自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2017/04/14
麻婆丼・中華スープ・牛乳・フルーツポンチ
先日、新聞を読んでいたら、面白い記事があった。
シリコンバレーに働く人々は、自分の子供を「スマホを使わせない学校」にやる、という話だ。
シリコンバレーは、スマホ発祥の地である。
そういえば、iphoneを作ったスティーブ・ジョブスも、自分の子供にはスマホをいじらせなかったという話を聞いたことがある。
ジョブスは、禅に傾倒していて、一人の時間はスマホをいじらず、禅を行っていたらしい。
スマホは便利で、世界中の情報が手に入る。
音楽も、ストリーミング機能を使えば、何十万曲という音楽を聴くことができる。
動画の見放題に契約すれば、動画も見放題。
Youtubeには、何億という動画がアップされている。
でもちょっと待てよ。
人生は、だいたい80年。
何十万曲なんて必要ないし、動画だってそんなに見られる訳じゃない。
無限の情報を追い求める人生って、「こいのぼり」に似ている気がする。
口から新しい情報をどんどん入れて、尻尾から出す。
情報が入ってくる限り、立派な鯉に見える。
でも、情報がストップすればたちまちしぼんでしまう。
そんな風に過ごせば、80年なんかあっという間だ。
そして、80歳になったときに、自分に何の中身もないことに気付く。
一曲の音楽を聴き込み、ギター片手にコードをコピーして、歌えるようになった歌だけが、本当の意味で自分にとって大切な一曲になる。
折に触れ、繰り返し読んだ本。いっしょに長い道のりを歩いて二人で見た夕焼け。
そういうものだけが、自分の人生の友、忘れえぬ瞬間になる。
手で触れて、格闘し、汗を流し、時に涙を流して出会ったものだけが、自分のものになる。
特に学生時代は、そういう経験がちゃんとした中身のある人間を作る、と俺は思う。
敬和に新入生がやってきた。
敬和の寮ではスマホが使えない。
生身の人間のぶつかりあい、励ましあいがある。
きっと人生にとってかけがえのない3年間になるだろう。
そして本物のランチを食って、中身の詰まった人間になろう。
(T.H)