のぞみ寮通信

みぎわ館

2010/03/05

みぎわ館 第34号(3月5日)

<最高の人生を歩んでください!> 

 
 3月1日に寮修了礼拝が行われました。いよいよ3年生の旅立ちの時です。

この日が来るのは分かっていましたが、いざ来てしまうとやっぱり寂しい、というのが正直なところです。しかし寂しいだけではなく、3年生のこれからの歩みが楽しみで、嬉しくて、3年間寮生活を敬和生活をやり遂げた彼女たちの凛々しい姿が誇りにも感じられます。とても複雑な心境です。

 
 2月28日に帰寮した3年生。たった2泊の短い時間を再び寮で過ごしていきました。やっぱり3年生が帰ってくると違いますね!みぎわ館がとても元気になりました。礼拝の歌声も、自由時間のザワザワ感も、1・2年生のパキパキ動く姿も、全てがより一層!という感じがしました。そして3月1日の夜、3年生がみぎわ館で寝る最後の夜、1・2年生は用意した、想いのこもった13人分の色紙とプレゼント(今年はふわふわのハートのクッションでした)を13個持って消灯時間後3年生のいるラウンジに押しかけ、本当に最後の別れの会を持ちました。去っていく寂しさを堪え、これまでの3年間を称えこれからの歩みを応援する暖かい場となったようでした。
 さぁ、3年生!夢に向かって、歩みを始める時が来ているのです。これからがスタートです。これまでの出会いも、これからの出会いも大切に、日々さらなる成長をしていってください。みなさんが、最高の人生を旅することを心から祈っています!

(森口)

 

 

 
<♪神ともにいまして~♪> 

 
 2月28日礼拝前に3年生全員が事務室にやってきました。狭い事務室に13人がずらっと並び何やら重々しい雰囲気。「な、なんだ!?」と思っていたら前ブロック長のMさんが「先生、1月に寮を去る時、ゴミ分別とかめちゃくちゃでごめんなさい…。」と。帰寮早々謝罪で始まった3年生の短い短い寮生活。真剣な面持ちの彼女たちとは裏腹に、これまで以上に素直に率直にごめんなさいを言いに来たカワイイ姿に「プッ」と笑っちゃいそうになった私たちスタッフでした。ごめんね。ありがとう。
 そして礼拝後、またまた3年生が事務室にずらっと1列でやって来ました。「もう!また、何なの~(笑)!」と晴子先生と私。「せ~の」のMさんの号令で、「か~み、ともにいま~し~て~♪」と素晴らしい合唱が始まりました。「はっ!私たちへのプレゼントだ!」と気付いた私たち。ウルっとなった目をごまかしながら、一緒に歌い、心温まるひと時でした。その後、40thと一緒に敬和を卒業する晴子先生に、黄色のチューリップがかわいい花束でプレゼントされ、「今までありがとうございました!」と大きな声でメッセージをくれました。

 
 今でも思い出すと心が温かくなるあの歌声。こちらこそ、本当にありがとうございました。みんなとの出会い、日々は忘れられない最高の思い出です。お互い、与えられた場所で精一杯生きていきましょうね!そしていつの日か、また再会し、語り合える日が来ることを今から心待ちにしています。私たちもみんなに負けないように、成長し続けていきますね!そして老けた…と言われないように…がんばります。

(森口)

 

 

 

 

<強化週間始めます。> 

 
 3年生が去ったすぐの委員会のことでした。「3年生が戻った2日間で、私たち何にも出来てないってことに気がついた。」と口にした委員長がいました。2月から始まった1・2年だけの生活で、少なからずだらけた雰囲気がみぎわに漂っていたことを薄々感じながらも、何も対策を打っていなかった自分に対する反省だったようです。この言葉に同意した他の委員長たち。自分たちの生活ぶりをもう一度見直すため、43rdを迎え入れる準備のため、残り1週間ほどの春休みまでの日々を『強化週間』とすることにしました。どんな風に強化していくのか、これからの変貌が楽しみです。

(森口)

 

 

 

 

