のぞみ寮通信

みぎわ館

2010/02/28

みぎわ館 第33号(2月28日)

<どうやって決めるの?> 

 
 20日に「新一年生を迎え入れる為の部屋替え」が行われました。毎度のことですが、部屋替えが近づくにつれて質問の回数が増えてきます。

「もう新部屋決まった?」「私、誰と一緒?何階?」がいつもは主流です。しかし今回は違い、目立った質問は「どうやって決めるの?何を基準としているの?」でした。1年・2年と経つと投げてくる質問も変化してきます。面白いものです。
 「どうやって決めるの?」の質問に、何と答えようか一瞬困ってしまいました。だって本当に色んな事を考えて部屋組みをするのですから。ふっと一呼吸置いて私が返した言葉は、「みんなの成長を願って部屋を決めるんだ」でした。何と抽象的な答えでしょう。しかし、さすがみぎわ寮生です、その言葉から真意を読み取る力のすばらしいこと!「現状の仲のよさだけで決めるわけじゃないって事?むしろそんなの関係ないって事?」「次の部屋替えまでの期間、部屋の住人同士、お互いに成長し合える関係かどうかを考えて決めているってこと?」、こんな言葉が返ってきました。すごいです。

 
 彼女達の言葉は正解です。仲が良いから一緒の部屋にしよう、仲が悪いから遠ざけよう、なんて事は今まで一度も考えた事がありません。仲が悪ければ、お互いの良さを知り・認め合うためにあえて一緒にしようか、と検討するくらいですから。いろんな人がいる事を知り、様々なタイプの人と人間関係を築けるようになる為に、多くの人との深い出会いをするために、人間的成長を願って…などなど多くの願いを込めて年に3度もの部屋替えを行っているのです。部屋替えも大きな人間教育、寮教育の一環なのです。
 今回の部屋でも、それぞれが素晴らしい出会いと成長を得られる事を願っています!

 (森口)

 

 

 

 

 
<どっきり大作戦!> 

 
 「寮のミーティングって、みんな泣いちゃったりして怖いんでしょ?」こんなI.Y.さんの一言から思いついたイベントだったようです。
 2月25日(木)の館礼拝後、1年生はミーティングを行いました。通常のミーティングでは私達スタッフも同席する事が多いのですが、今回に限っては遠慮させていただきました。なぜって、それはドッキリ大作戦だったからです。
 事の始めは、2月7日にみぎわFamilyとなったYさんにウェルカムパーティーをしてあげたいんだ、と言う1年生の発案でした。「いいじゃん、いいじゃん、やりなよ!」と後押しした私たちでした。しかしその具体案を聞いてビックリ!なんともまぁ悪趣味な…(笑)。その中身は、ミーティングをすると言って1年生全員が集まり、この1年の振り返りを含めてそれぞれの想いを語っていきます。(これは全然問題なし!)そしてその内、険悪なムードになり(と言うより無理やり険悪にする)、14人中2~3人がキレて席を立ってしまう。みんなが微妙な雰囲気になった時、ジャジャジャジャ~ン、実は冗談!Yさんのウェルカムパーティーでした~!とお菓子をもって再登場しパーティーをスタートさせるとの事。「えぇ~!?そんなの大丈夫?」と心配する私たちに、「大丈夫ですよ~!面白いですから~!」と乗り気の1年生達。ドッキリを仕掛ける方は面白いでしょうが、騙される方は気分が悪くなることの方が多いですから、私達は騙されてしまうYさんを非常に心配しました。しかし、予定は変更される事無く行われる事になってしまったのです。

 
 ミーティング開始直前、私達スタッフは「プッ」と笑ってしまいました。だって、仕掛け人たちの顔がニヤニヤニヤニヤしているのですから。始まる前からニヤついていて、予定通りシリアスに出来るわけがありません。それに、そんな連絡していないのに、お菓子を食べる気満々でカップやフォークを持ってきている子もいて…。あ~、こりゃ駄目だ!…じゃなかった、良かった良かった、キツイドッキリにはなりそうもないわ、と安心した私達。その後は観客と化し、みんなの演技を見せて頂きました。私達の目からは「なんだ、この安いドラマは!?」と笑っちゃうような出来でしたが、Yさんはドキドキ「どうしよう!」と思ったそうです。でもパーティーの前座だった事を知り、みんながパーティーを企画してくれた事を知るととても嬉しかった、と言ってくれていました。喜んでくれたから良かったものの、限度はわきまえて、こんなドッキリ大作戦はこれっきりにしてほしいものです。

(森口)

 

 

 

 

 

 
<礼拝のお話> 

 
*T.S. (2年生)
 今日は「笑い」についてお話したいと思います。みなさんは、どんな時に笑ったり、笑顔になったりしますか?すぐに思いつくのが面白い事を見たり、聞いたりした時だと思います。笑いにも様々な種類があって、ニコッと笑う「微笑み」、突然ある事を思い出し、それがツボにはまって笑い出す「思い出し笑い」、相手を少し馬鹿にしたときの「鼻で笑う」、あまり面白くないが無理やり笑う「苦笑い」など、考えてみたらたくさんの笑いがあります。
 面白くて笑っているのと、馬鹿にして笑っているのも同じ「笑い」だと思ったら、何か変な感じがしますね。その「笑い」がたくさんの効果をもたらしている事を知っていますか?

