のぞみ寮通信

めぐみ館

2010/02/22

めぐみ通信 (2010年2月22日)

「藁の家づくりから」

 
 15年前、1月の17日に阪神淡路大震災。若者は復興のための、ガレキを運んだり、救援物資を仕分け、搬送したり、介護補助をしたり、重労働の主流に任務を課せられました。


震災から2,3ヶ月すると、復興の次の段階に入りました。それぞれのおかれた仕事場から何ができるかと言う新たなスタートが問われたのです。震災直後とは違い、復興ボランティアは、様々な専門のぶつかり合いが生じ、自分の経験知から主張しあっているうちに、震災の2次的震災、感情のぶつかり合いが大きな社会問題になっていました。コミュニケーションの亀裂が生まれる一方で、教育も、一般の仕事も、神戸は、従来型のものをただ復興させることには向かう事に限界を感じ、大事なものを失ってきたものを取り戻す為に再建するために何をしたらいいかを模索し始め、探り出しました。 
そんな15年前、ボランティアの活動の中で出会い友人となった、島崎さんから便りが届きました。

 
15年前、島崎さんは、建築一級士になり立てで、「さあ、今から事務所を立ち上げる」と言う時でした。島崎さんは、どちらが正しいと言う論争に費やすのではなく、自分も含めて、新たな一歩をユーモア交えて、自分の事務所を藁の家として建てることを決めました。それはデンマークで若者が取り組んでいた藁の家づくりの実践が参考になったのです。
本来ならあっと言う間に出来上がるはずの事務所が、藁の家は大幅に仕上がりまで時間がかかりました。島崎さんから、先日届いたのは、その藁の家の出来上がるまでと、そこから始まったプロジェクトのことまとめた小さな冊子でした。
因みに私は保育士でしたので、子供たちの恐怖の体験や、続いている不安な感情を開放し、緊張をほぐすと言う働きがメインとなりました。絵画で音楽で、外遊びで、思い切り緊張している感情を表現させていくことでした。そうする事で、次の成長に繋がりやすくするためです。
 さて、島崎さんの活動ですが、自分の働きから、神戸と言う大地との和解を、そして、2次的震災と言われた人と人との亀裂から和解するために手作業と言う自然を媒介に作られていたように思います。

 

 藁の家作り私が藁の家つくりにボランティア参加したとき一コマを紹介しましょう。
 近所の4歳くらいの女の子がお父さんとお散歩をしていました。
「おとうさん、お家つくってるの?」、まさに藁の家を作っている光景はお父さんにも不思議に映っていたようです。お父さんの返事も興味深そうな声そのものでした。

 震災後、トラウマや、様々な問題から開放されるには子供には遊びが必要不可欠でした。
同じように、この藁の家作りもまさに大人が遊んで家を建てている、そんな時間が流れていたように思います。
 
震災から15年、大きな節目の年です。エコロジーが叫ばれるようになりました。
島崎さんの藁を使った建築が近隣の大学の学びの一環、そして、地域の公園に建築士青年部あげて、あずまやつくりに発展しているようです。
 これから始まる次世代は皆さんが作り上げていく番です。その為には、神戸の人たち、島崎さんではありませんが、自分の学んだものを応用し、工夫ができるために、様々な人間力の土台作りが不可欠です。
敬和での学びを貪欲に自分の中に取り込んでください。

(2月21日全体礼拝のお話より) (榎本かな)

 

 

 

 

 

 

<・・・3年生が帰ってきます。・・・>

 
いよいよ、28日には41回生3年生が卒業するために戻ってきます。
1年生は前日に3年生がホールで寝るために、キレイに掃除をします。2年生は最後の3年生が気持ちよく寮生活を送ることができるために、各委員心配りを忘れないように準備を進めてくれています。
 さて、3年生ですが、最後の合宿では精一杯に水周りの掃除や、カーテンの洗濯、ラウンジの田なの整理と、頑張って片付けてくれました。ありがとう。これで、1年生を迎える準備が始まりました。が、しかしです。3年生。残念賞な事が!
 なんと、出て行った3年生の自室のゴミがそのままではありませんか!
残泊した3年生にお願いして片付けをお願いしましたが、「立つ鳥、後を濁さず」
この教訓を今一度覚えて旅立ってください。
 数日の間、寮生活する3年生のみなさん、チクリと、小言は言いましたが、私達は、残り少ない貴重な共に暮らせるその数日を楽しみに待っています!