 
<礼拝のお話>

 
*Y
(本人の強い希望でイニシャルのみ表示させていただきます。)
 今日はずっと前からいつかみんなの前で話そうと心に決めていたお話です。みなさん、友達を大切にしていますか?私が友達の大切さに気付いたのは中学3年生の時でした。私には本当に心から信じられる、親友と呼べる存在の人がいました。Mちゃんです。Mちゃんとはいつも一緒で、離れることなんて全然考えられませんでした。しかし、ちょっとしたすれ違いがきっかけで私たちは全く話さなくなってしまいました。
 私は死ぬほど悲しかったです。一緒にいるのが当たり前だったのに話せなくなった私たちの距離はどんどん遠くなって行きました。私は毎日友達に相談したし、毎日泣きました。
 ある日友達が「Yは友達たくさんいるじゃん!」と励ましてくれました。でも私は全く楽になりませんでした。私はこの時、初めてMちゃんの存在の大きさに気付きました。
 話せなくなってから3カ月も過ぎました。私たちは卒業まであと3週間くらいになっていました。ちゃんと話して謝らなきゃ、と思っていてもなかなか話しかけられず、何もできないまま時間が過ぎていきました。

 
 ある日の放課後にMちゃんから突然「話がある」と言われました。私は何を言われるのかすごく不安でした。でもMちゃんは泣きながら「今までごめんね」と言ってくれました。私が謝ろうと思っていたのにMちゃんから誤ってくれました。幸せボケして相手の気持ちとか全く考えていなかったあの頃の自分がとても情けなく感じました。
 3カ月ぶりにMちゃんと話せた嬉しさと、ごめんねの気持ちと、ありがとうが混ざって涙が止まらなくなりました。泣きすぎてその日は全然しゃべれませんでした。次の日、自分の気持ちをMちゃんに全部話すことができました。今は帰省するたびにMちゃんに会っています。
 みなさん、友達を大切にしていますか?友達がそばにいることが当たり前だと感じて傲慢になっていませんか?幸せボケしていませんか?一緒に話せる友達がいる人は幸せです。私はみぎわ館のみんなに出会えて幸せです。長い長い時代の中で、同じ時に生まれて、同じ日本に生まれて、全国各地に住んでいたのに、そこからみぎわに集まり出会えた私たちは本当に運命だと思います。
 神様、こうして私たちを出会わせてくれたことに感謝します!

(2月28日)

 

 

 

 

 

*T.M. (2年生)

 私は最近よく考えることがあります。それは時間についてです。例えば、私が何気なく過ごしている間に、せわしなく動いている人がいるとします。同じ時間の長さを過ごしているはずなのに、なぜか後々思い返してみるとすごく時間を無駄にしている気がします。時間というのは、私たちがその一瞬をどう生きようが、どう過ごそうが過ぎ去っていきます。
 では、もし自分の命があと1週間しかもたないとなったらどうでしょう。きっと誰もが1分1秒も無駄にしないように、と生きるはずです。毎日の生活で1分1秒も無駄にせず生きようとするのは相当難しいと思います。
 なぜ一瞬を大切にすることを忘れてしまいがちなのでしょうか。それはきっと心のどこかで、時間は永遠にあると思っているからなのだと私は思います。確かに、私たちが死なない限り、自分の時間は永遠に続きます。しかし、『今』という時間は二度とは戻ってはきません。時間は大切に、日々大切に生きていくことがとても大切なのだと思います。

 
 また、みなさんには後悔していることはありませんか?私にはたった一つ、とても後悔していることがあります。それは私のお父さんのことです。
 あの時の私はまだ小さかったため、お父さんとの時間は永遠に続くものだと思っていました。でも実際は違いました。お父さんは車で出かけたっきり、帰っては来ませんでした。
 私の一つの後悔、それはお父さんになにも恩返し・親孝行ができなかったことです。
 みなさんにもきっと何か、悔やんでも悔やみきれない過去があるはずです。私は今ではお父さんのことも笑って話せますが、現実を受け入れ、話せるようになるまで相当の時間がかかりました。けれどもやっぱり、家族や友達・仲間の支えによって今を生きることが出来ています。だから、私を含めて、みなさんも『今』という一瞬を大切にしてみてください。そして今を生きていることを当たり前だとは思わないでください。
 私も出来る限り後悔をしないよう、今を大切に一生懸命生きていきたいと思います。

(3月3日)