のぞみ寮通信

みぎわ館

2010/03/13

みぎわ館 第35号(3月12日)

<ある来訪その2> 

 
 新しい年を迎えた1月、38回生の成人を祝う会が敬和で行われた。

めぐみ館の38回生が、「先生のところに泊まらせてほしい」と電話をかけてきた。「だって先生最後でしょう?もう敬和で会うことも出来なくなるから、お会いしたい」「今はめぐみ館でなくみぎわ館に居るけれど、それでよかったらどうぞ」となり、8人が集まった。それが、卒業生一連の大西宅宿泊の始まりであった。2月6日にはあの大雪の中、32回生が5人、2月20日には35回生が4人訪ねて下さり、一晩楽しいひと時を持った。あの大雪には、さすがに大丈夫かと迷った。が、彼女達の判断に任せた。「先生、久しぶりの大雪嬉しかった。せっかく有休とったから来なきゃ損そん」。やっぱりまだ若いなー。38回生は学生。32回生はもう社会人4年目か?35回生は社会人1年目。それぞれの立場が会話からかい間見えて面白い。どの回生も集まればすぐにもとの18歳、めぐみ館生に戻る。今どうしているの?こんなことがあった。あんなことがあったとすぐに話が弾む。そしていつの間にかめぐみ館のことに話の花が咲く。そこで先輩としてなつかしいめぐみ館へ、現めぐみ館寮生の様子を偵察に。38回生は、40回生と感激の対面!!そしていわく。「先生、40回生が3年生だって!信じられる?何かあの1年生だった子達が、3年生だって!感激!ちゃんと出来てるの?」と先輩らしく心配する。「当たり前でしょう?もう2年も経っているのよ。成長しなくてどうするの?もし成長していないのならそれは3年生だったあなた方の責任よ」と笑って答える。地元新潟から、東京から、北海道から、今はどんなに離れていても、会えば元の仲間。それが寮生。この3つの回生の会話の共通する話題は、「厳しかったよね。先輩恐かったよね。」「あの時、○○して、○○先輩に怒られたよね。めちゃ恐かったよね。」「あいさつしていないとか、食器の洗い方遅いとか(自洗機はなく手洗いだった)、気配り、気遣いしなさいとか、めちゃ言われたよね。」「今は笑って話せるけど・・・・。初めはびっくり。後悔だらけ・・・。でも不思議とやめないで3年間続いたね。頑張ったよね。」「私なんて生活指導受けて、きびしく怒られ、どうでもいいやーとなって敬和やめようと思ったよ。もういやだった。なんでこんなことで怒られなきゃダメなの?って思って。でもやめなくてよかった。卒業出来てよかった!!生活指導は当然の結果だったよ。」「やっぱり、みんながいたから頑張れたよ。みんなの力ってすごいね。先生に横のつながりを大切にしなさいってよく言われたけど、それがあったから先輩に勝てたね。」
卒業生の話に耳を傾けながら、んん?それって先輩に勝つ負けるの問題かい?それにしてもおいおい、先輩が恐いっていう話ばかりだけど、あなた方はどうだったの?あなた方もれっきとした先輩だったよ。共通することは、《自分達の先輩が一番恐かった》《しかし、自分達もその恐―い先輩だったが、後輩から恐いと言われていたことに気付いていない。》《いやいや気付いていたのかもしれない。けれどそれは先輩の自分達にとってはたいしたことではない》ということ。のど元過ぎれば熱さを忘れるとはこのこと?それがある意味成長の証であるのだろう。

 
 ある一人の卒業生が話してくれた。「寮での大変だった3年間が、自分を鍛えてくれた。それぞれの学年の経験が・・・。今こうして社会に出て働いているが、寮生活がとっても役に立っている。今の職場は私より皆さん年上。仕事の対象も、私よりずーっと年長者。その方々の生きてきた年月を考えたとき、今はどうであれ、それなりに敬意を払って接しなければならないのですが、その時にめぐみ館でのことが思い出されるのです。自然と言葉も丁寧に使えるし、何かあっても仕事上我慢しなければならないこともいっぱいあるけど、その辺が鍛えられたかなと思う」.「職場の先輩に若いけどちゃんと出来るね。とほめられるし・・・」とにこにこ。

 
 寮での3年間、嬉しいこともつらいことも悔しいことも多々あったことだろう。しかし寮生活を前向きに捉え、一つ一つを自分のものとして受け入れ学習した結果だろう。敬和で学んだものを大切に自分の引き出しにしまい、必要なときに取り出し活用している。そんな彼女達の様子にあらためて敬和の教育、のぞみ寮の教育の素晴しさ実感した。そして今の寮生にとって毎日の生活がどれほど大切で、それはあなた方の心の姿勢にかかっているのですよ。と言うことを。

