自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2017/05/29
オックスフォードという大学の研究所がショッキングな研究調査を発表しました。
10年後には今ある職業の47%がなくなるというのです。
一番の理由はAI人工知能によって、今人間がしている仕事をコンピュータや機械がするようになって、人間がしなくてもよくなるからです。
言い換えると人間がいらなくなるのです
人間が必要なくなる、いったい何のためのAIかと文句をいいたくなります。
その中には資格取るのが難しい仕事、例えば医師や裁判官なども入っています。
そこで大事になってくるのが、どのような仕事をしたいかという前に、どのように生きるのかということです。
それは敬和学園がずっと大切にしてきたことです。
ただ、世の中が便利になって、それまであった仕事や職業がなくなるというのは、今に始まったことではありません。
明治時代以降、工業化や教育が盛んになって、なくなった仕事職業というのがたくさんあります。
その一つに代書屋があります。
代書屋といわれてすぐにピンとくる人はテレビのドラマを見ているからだと思います。代書屋は文字が書けない人や文章を書くのが苦手な人に代わって、役所に出す書類や手紙を書くのを仕事にしている人です。
似たような仕事に行政書士、司法書士というのがありますが、個人的な手紙を書いてくれませんからちょっと違います
落語にも代書屋というのがあります。
長屋に住む主人公が履歴書を出すことになって代書屋にやってきます。
主人公は履歴書が何なのかよくわかっていません。
●書いとぉくなはるか、あんたとこ書いてくれなんだら、どないしょ~かしらん思てたんで へぇ、仕事先から履歴書ちゅうのん 持って来いと言われたんです。
家帰って嫁さんにに言ぅたら「うちにそんなもんないで」こない言ぃまんのんで
「何やったら、隣り借りに行てこよか」言ぅて、隣りに行たんです。
●隣りの人がまた親切な人で、家中探してくれたんです。
仏壇の引き出しまでひっくり返して探してくれたけど おまへん。
「確かこの間の終戦まではあった」と言ぃまんねん。
「ひょっとしたらもぉ空襲で焼けてもたかも分からん……」
■よぉそんなアホなこと言ぅてるわ、履歴書を隣りへ借りに行く人おますかいな
こんな調子で始まる噺です。
私が落語の代書屋を思い出したのは、今も代わって個人的な手紙を書くのを仕事にしている人がいることを、ある小説をから知ったからです。
それは小川糸の「ツバキ文具店」です。
NHKの金曜夜のドラマでもやっていて、多部未華子という若い女優さんが主人公を演じています。
周りからポッポちゃん呼ばれる主人公の雨宮鳩子はツバキ文具店と代書屋を営む祖母のカシ子によって厳しく育てられます。
子どもの頃は祖母の厳しさに耐えていた彼女ですが、年頃とともに反発をしてやがて家を出ていきます。
その彼女が祖母の死によって、心境の変化があったのでしょう、ツバキ文具店と代書屋を継ぐために戻ってきました。
「ツバキ文具店」を読んでわかったことがあります。
それは字の書けない人がほとんどいない、手紙でなくても通信手段やコミュニケーションをとる方法がたくさんあり、しかも手紙のようにやり取りに時間がかからない、たとえ離れていて瞬間的にコミュニケーションがとれる時代に、なぜ代書屋という仕事が成り立つのかということです。
むしろ便利な時代だからこそ代書屋という職業は必要だということです。
確か通信方法やコミュニケーションをとる方法がいくらでもあります。
その時代にあって多くの人が何に悩んでいるかです。
それは間違いなく人間関係です。
人間関係がうまく築くことができないで悩んできた人、この中にもいるはずです。
そういう私もそれでずいぶん悩んできました。
これまでの人生を考えたとき、昔も今も自分の思いや考えが、もう少しうまく伝えられたら、こんなことにならなかったと思うことがいくつもあります。
言葉が不適切であったために誤解をされたことあります。
また逆に相手の言葉をきちんと受けとめられなかったり、誤解して受け取ったりして、そのために悩むこと、仲たがいをしたり腹を立てたり、恨んだり恨まれたりすること、残念ですが何度もあります。
ツバキ文具店の鳩子自身がそうでした。
祖母との関係がトラウマとなって人間付き合いが苦手でした。
鎌倉に戻ってきてからも多くの人とかかわりを持つことに躊躇します。
その自分が誰かの代わりに手紙を書いて、その人の思いを伝えることなどできないのではないかと悩みます。
その彼女が知り合いから鎌倉のお寺を歩いて巡る行事に誘われます。
最初、鳩子はできるなら断りたかったのですが、そうもいかず、仕方なく参加します。参加者はみんな年上のでしたが、運動不足の主人公よりはるかに元気で、歩けないといえば格好が悪いので、がんばって歩きます。
年上の人たちが大きな声で歌いながら山道を歩く、というのは何か格好が悪く恥ずかしいように思ったのですが、自分でやってみると思いのほか爽快で、病みつきになりそうでした。
そこに一人で歌う時には味わえない喜びがあることに気づかされます。
鳩子は山道を登ったり下ったりする中で、土の香りを嗅ぐことになりました。
そして次のような感想を漏らします。
「ふだん眠っている脳みそのどこかを激しく揺さぶられるのを感じた。途中から、やっぱりこの行事に参加してよかったと思えるようになった」。
私は主人公の感想に共感を覚えました。
敬和学園は今10日後のフェスティバルに向けてほとんど一色のように見えます。
でもみんなが同じではありません。
中心的な働きをしている人、責任を感じている人、うまくいかないことで焦っている人、周りが一生懸命になればなるほど冷めていく人、自分には関係ないと距離を置く人、とさまざまな違いがあります。
取り組み方に温度差があります。
ただ共通しているのは、それぞれの立場で何かしら悩んでいるということです。
これは間違いないでしょう。
そしてそういう共通の思いを持っているなら、ぜひ終わった後で、フェスティバルがあってよかった、行事に参加してよかった、と思える自分になってほしいのです。
それが敬和学園でよかったというより大きな喜びにつながっていくのです。
せっかく入学した敬和学園です。
そういう自分と出会いたいと思いませんか。
そのための大事な時として、神がフェスティバルを用意してくれているのです。
せっかく神が用意してくれた成長と人間関係に強くなるチャンスです。
それをみすみす逃すのは何とももったいないのです。
今が恵みの時です。