を思い返し、初心に戻ることができました。私の周りには、私の過去を知る人はほとんどいなかったので、あの頃の輝いていた自分を知っている人はいませんでした。けれどもその親友との出逢いによって、私は昔の自分の姿を思い出し、「あの頃の僕はもっと笑っていられたハズだ」、そう気づきました。それから、その親友にシバキまくられ、傷つけられました。「今のお前はゴミくずだ!!」とか「嫌な奴だ!!」とか罵られました。「昔のお前はもっといい奴だった。輝いていた。将来が楽しみな奴だった」そんな風にも言われました。それらの言葉によって、私は自分を取り戻すことが出来たんだと思います。本当の自分を知ってくれている友達と再会できたから。
 運命なのかはわかりません。偶然なのでしょうか。それとも神様の導きや目に見えないモノの導きで、必然なのでしょうか。
 私は家庭の事情で、埼玉県に住んでいたところを、福島県に引っ越してきました。その両親の判断のお陰で、小学校や中学校、これまで出逢った全ての人、敬和に来るキッカケ、教会を知るキッカケ、国際交流という文化の壁を越えたコミュニケーションに生きがいを感じる、それらを知ることが出来ました。
 話が長くなりました。私が、ここで伝えたいことは、「一人の人間のたった一つの言葉や判断で人の全ての未来が形を変える」ということです。自分のたった一度の行動でも…。
 こんなことはありませんか。「あの時、こうしていれば…」とこんな後悔をすること。人は未来を選べません。この世に生まれてきた時から。自分がどんな家庭に生まれたいか、選べますか?自分の思うような未来が待っていると思いますか?けれでも、私は思うのです。未来は変えることができる、と。自分の理想に近づけることはできると思います。解決はできなくても改善はできます。だから、自分が大きな人生の選択を迫られた時、よく考えることです。進む高校や大学一つで、身の周りの環境や友人も大きく変化します。これから待つ出逢いや未来が変わります。これを偶然と呼ぶのか、それとも必然と呼ぶのか、実はまだその答えは出ていませんが、僕らの判断や思いが自分の不確かな未来を変えることだけは必然なのだと思います。皆さんも、自分の過去、想い、言葉、行動、未来、これらに間違いはないか、本当に自分がこれで後悔しないか、よく考えてみてください。特に進路選択の真っただ中にある3年生の皆さんには、これからの進路についてよく考え直すキッカケの一つになってくれたら幸いです。