 
 こうして卒業生が訪れてくれることも、もうおしまいかなと思うとちょっぴり寂しい気もするが、彼女達の巣立ちでもあるのだろう。のぞみ寮と言うところは、寮生にとっていつでも原点に戻れる場でもあったのだとつくづく思う。そして「先生、長い間寮生のために働いて下さりお疲れ様でした。ありがとうございました。お元気で。」と感謝の言葉を残してお別れした。19年間私もあなた方にどれほど支えていただいたか。たくさんパワーをいただいたか。ありがとう。私にとっても嬉しい楽しい時間だった。

 

私がみぎわ館通信に書くこともこれでおしまい。1年間ありがとうございました。今年度は次年度のためにほとんど森口先生にお任せしました。これからは森口先生と冨井先生お2人で、みぎわ館の様子を楽しいエッセーでお伝えできることでしょう。どうぞお楽しみに。それではみなさんごきげんようさようなら!!

                    (大西 晴子)

 

 

晴子先生、大変お世話になりありがとうございました!
ずっと続くのではないかと感じていた時間も、期限が来てしまいました。とても寂しく思います。
しかしこれからもみぎわ館はより一層、寮生・担任が一緒になって
前を向いて歩いていきたいと思います。晴子先生に自信を持っ
て自慢できる素敵なみぎわとなるようにがんばります!

(森口)

 

 

 

 

 

 

<☆春休み~☆>

 
さて、みなさん。14日から待ちに待った春休みです!しっかり充電してきてくださいね!そして帰寮日は4月5日。18時門限です。遅れずに。
元気に帰ってくるのを楽しみに待っています! 

       (森口)

 

 

 

 

 

 

 
<礼拝のお話>

 

 
O.A. (1年生)
みなさん、毎日の寮生活は楽しいですか?「もう本当につまんない!何が楽しくて毎日を過ごしているのか?」などと思っている人はいないでしょうか?最近、こんな風に言っている人・感じている人が多いような気がします。私もつい最近まで同じようなことを考えていました。「学校はつまらないし、勉強なんて分からないし、失敗ばかりだし…」とやる気を失っていました。何もする気が起こらなくて、ただただゆっくりと1日1日がダラダラと過ぎていました。「面倒くさい」「ダルイ」「疲れた」と、こういう言葉しか頭になかったと思います。

 
そんな時、「どうしたの?」「大丈夫?」「疲れてるね~。何かあった?」と気にかけてくれ、言葉をかけてくれる仲間や先生方、家族がいました。ハッとしました。私、何やっているんだろう、と思いました。私の周りにはこんなにも心配してくれる人たちがいるだなんて、とても幸せだなぁとふっと思ったのです。
こんなに素敵な人たちに囲まれているのに、なんでこんなにもつまんないと感じてしまっていたのか?と疑問と申し訳なさがわいてきました。そのとき、「あ!これだ!」と思いました。42ndや器楽部のみなさんは耳が痛くなるほど聞いた話だと思います。そうです、辻元先生の天国のお話です。どんなに暗い地獄にも、天国を探そうと思えばいくらだってあるのです。地獄も捨てたもんじゃありません、という話です。つまり、「もう無理だ~!」と思っていても、それを聞いてくれる仲間がいます。心配してくれている仲間がいます。なんと幸せなことでしょうか!
寮生活も共にご飯を食べて、挨拶を交わして、たわいのない会話をして、笑って、泣いて、怒って、喧嘩して、抱き合って、くだらないことをして…同じ屋根の下で共に過ごせること、共有できること、幸せです。
言葉にするとちょっと照れ臭いですね。でも考えてみると、普段言葉にしているのは「幸せ」や「楽しい」よりも、「疲れた」「無理」「嫌」などの言葉のほうが多かったなぁ~と思います。普通に生活していく中で、「今、幸せだなぁ!」なんて感じたことはそうなかったと思いました。

 
自分にとってマイナスな部分ばかり考えて、見つけては落ち込んでの繰り返しでは人生損をしている気がしました。だから、日常の中で特に辛い時こそたくさんの幸せを感じたいと思いました。学校生活も寮生活も楽しんだもん勝ちだと思います!そのために、たくさんの幸福を感じられる人間になりたいと思います。
神様、みんなが笑顔で過ごせますように!

(3月4日)