自分探しの敬和学園で 人を、自分を、好きになる。
2017/02/10
トマトクリームスパゲティ・生野菜サラダ・コンソメスープ・牛乳・プリン
二月になるとある生徒のことを思い出す。
三年間担任した生徒だが、卒業を目前に癌で死んでしまった。
一年の時は何とか学校に来られた。
二年は半分近く欠席したが、進級を認めてもらった。
放射線で癌細胞を焼く治療は、長く苦しい入院生活を強いる。
三年の時はほとんど学校に来られなかった。
それでも、本人は「高校を卒業したい」と、教科の先生に出してもらった課題を、苦しい病床で取り組んだ。
見ていて痛々しかった。
「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」と言ったが、卒業したいから頑張ると言う。
「卒業してどうするんだ?」と聞くと、
「今までたくさんいろんな人のお世話になったから、誰かの役に立つ仕事がしたい。そのために大学に行きたい」と言った。
よく大人は、子供に「自分のためだから頑張って勉強しなさい」と言う。
でもそれは間違っている。
子供は、誰かの役に立ちたいと願うものなんだ。
自分のために頑張れ、と言うのはとても失礼なことなんだ。
その生徒から、俺はそのことを学んだ。
三年生の二月。卒業判定会議で、卒業を認めるか否かで議論になった。
ほとんど学校に来ていない生徒を卒業させていいのか?
議論は夜の八時まで続いた。
最後に校長が、
「この生徒は誰よりも努力した。卒業を認めましょう」と言ってくれた。
夜も遅かったので、翌朝、俺はお母さんに電話した。
「卒業が認められましたよ」と報告すると、「息子は昨夜八時ごろ、亡くなりました」と言った。
ちょうど卒業が認められた時刻だった。
卒業証書は、クラスメイトが全員出席した葬儀の際、霊前に供えられた。
2月になるとその生徒のことを思い出す。
忘れないことが死者への一番の供養という。
当時のクラスメイトにも思い出して欲しいと思って、書かせてもらった。
(T.H)