月刊敬和新聞

2009年2月号より「不便です 不自由です でも不幸ではありません -卒業していく39回生の皆さんへ-」

小西二巳夫(校長)

誰も知らない
 児童文学者の灰谷健次郎の作品に「誰も知らない」というのがあります。主人公の麻理子さんはM養護学校に通う12歳です。彼女は筋力がふつうの人の10分の1しかありませんから、歩く姿は踊っているように見えますし、話す言葉は知らない人にはアーアーとかウーウーとしか聞こえません。彼女は毎朝家からスクールバスの乗り場までの200メートルを40分かけて歩きます。1分間に5メートルの速さです。お話はある朝の家からスクールバスの乗り場までに麻理子さんが何を見たか、何に出会ったかが綴られています。麻理子さんを理解しない人は「あんな子、なにが楽しみで生きてるのやろ」と言いますが、彼女と「出会った人」は彼女の存在のすばらしさと持っている能力に驚かされます。麻理子さんはパン工場から流れてくるにおいで、何パンを焼いているのかがわかります。ハチは動かない者は敵と見なさず刺さないことを知っています。ネコが顔を前足でこする動作から翌日の天候を予測します。

満ちたりた道のり
 お話の最後は次の言葉で締めくくられています。「麻理子はみちたりた気持ちになり、大通りに出る。大通りはもう車がいっぱいだった。ネクタイのまがりをなおしながら、あたふたとかけていくサラリーマンがいる。ねむそうな目をして、ふきげんそうに歩く学生もいる。泣いている子を、引きずっていく母親もいる。麻理子と麻理子のおかあさんは、そんな人たちをさきにやりながら、200メートル40分の速度を変えないで、一歩一歩、歩いていくのだった」。麻理子さんの驚くべき知識と感性は彼女がゆっくり歩くことによって持ち得たものですし、理解しない人から「あんな子 なにが楽しみで生きてるのやろ」といわれる不自由さと不便さの中から育てられたものです。そこで一つ気づかされるのは、麻理子さんと一緒に歩くことによっておかあさんも同じ豊かさ持つことができているということです。

ふきげんそうに歩く学生・・・
 今の世の中は「ネクタイのまがりをなおしながら、あたふたとかけていくサラリーマンがいる。ねむそうな目をして、ふきげんそうに歩く学生もいる。泣いている子を、引きずっていく母親もいる」でいっぱいです。その人たちの目には麻理子とおかあさんの姿はほとんど視界に入らないでしょう。見えても「かわいそうに」という姿に見えるのです。速く歩かされることによって、急がされることによって、見るべきものが見えなくなる、出会えるものにも出会えなくなることがあるのです。

不自由です 不便です でも不幸ではありません
 敬和学園が本質的に持っているのは不自由さと不便さです。学校を不便なこの場所をわざわざ選んで建てたのです。敬和教育の生命線である寮教育が大切にしていることは不自由さです。その寮教育に象徴されるように、敬和学園の不自由さと不便さは学校生活の至る所にあふれています。わたしが誕生日カードにしばしば書くのは「敬和生活を充実させ、自分を成長させるためには、せかず、あわてず、じっくりやることです」という言葉です。敬和学園の3年間は他の高校からすれば200メートルを40分かかって歩くように見えるに違いありません。この学校には「あんな子 なにが楽しみで生きてるのやろ」と言われるゆっくりさと不自由さがあります。でもその学校で39回生のみなさんは、「ふきげんそうに歩く学生」としてではなく、麻理子さんの歩く速さと同じような感覚で3年間を過ごしたのです。そのことによって、「あたふたとかけていく」ことが当たり前の世の中にあっても、なお人として豊かさ見つめる目を持ち、弱さの中にこそ豊かさがあることを知った存在になりました。先日、昨年卒業した38回生のM君と会う機会がありました。寮生だった彼が敬和学園の3年間を次の言葉で言い表してくれました。「敬和は不便でした。不自由でした。でも不幸ではありませんでした」。本当の豊かさを知り身につけたみなさんの新しい道が、神さまによってますます深く豊かなものになりますようお祈りいたします。