月刊敬和新聞

2010年10月号より「内なる国際化 -41回生ヒロシマ修養会閉会礼拝より-」

小西二巳夫(校長)

「夕凪の街、桜の国」
 マンガ家のこうの史代さんの作品に「夕凪の街、桜の国」があります。この作品は原爆を真正面から扱っています。こうのさんがこの作品を作るきっかけは出版者の依頼でした。最初こうのさんは生まれ故郷のひろしまを思う存分描ける、ひろしま弁をいっぱい使えると喜びました。しかし、出版社はカタカナのひろしまを描いてほしかったのです。それは原爆が落とされた街のことを、そして放射能を浴びせられて被爆者となった人を描くことです。こうのさんは広島生まれですが被爆していません。両親も被爆していないので被爆2世でもありません。そういう自分にヒロシマを描く資格があるだろうかと悩みました。そして、激しい葛藤の末、原爆のこと、被爆者のことを描くのは、ひろしまに生まれた自分の責任であり使命と考えるようになりました。そして「夕凪の街、桜の国」を書き上げたのです。

国際的視野に立つ教育とは
 敬和学園は成り立ちと毎日の教育から考えて、カタカナのひろしまを大切にする学校です。敬和学園の教育の柱の一つに「国際的視野に立つ教育」があります。すぐにピンと来るのが英語のことかも知れません。例えば、敬和学園は英語の教育に力を入れている、外国人の教師も複数でいる、英語検定に熱心に取り組んでいる、アメリカ海外教室やオーストラリアの短期留学のプログラムももっている、毎年留学する人が何人もいる、などを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。そして、国際的視野を持った人とは、英語が話せる人になる、外国人相手にあまり緊張しないでふつうにしゃべれる人になる、海外と取引をする国際的な会社に入ってバリバリ仕事をする、外資系の会社に入る、などと理解をしてはいないでしょうか。

内なる国際化
 もしそれだけだとしたら、薄っぺら過ぎます。敬和学園が考える「国際的視野に立つ教育」とは、ただ外国に関心がある、英語が自由に使えるようになる、グローバルな世界で仕事をしたい、ということだけではなく、また個人的な関心だけでこの世界を見ることでもありません。それは自分の内側に大きな世界を描けることができる、きちんとした世界観を持った人になることです。一言でいうと「内なる国際化」となります。まだ行ったことがなくても、その国や地域の人と出会うことができる、今の世界の状況を想像できる感性を持てる人になることです。そのためのコミュニケーションの手段、出会うための方法として英語などの外国語を学ぶわけです。こうのさんは考えました。原爆はたまたま落ちたのではなく、アメリカの意志によって落とされたこと、原爆は過去のことではなく、今も被爆のために苦しんでいる人やその子どもがいること、アメリカは原爆を劣化ウラン弾という名前と姿を変えた形でイラクを中心とした場所で使い続けていること、その現実を、マンガを通して描き知らせていくことが、ひろしまに生まれ育った自分の使命だと考えたのです。

自分を愛するように隣人を愛しなさい
 こうのさんは最初原爆に関するものからできるだけ避けた生き方をしようとしました。けれど、出版社から依頼されたように無関係に生きることはできないことを知りました。米国がイラクで使った劣化ウラン弾によって被爆をした大人や子どもが大勢います。そして被爆二世の子どもが生まれています。多くのアメリカ兵も被爆しました。そういう人たちの現実と、今日本に生きているわたしたちが無関係に生きることはできないのです。この現実とわたしたちの人生が深く関係しているとの感覚を持つことが、敬和学園で「国際的視野に立つ教育」を行い、受けているわたしたちの使命でもあります。国際的視野に立つとの感性と想像力を持つことの大切さを、イエス様は「隣人を自分のように愛しなさい」との言葉にされました。イエス様はこの世での最高の生き方、そしてすべての人が平和と平安に生きることのできる方法を「隣人を自分のように愛しなさい」という一言で教えてくれているのです。この修養会を通してヒロシマで歴史と現実に触れることになったわたしたちだからこそ、イエス様が求められる生き方を共に目ざしたいのです。