月刊敬和新聞

2011年1月号より「人間らしい人間になるために ―39回生成人祝福礼拝より―」

小西二巳夫(校長)

アイヌ民族 アイヌ ネノアン アイヌ
 わたしは敬和学園に来るまでの16年間、北海道で働きました。仕事や活動を通してアイヌの人と出会いました。物事のとらえ方や歴史の見方を先住民族アイヌから学びました。アイヌの言葉に「アイヌ ネノアン アイヌ」があります。意味は「人間らしい人間になる」です。彼らは子どもに「人間らしい人間になりなさい」と教えます。アイヌがいう「人間らしい人間」とは「言葉」を大切にする人になることです。言葉はコミュニケーションの大切な手段です。言葉にはお互いの関係をよくしたり悪くしたりする力があります。使い方によって相手を傷つけたり、時には相手の命を奪うようなことにもなりかねません。言葉は文化です。さらにチャランケというアイヌの言葉があります。意味は話し合い、論争です。話し合いで相手を上回るためには、たくさんの言葉や自分たちの歴史を知らなければなりません。アイヌにとって、人間らしい人間になるというのは、暴力ではなく言葉でもって問題を解決できる人に、話し合いによって、自分をわかってもらい、相手を理解することができる人になるということです。

アダムの子 ヘブライ人の人間理解
 聖書の民ヘブライ人が考える人間らしい人間とは、社会的に弱い立場にある者の痛みがわかることでした。出エジプト記にはエジプトから脱出して幸福に暮らせる土地を求めて40年間放浪した人たちの話が書かれていますが、厳しい自然環境の中で生き抜くためには、お互いが関わり合い、協力しあうことでした。信頼関係があってこそ、厳しい局面を乗り越えることができます。それは難しいことをすることではなく、当たり前のことを当たり前にすることでした。その中心にあったのが十戒です。十戒には、盗んではならない。殺してはならない。父母を敬えと、当たり前のことが書かれていますが、人間というのはしてはいけないことをしてしまいがちです。それがもし、砂漠のような厳しい環境の中で起こったとしたら、たちまち命にかかわることになります。

他者の痛みを理解する感性
 そこで当時の人々は当たり前のことをいつも自覚できるように、それらを言葉にして自分に言い聞かせ、子どもたちに繰り返し教えたのです。そうした生き方から彼らが確信したことがあります。それは人間の価値は社会的地位や権力の大きい小さいによってではなく、他者の痛みを理解する感性を持つかどうかによって決まることでした。この人間理解に徹底的に生きたのがイエス・キリストです。 世界は今暴力的な力が支配しています。軍事力によって自分たちを守る、社会を守る、平和を守るということの声が米国を中心に大きくなってきています。日本もそれに追随しています。暴力的な支配の中で、話し合いや議論は軽んじられます。言葉が通じない世界にどんどん広がっています。そういう時代に、そういう世界に、39回生は成人、おとなになられるわけです。

敬和学園の子 敬神愛人に生きること
 そこで考えていただきたいのは、みなさんが敬和学園で3年間学ばれたことの意味です。敬和学園はアイヌが「アイヌ ネノアン アイヌ」という言葉でもって子どもたちに教えようとしたことを、聖書の人たちがアダムの子になることを通して教えようとしたことを、建学の精神である「敬神愛人」、神を敬い隣人を愛するということでもって伝えようとしてきたことです。言葉を大切にすることをあらゆる場面で伝えてきたのです。ヨハネによる福音書に「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあります。この「言」はロゴスというギリシャ語です。一般的な訳としては真理あるいは道ですが、一言で言えばイエス・キリストです。敬和学園は言葉、イエス・キリストがいる学校であり、敬神愛人、そのキリスト、言葉を大切にする学校であり、隣人を愛する、つまり他者の痛みをしっかり受け止めることのできる人をつくる学校であったということです。 敬和学園で育ち学ばれ、今成人となられるみなさんにぜひ自覚してほしいこと、それはどこまでも、言葉を徹底的に大切にできる人になっていただきたいということです。