 

 笑う事でストレス解消になったり、便秘や胃の痛みが無くなったり、血圧が低下して心臓病のリスクが軽減されたり、笑っているときに体の筋肉を使っているので、良く眠れるようになったり、血糖値が低下して糖尿病にも効果があると言われていたり、心身ともにプラスになる効果がたくさんあります。そして笑う事は難病も治す事ができるそうです。治療法の一環として「笑い療法」というものがあり、笑いの医学的研究をする学会も出来ており、国際的には「国際ユーモア学会」、日本にも「日本笑い学会」というものがあります。よく冗談交じりで「笑っていると免疫力がUPするから病気にならない」なんて言いましたが、笑う事には本当に計り知れないパワーがあってとても驚きました。少し疲れていたり、気分が晴れないときに笑いを求めるのは最善の方法だと思います。
 2年生は今年、1年生は来年にある BIGイベントの受験の時にも笑顔が大切になってくると思うので、毎日笑って過ごせる環境の寮はなんかとってもお得な気がします。これからもみんなと一緒に笑って過ごしていきたいと思います。

              (2月23日)   

 

 

 

 

 

 

*K.H. (2年生)
 今回は子どもについて話します。というのも最近、現代文の授業で谷川俊太郎さんの「理由なき喜び」を読んで考えさせられたからです。この本では、道端の水溜りやぬかるみを見つけて楽しそうに、もっと深いところを探して喜び・飛び跳ねる子どもと、その光景や自分の子ども時代を外側からしか眺める事ができない大人との違いが書かれています。私はこの本を読んで納得と言うか、感動しました。

 
 私の子ども時代のお話をしたいと思います。まずは幼少期。歩くたびにピーピー音が鳴るサンダルや座るたびにプープーいう椅子が大好きで何回も音を鳴らしていました。夏に海へ行ったとき、波が怖くて泣いていたらおばあちゃんに砂つきの葡萄を無理やり口に入れられ、もっと泣きました。
 小学校1・2年のときは川を挟んで向こう岸に友達がいて、ランドセルを投げ合いっこしていたら、川に落としてしまい教科書がシワシワになってしまったり…。学校では大休憩の時間になると男子も女子も一緒になって外でケイドロやドッチボールをやったり。秋になると一人が地面に寝っころがって、みんなで落ち葉を掛け合いっこしたり。時々栗のイガイガを踏んじゃって、足の裏に針が刺さったりもしました。学校が終わればすぐにランドセルを家において、友達とか近所の子達とドブ川の近くで遊んだり、秘密基地を作ったり、補助輪つきの自転車で競争したりしていました。宿題も忘れがちだったし、服も全く気にしていなかったので、ズボンばっかりはいていました。もちろん谷川俊太郎が言うように、水溜りを見つけたら、何が楽しかったのか分かりませんが、靴に水が染込まないようにそ~っと足を入れて、そのせいでちょっとにごった水が透き通るまで足をずっと止めていたり、冬に登校する時、水溜りが凍って薄い膜が出来ているのを全部割って歩いたりもしました。みなさんにも、そういう思い出があると思います。

 
 谷川俊太郎は『ぬかるみで遊ぶから、草原の上に立ったから子どもは喜ぶのではない。喜びは既に子どもの身内にみなぎっていたのだ。大人の喜びは子どものそれに比べて遠慮がちなものにならざるを得ないが、その根は一つだろう』と言っています。私は幼い頃よりは無くなりましたが、今では全身で喜んだり悲しんだりする所があるので、まだ子どもよりなんじゃないかと思っています。みなさんはいかがですか?
 別に大人になったからと言って喜びがなくなるわけではありませんが、喜んでいる子どもを見ているとその無邪気な喜びを、今の自分はもう子どものように出せないのが寂しく感じるときがあると思います。でも、喜んでいる子どもを見たり、自分の子ども時代を思い出すだけでも充分心がHAPPYになれると思います。
 結果的に私が何を言いたいかと言うと、自分のすごく純粋な子ども時代を思い出すためにも、将来は自分の子どもが欲しいと言う事です。子どもはかわいいです。子どもは天使です。子どもの存在自体が大人にとっての喜びだと私は思いました。私の夢は子どもを2人育てる事です。そして敬和に入れてあげられたらいいなぁと思います。

(2月25日)