月刊敬和新聞

2009年5月号より「心が動くと体が動く 体が動くと心が動く」

小西二巳夫(校長)

早天祈祷会とチャペルそうじ
 毎週金曜日の午前6時30分からチャペル内のOMホールで早天祈祷会を開いています。讃美歌を歌い、聖書を1章ずつ輪読して、わたしが10分程度のお話をします。その後、一人ずつお祈りをします。この間30分です。出席者は3、4年前までは施設係の西川さん、信田寮長、野間宗教主任とわたしの家族などの大人と寮生が数人でした。それが一昨年あたりから寮務教師と寮生の出席が徐々に増え出し、今は毎回20人程度になっています。讃美歌の声は大きく、学園内に響いているはずです。それだけでも驚くべきことなのに、今年になってさらに驚くべきことが始まりました。それはチャペルそうじが早天祈祷会前の6時頃から何人もの寮生によって行われるようになったのです。彼らはそうじの必要な場所を見つけて、チャペルの中、ロビーそして外回りと、30分かけて黙々ときれいにしていきます。

陸上部へのお礼状
 3月中旬に新潟市環境部の清掃事務所から次のようなお礼状をいただきました。「拝啓、私は東清掃事務所の○○といいます。我々の業務は一般家庭のごみ収集のほかに不法投棄のパトロール業務があります。3月18日午前10時ごろ島見町の海辺の森海岸道路をパトロール中に大量の不法投棄を発見しました(テレビ、びん、缶など)。その場所は、我々環境部の作業区域外の場所でしたが、見た瞬間ひどすぎる状態でしたので車両を停止し、回収作業を始めました。ちょうどその時、敬和学園高校の陸上部3人が通りかかり「こんにちは」とあいさつされ、「手伝いましょうか」と声をかけられました。その言葉に感激し、つい「お願いします」と言ってしまいました。すがすがしさと、若々しさと、テキパキした動作で回収作業はあっという間に終了しました。「新潟の若者もすてたものじゃない」と感動し学校教育のすばらしさも同時に感じました。わずかの時間でしたが、一緒に作業できた喜びと、これからの明るい未来を感じ取った一日でした・・・」。

労作教育
 敬和学園が創立以来大切にしてきた教育(授業)に労作があります。3学年とも週1時間の必修科目です。3年生はさらに週2時間の選択授業をとることができます。授業だけでなく、5月には学年別の全校労作、中学生を迎えるオープンスクールや入学検査のための入試労作など学校生活の様々な場面で労作が行われます。敬和学園の教育の柱である寮生活は労作の宝庫といえます。 人類は二本足で立つことにより手と指を使えるようになりました。手と指を使うこと、働くことで物事を表面的ではなく、深くとらえ考えることができるようになります。子どもたちにしっかり労作をしてもらうためには、教職員が相当時間と労力をかけて準備と後片付けをする必要があります。しかも、その結果は数字や見える形ではすぐに出てきません。それにもかかわらずに労作を大切な教育(授業)と位置づけているのは、それが本当の意味で「人となるための」教育と考えているからです。

心を動かし 体を動かす 教育のコラボレーション
 環境課の職員の方が感激されたのは、不法投棄の回収を手伝ったという行動もさることながら、その前の躊躇のない申し出とさりげなさにあったようです。それは労作教育が一つの形となったということであり、日頃の教育の延長線上に表われたものだと思います。早天祈祷会前のチャペルそうじと不法投棄回収の手伝いは、どちらも頼まれて行ったものではありません。自分の心や社会としっかり向き合うことができるようになっている子どもたちが、自らの心を動かし、体を動かすことによって行ったものです。労作教育とキリスト教教育がコラボレーションして具体的な形になったというのは大げさでしょうか。わたしたちの信じるところに従って、さらに真剣に敬和教育に取り組んで行きたいと思います。