(榎本)

 

 

 

 

 

 

<寮務教師になりたい!?>

 

このところ、「今日の夜、ホール勉(申し出ると消灯後から0時まで、ホールで勉強することができます。)します。」と事務室を訪れる生徒が増えています。特に2年生。進路を意識して一生懸命に勉強する姿や、学校案内パンフを片手に相談に来ることも。
「大学どーしよー!!」
「やりたいこと分かんなーい!」
「ウチは、絶対○○大に行く!」
1人の生徒に「進路どうするの?」と尋ねました。
「私は専門学校行く。」
「ほー!何の?」
「保育士の。」
「へー!」
「専門出て、保育士しばらくやったら、敬和の寮務教師になる。」
「へ?????ほんとにー!ほんとになりたいの?」
「うん!」

 
榎本先生も私も思わず笑ってしまうほど、びっくりしました。その理由は2つあります。
一つ目は、私自身が生徒に「何で寮の先生になったの?うちなら絶対やらない!」と言われることが多いからです。胸を張って「こんなに面白い仕事はないよ。」と答えますが、内心、嫌がられる仕事だなんて寂しいなと思うと同時に、楽しそうに見えていないのか…と反省しています。
二つ目は、その夢を語ってくれた彼女が、少し前まで、教師と良くぶつかっていたからです。口を開けばピリピリした空気が流れ、なかなか言葉と気持ちが通じ合わなかったのに、今ではいろんなやり取りができるようになったことを喜んでいたところでしたから、うれしいおまけをもらった気分でした。
私たちが余りにも長いこと喜んだので、彼女は「まぁ、夢は変わるから。」と言って恥ずかしそうに出て行ってしまいました。

 
数日後、事務室で榎本先生とその彼女が二人きりになりました。AERAをペラペラとめくっていた榎本先生。市川海老蔵と結婚した小林麻央を見て「○○もこの人みたいにキレイになって有名人と結婚しなー。」とかまうと、その彼女、「そんな風にはなりません。だってそんなキレイになったら寮務教師になれないもん。」それを聞いた時に、私の中に起こった感情は4つ。①快:笑わせてくれるね!②感心:その夢、続いていたんだ!③喜び:嬉しい事言ってくれるわ。④???:キレイになったらなれないって、どういう意味よ!?
以前は、「勉強してるの?」「もう時間だよ!」なんて言おうものなら、怒って出て行っていた彼女ですが、今はちょっとやそっとのことでは気持ちが乱れません。大人になったね。時々、「もー!私だって頑張ってるもん!」と地団駄踏むけれど、それはそれで可愛らしいです。
部屋替えが終わり、43回生を迎える準備が始まっています。みんながどんな先輩になるのか楽しみです。                            

(冨井)

 

 

 

 

 

 

<礼拝のお話>

 
2年 Y.K.皆さん、こんばんは。4室のYです。
お話しのテーマが自己紹介ということで、みんなに引き続き、私も自己紹介をしたいと思います。
私は、昔、苗字が嫌いでした。確か、学校で出席番号がずっと後ろの方で、全後に女子が居なかったと言う良く分からない理由で嫌でした。両親がクリスチャンと言う事で、名前は聖書から名づけられました。
出身は東京です。東京は全て都会と思われがちですが、私の地元はのどかでとてもいいところです。地元については今度お話したいと思います。
誕生日は平成5年2月9日で、みずがめ座です。2と9なので、肉の日じゃんと、よく言われます。そして、敬和で、同じ誕生日の人に初めて出会いました。血液型はA型で、クラスは月山クラスです。1年のときは妙高クラスでした。部活は器楽部で、トロンボーンを吹いています。好きなものは音楽です。楽器を演奏したりすることはもちろん、音楽を聴くのも好きです。というか、普段の生活の中で、音楽はかかせないものです。
最近はまっているものは、ココア、コーヒー、骨盤リセットなどです。ココア、コーヒーは、身体があったまるので、冬にはぴったりだと思います。しかも眠気がとれるので一石二鳥です。ですが飲みすぎると、寝れなくなるのでテスト期間中に飲むことをおすすめします。
骨盤リセットは、たまたま図書室でうろうろしてたら見つけた本で、そこからはまっています。骨盤がゆがむと、左右の足の長さが変わったり、肩や首のこりがひどくなったりして、そこから頭痛もおきるみたいです。
少しでも気になった方がいらっしゃったら、4室のYまで聞きにいらして下さい。